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『PERFECT DAYS』観てきました

映画『PERFECT DAYS』へ。フィルムカメラ、カセットテープ、古本の文庫と役所広司。無口でありながらも、豊かな表情で幼子のように笑う。そして大人らしく、笑いながら、泣く。

ヴェンダースの映画というよりも、役所広司の映画だなあと思った。ヴェンダースが役所を選んだのではなく、役所がヴェンダースを選んだのではないかという印象。

そういえば、ヴェンダースの映画と言えば『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』以来だ。20年以上前。俺たちのベル天や、『パリ・テキサス』の記憶が強すぎるだけで、ヴェンダースらしさがわからないだけかもしれない。

とり急ぎ、忘れないうちに、他の情報を見ず、一旦や感想や考察を書いておく。

*ここからは個人の感想になります。ネタバレしかないので閲覧注意です。

********ここからは敬体で。

まず、ラストシーンですけど、「うあああああー、ヤバい、これ、デッドエンドのパターンや!やめてー」と思いながら観ました。このパターンって、危ないんすよね。泣き笑いが混ざった顔のアップが続くのは怖い。赤い光が顔に映るのもマズい。

なんとか最後、朝日が昇るシーンだったのでセーフです。ベタを避けたのか。本当にセーフかどうかはわかりませんが。描かれなかった部分は視聴者に委ねられているのでしょうか。怖いと思った時点で平山さんに感情移入しているので、自分にとっては良い映画だったと思います。

前半で、酔っ払って雨の中を小料理屋から自転車で帰るシーンあったじゃないですか、人間関係も含めラストシーンをこのシーンとの対比で見てしまいました。ちょっと浮かれたら、だいたいネガティブなことが起こるんですよ。映画というものは。その感情の振れ幅が大きくなっていって、観てる人の脳が揺らされて主題が殴り掛かる感じですよね。良い映画って。で、一番揺らされるのは、登場人物が亡くなる瞬間。今回も例にもれず(あまり直接的には描かれてはなかったですけど)そういった、人を失った悲しみが前提にあるように思います。

平山さんはどのように排泄するのか

平山さんがトイレを使用するシーンが無かったのが、僕には衝撃でした。冒頭で主人公が立ちションか自慰する映画に外れなしというのが俺たちの定説なんですが、全編通してもありませんでした。トイレの映画なので、これは無いとおかしいレベル。意識的に消されていると見ていいでしょう。それを書いてしまうと何かがバレてしまうくらいの理由があるはず。もう一回見たらヒントがあるかもしれない。

家族の話

姪が読んでいた『11の物語』の話が、けっこうキーポイントなんだろうとは思いましたけど、知らないのでわからないです。子どもが親を殺す物語なんですかね。その後、平山さんが泣いていたので、親不孝の話ではあるとは思いますが。トイレ清掃員をやっているのも親への反抗の可能性が高いですよね。

金持ち(大企業?)の家で、創業者の父親に、お前みたいなやつはトイレ掃除からやり直せと言われたか、お前みたいなやつはトイレ掃除すらちゃんとできないと言われたか。姪の家出も平山さんと同じように繰り返される物語のひとつだろうと思います。まあ、でも父親の死に目に会わないと決めているんですよね。もしかしたら、平山さんの方が死期が早い可能性まであるなと。

偉大な先代創業者との心理的軋轢の中で心が折れていく経営者パターンといえばそうなんですけどね。

説明というより安心感の提供

迷子の手を引いたら、お母さんに拭かれたシーン。あれ、めちゃくちゃ上手いシーンだなと思いました。子どもが小さく手を振るじゃないですか。子どもは振り向かなくても良かったんですよ。あそこで、この映画の方向性を決めましたね。ああこの映画は辛いことばかりの日本映画とは違うんだと観客はめちゃめちゃ安心できたと思うのです。ホッとしたと思いますよ。みんなが。もちろん僕も。あれが冒頭エピソードになるのが流石です。

無口というより、決まりごとがあったのでは

声を出してコミュニケーションする場合、そうでない場合。これは明確にルールがあった気がします。無口という発表されている設定がミスリードの可能性さえあるのでは。途中であまりにも話さないので言葉が話せない人の役だったっけ、と混乱しましたが、そういえば迷子には声かけてたんですよね。そうだそうだ。明日は残業しないと怒る平山さん良かったです。わかるわかる。

その他、気になったシーン

銭湯のシーン。一番風呂に行くのはブクブクして遊びたいからですね。他のじいさんが入ったら、もう湯に口はつけない。銭湯なのに、そこの牛乳とかも飲まないんすね。姪が飲もうとしたら阻止してましたもんね。なぜだろう。

ブルーシートの空き地のシーン。昔、仲良かった家族の家があった的な比喩かもですね。小さい家に住んでた時は仲良かったのに豪邸に引っ越したら仲が悪くなった的な。単純すぎるかな。

フィルムカメラ。3週目に撮った写真は見もしなかったですよね。あそこに姪とか写ってるはずじゃないですか。撮れてるか気になりますよね。他に気になることがあったからというわけでもないと思うんですよね。何故だったのか、けっこう考えてるけどわかんないです。わかりたい。

。影が重なると色が濃くなるというのは、色が薄くなってきている自分たちへのメッセージかなと思いました。三浦さん(役名忘れた)の境遇と自分の境遇を重ね合わせて見ているのかなという気もしました。自分も癌で余命が限られているとするならば、自然や新しく始まった命への憧憬についても理解できます。

挿入歌たちについて理解できるとさらに深く理解ができるのではないかと思っております。聞いたことのある曲も多かったですが、歌詞を理解しているわけではないので、そこはこれから調べる楽しみがありますね。ヒャッハー!

次見るときは夢の中身をコマ送りして見よう

というわけで、一回観た感想はこれくらいにしておきます。それでは、他の考察や、製作者のインタビューなど、見に行ってきたいと思います。それにしても、役所広司さんの演技がすごかったです。終

自分自身が生きてるかどうかは考えましたね

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