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辛抱のその先に vol.27

久しぶりの更新です。
3学期が始まり、相変わらずの忙しさで、毎日大変な思いをしています。
そんな状況でも学びを止めないことが大切だと感じています。
先日、オンラインサロンの仲間が「辛抱セミナー」を開催しました。
今の自分の状況にぴったりなセミナーで、色々と考えることができました。

辛抱と我慢の違いは?

皆さんは、辛抱と我慢の違いがわかりますか?
僕は大体同じ意味だと思っていましたが、セミナー主催者の話を聞いたり、インターネットで調べたりしてみると少し違う解釈がありました。

辛抱…自分のためや人のために自ら志したものを実現するための努力をする辛さ。
我慢…自分がしたくないことをや嫌なことをこらえること。

この解釈だと、「辛抱」はポジティブで能動的、「我慢」はネガティブで受動的なことがわかります。
辛抱はいいことだと捉えることができるかもしれません。

ただ、辛抱ばかりしていると、心が疲弊していってしまうこともあり、気づいたら「我慢」の状況になってしまうことがあるのです。

「辛抱」だろうが「我慢」だろうが関係ない

今回のセミナーを受けて1番感銘を受けたのが、「辛抱だろうが我慢だろうが、何か自分に残っていれば良い。」ということです。

辛抱(我慢)するのは
・結果を出すため
・やめたら自分はダメなやつだと思われてしまうため
・辛抱(我慢)せざるおえない状況
 →例えば、家庭環境であったり、仕事の環境であったり
・自分の成長のため
など、いろいろな理由があると思います。

しかし、その辛抱(我慢)で思い通りの結果が出なかったとしたら、辛抱(我慢)した意味はないのでしょうか。

そんなことはありません。

辛抱した先には、何かしら自分に残っているものがあるのです。
見方を変えれば、大きな力になっていることがあるはずです。
そこに気づくことができれば、辛抱だろうが、我慢だろうが、意味のあることに変わってくるのです。

自分の状況は?

僕は今、小学校5年生の担任をしています。
学級経営がうまくいかず、周りに助けてもらってばかりで仕事もちゃんとできているとは思えていません。
校務分掌も少なく、年齢的には中堅クラスなのにも関わらず、授業もひどい状況だと思っています。

しかし、今回のことを見方を変えてみると、
・今まで経験してきたこととは違う対応や方法を試す機会になっている。
・今まで助けを求めるのが苦手だったのが、少しずつ助けを求めることができるようになってきた。
・自分の大切にしているものが見えてきた。
・自分の本当にしたいことは何かを考えるきっかけになった。

こんなことが見えてきたのです。
辛抱する時ではあるとともに、そんな中で頑張ってきた自分もいることに気づけ、さらにこんな状況であるからこそ、新たな力を身につけることができているのだと思っています。

辛抱(我慢)することが辛くても、努力が報われなくても、正義が負けたとしても、自分にプラスの影響があることを忘れてはいけないのだと考えることができたセミナーでした。

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