やっぱり俺は正しかった(笑)                  今は亡き大親友に捧ぐ

文系の俺にとっての悲願


俺の生い立ち

 勉強に関して中学までは万能であったが、高校数学で躓くというのはよくある話ではないだろうか。よって2年生で文系に決定。理科も物理・化学は選ばず。英語だけは得意だったので、考えの浅い俺は流れるまま外国語学部に入学。しかも模試のとき志望校欄にふざけて書いていたの東南アジアの言語専攻。こんなの勉強して何が面白いねん、何の役に立つねん。妻も同様で、マイナーな北欧の言語。そんなんいつ使うねん、何人が喋れんねん。まあそんなこんなで、文系は理系に比べ役に立たねえ、と言い切ってしまえば叱られるだろうが、文系の人には大まかには賛成を得られるのではないかと思う。ただのないものねだりかもしれないが。よって、息子を理系に育てるのは悲願であったのだ。

現在の職業

 現在は塾を経営し、基本「算数・数学,理科」の講師であり、私立の中高一貫校の数学の講師でもある。文系じゃないやん、そうなのだが、大学3回生のとき塾でバイトした際にコンバートしたのだ。理系の講師は少ないから。君なら共通一次受けてるから数学も理科もイケルやろということで。その後結婚し子供ができたとわかった瞬間に、大学に通いなおして教員免状も5つ取ったし、教育社会学を学び大学院も修了したのであった。学びなおしてこれだけできるんやったら、高校のときちゃんとやっとけばよかっただけやん。よって、息子を理系に育てるのは悲願であったのだ。

理系の職業の収入

 塾や学校での授業中の雑談のネタとして、職業別の賃金統計などを見せながら、「な?理系の方が収入が高いやろ?」という話もするのだが、やはりこれが一番大きな理由だろうか。例えば、co-medical 領域の職業はそうだと誰もが知っていることだろう。面白い標語があって、カナダのトロント教育委員会のポスターで、「DROPPING  MATH ?  Say  Good-bye  to  82  Jobs  」というというものがあり、よく生徒に紹介する。また、文系の人間に理系の仕事はできにくいが、理系の人間に文系の仕事はたいていはできるのではなかろうか。よって、息子を理系に育てるのは悲願であったのだ。

学齢別の戦略(教育社会学的方法論を意識)

幼稚園

 長男が小学校に入学するとき、大卒人口割合が最も高い市であり、また中学校区のなかで、ある高校入試模試の平均偏差値が最も高い部類の地域で、かつ評判の良い小学校区に引っ越し済みであった。長男の幼稚園はいくつも見学し、こだわって選んだが、あまり意味を見出せなかったので、次男は家から一番近い幼稚園にした(笑)。
 家庭で俺が一番力を入れたのは「一緒に遊ぶ」こと。トランプ・オセロ・花札・Uno・各種ボードゲーム、中でも麻雀が一番効果があったと自負している。次男は既に年長さんのとき「嶺上開花」と園で叫んでいた。やはり麻雀は頭を使うし、コミュニケーションも取るし、上がれば嬉しいし、ロンと言われれば歯のカルシウムが溶けるし。勉強の方は、年中さんのときから算数の問題集を開始。卒園までには小学3年レベルまで達していた。

小学校

 普通に6年間を平和に過ごす。イジメなどの問題も少ない小学校であるし、俺もPTA副会長や学校協議委員もやったことで、学校の様子はよく分かっていたし。
 遊びはずっと同様に継続し、そしてまた「体験する」ことも増やしていった。家族では釣り・キャンプなどのアウトドア、地域ではスポーツもミニバスのクラブに参加。勉強の方は相変わらず算数・数学だけは問題集を与え、分からないところがあれば教えた。数学は卒業までに中学3年の内容まですべて終了。あと「本」は欲しいモノはすべて買い与えた。

中学校

 まあ平和に3年間を過ごす。小学校から続けていたバスケ部に入るが背が低いので重宝されず、試合の時にスコアの係ばかりやらされるので、3年のときにやめてしまう。これには賛成で、顧問の先生の次男に対する扱いがひどかったから。後に次男が語った、「努力してもダメなもんはダメやけど、勉強は努力で結果が出るから嫌いじゃない」、につながるエピソード。
 勉強の方は、もう何も与えず、学校の授業を大切にし、何か困ったことがあったら言いなさい、というのを基本とした。何も困っていないようであった(笑)。定期テストのときは俺の塾に来ることもあったし、中3の夏休み・冬休みは、友人も連れて講習を受けに来た。偏差値最上位の公立高校も十分に狙えたが、遠いから嫌だということで、近い二番手の公立高校に余裕で入学した。

高校

 まあ平和に3年間を過ごす。意外だったのが軽音楽部に入ったこと。これは妻の影響が大きいだろう。大学時代、俺と妻は同じ軽音楽部で俺はドラム、妻はギターだった。音楽にハマるとろくなことがない(笑)と分かっているので、少し心配であったが杞憂だった。まあそりゃそうだ。普通は音楽で食っていこうとは思わないよな。
 勉強に関しては定期テストにおけるご褒美だけ取り決めた。教科ごとに平均点より上であれば500円の報酬。下であれば-500円。例えば10教科中、7勝3敗ならば、500×4で2000円の報酬。負け越せば0円。結果は、3年間、全勝されてしまった。毎回6000円前後を俺の可処分所得からむしり取りやがったちくしょう。我が子ながらトータルで5位以内に毎回入っていたので、こいつ化け物か、怖っ、と思いながらも嬉しかった。


受験勉強

 塾・予備校はまったく無し。3年生になったときに、俺の信用に値する最強の塾講師をアドバイザーにしたことと、夏休み頃に家の近所の自習室に申し込んだくらいである。そのアドバイザーには、LINEにて勉強法・勉強内容を指示してもらい、どうしても分からないことがあれば聞く、というのを基本とした。模試の結果を伝え今後の方針などの相談をながら、各時期における適切な勉強内容を教えてもらっていたようだ。問題集・赤本・参考書は欲しいものはすべて買い与えた。

受験結果

 私立大学は一つも受けず。次男は面倒だと言っていたように思う。どうせ国公立に受かるだろうし。まあ私立大学に行かせる資金的余裕はないし。受験料も謎のシステム・入学金ももったいないし。それで・・・

国公立前期試験、京都大学、理学部、一発合格!!!!! すげえ!
我が子ながら すげえ!
共通テストは自己採点で92.5%の得点率だった模様。
二次試験もかなりの手応えがあったと。
後期試験の受験料は無駄になったが、些事だよ些事。
京都大学のみ受けて、見事に合格って、かっこよすぎだろうよ。

我が悲願、ここに達成! 

もちろん、ちゃんと卒業して仕事に就くまでなんだけど、亡き大親友よ!お前に自慢したかったよ。昨年、お前が自分の娘が大学の後輩になって、かなり嬉しがっていたのと同じぐらいに嬉しいぞ!自慢したかったなぁ~。

やっぱり俺の教育社会学的方法論は正しかったんだよ。苅谷剛彦を読んだ時から、ブルデューを読んだ時から、日々の生活の中にそれらのエッセンスを取り入れ、教育者の末端の末端にいるものとして学習効果を考え続けた結果なんだよ。万人に聞いてもらいたいんじゃないんだ(結構恥ずかしいことを晒しているから)お前に聞いて欲しかったんだよ~!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?