鳳明館周辺の文豪スポット1

鳳明館本館・台町別館・森川別館にご宿泊の際に、徒歩で立ち寄ることのできる文豪スポットをご紹介します。

<まずはじめに…>

1、本郷は閑静な住宅街です。文豪スポットも石碑や看板は立っていてもいまはマンションになっていたり、民家の合間をぬって辿りつく場所もあります。大勢で騒ぎながらの撮影、長時間に及ぶ撮影、許可なく住民の生活写真を撮る(水まき等)、その他住んでいる方の迷惑になるような行為は絶対にやらないでください。

2、Googleマップも道を間違えるレベルに道が入り組んでおり、坂をのぼったりおりたりします。方向感覚を失いますし「このまま行ったら過去に飛ばされて若き日の石川啄木と出会ってしまうのでは」と思うような趣のある小道もたくさん。「すぐそこと思ったら大回りする必要があった!」「こ、この坂を昇るのか!?」みたいなことはしょっちゅうですので重い荷物を持ったままの散策は「鍛えたい」という目的がある時をのぞき、やめておいた方が良いと思います。事前に旅館に荷物を送り身軽な状態にしておく等がオススメです。
(旅館に荷物を送る際は休館日で受け取れない日等もありますので先にご一報ください!)

3、建物等が残っているのはほんの僅か。ほとんどが文京区の説明看板や石碑等です。「ああ、ここに存在していて、この風景を眺めていたんだな…」「なるほどあの話はここで執筆したのか」「ああ、本当にどうしようもない人だな…(と文京区教育委員会の説明看板を見て思うのは、それはそれですごいと思います)」としみじみと文豪たちの存在を感じるスポットとなっております。

<鳳明館周辺の文豪スポット>

*大きな交差点
本郷三丁目駅から出ると、本郷通りと春日通りがぶつかる大きな交差点があります。ここから本郷通りを東大方面↑もしくは春日通りを春日駅方面←に向かうと鳳明館への道のりになりますが、ちょっと寄り道して湯島方面→へ。寄り道部分は紫の☆で印しました。

交差点

*中央公論社があったビル
“(中央公論社が)このビルの三階に入っていたのは僅か2年程ですが、札幌から出てきた宇野千代が尾崎士郎と同棲し始めたきっかけは、中央公論社主幹の滝田樗陰と合った事からです。”
参考:東京紅團「中央公論社の足跡を歩く」
1921年から僅か2年とのことで、残念ながら(?)菊池寛が中高公論社を襲撃した頃には丸の内に遷っていました。

本郷三原堂
創業昭和7年、88年間看板商品である『大学最中』は東京大学(旧帝國大学)の名を冠し、本郷の街を代表する銘菓。森鴎外生誕150年記念事業にて文の都ゆかりの文人銘菓となった『抹茶漬け』も本郷土産として最適。

*藤むら
文豪たちが愛し、数多くの文豪作品にも登場した藤むらの羊羹。
何年頃かは不明ですが、閉店してしまいました。
“藤むらの起源は、練羊羹の元祖といわれる京都伏見の駿河屋(当時は鶴屋)に肩を並べられるような羊羹をつくるよう、加賀前田藩始祖である前田利家が家来に命じたことに端を発しています。”
参考:湯島・本郷散歩 老舗和菓子屋 藤むら(藤村)羊羹編

本郷中央教会
外観に圧倒されます。文豪ではないですが『故郷(兎追ひしかの山~♪)』『春が来た(春がきた春がきたどこに来た~♪)』等、多くの唱和を作曲した岡野貞一が、43年間にわたり教会オルガニストとして、聖歌隊の指導にもあたりました。夏目漱石著「三四郎」の中にも登場します。

麟祥院
春日局の菩提寺であり、井上円了が東洋大学の前身哲学館を開いていた場所でもあり、夏目漱石や森鴎外の小説にも登場するという、ちょっと情報量が多すぎる臨済宗のお寺。緑豊かです。

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*江知勝
明治初期創業の牛鍋屋。コロナは関係なく、今年1月末に閉店。今はマンションを建設しています。
菊池寛が横光利一と川端康成を引き合わせたあと、江知勝で牛鍋を奢った、とか。久米正雄が菊池寛、芥川龍之介と江知勝に行くと、小島政二郎と井汲清治が来ていた、とか。

画像2

そのまま歩いていくと、湯島、上野に出ます。
とことこ歩きながら気になるところに立ち寄ったりと散策していると「あ、本郷から上野ってこんなに近かったんだな」と感じていただけるかと。

以上、寄り道ルートだけで長くなったので、本ルートは次の記事に書きます!

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鳳明館周辺の文豪スポット2

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