鳳明館周辺の文豪スポット3

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鳳明館周辺の文豪スポット2

前の記事では梨木坂を昇って、本館と台町別館の間の道に出ましたが、宮沢賢治旧居跡の看板のある階段をのぼったところにあるのが、菊坂です。
そこまで広くない通りで、700メートルほどですが、ここを歩くだけでも文豪の足跡がたくさん。

まずは菊坂を春日駅側より本郷三丁目駅に向かって(地図でいうと→の方向)ご紹介します。

旧伊勢屋質店(創業1860年)
樋口一葉が菊坂の家に住んでいたときから、生活が苦しくなるたびに通った質屋で、下谷区竜泉町に移ってからも通ったそうです。一葉が亡くなったときの香典帳に、伊勢屋から香典が届けられたことが記されています。
現在は跡見学園が管理保存しており、週末に公開しています。見学希望の方はHPにてご確認ください。

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菊坂を、本郷三丁目駅の方面(地図だと→)に歩いていくと、文豪スポット2で宮沢賢治旧居跡の看板のあった階段が右手に。そのまままっすぐ進みます。
次のスポットに行くのに途中で坂を上がるのですが、目印となりそうなキッチンまつばさんが閉店し、おそばの中村屋さんも派手な看板を出しているわけではないので、目印が…。なんとか地図を見ながら頑張ってください。他の道とも繋がっているので必ずしも菊坂から行く必要はないです。

*本妙寺跡
鳳明館にて以前、本郷が舞台となった『八百屋お七』をテーマにイベントを開催した際に色々と調べました。これも面白いお話なので、別の機会に纏めます。
本妙寺とは、江戸の大半を焼いた大火災、明暦の大火の火元とされるお寺です。恋焦がれて亡くなった娘の怨念が連鎖した末、供養で燃やそうとした振袖が舞い上がり、お寺に火をつけたとされる話から、振袖火事ともいわれています。実際は隣の大名屋敷から出火したのを庇い、そんな話が流布された、とも言われています。(諸説あり)
この振袖火事の話は小泉八雲が取材し、怪談の中で紹介しています。
今は大きなマンションとなり看板のみです。

*菊富士ホテル跡
菊富士ホテルは、明治29年より下宿を経営していた羽根田夫妻が、大正3年、その隣地に開業し、文人たちの集まる宿となりました。宇野浩二・宇野千代・尾崎士郎・直木三十五・広津和郎・竹久夢二・谷崎潤一郎・宮本百合子・坂口安吾・大杉栄・伊藤野枝・高田保・正宗白鳥など、文士や政治家、学者などが滞在したと言われています。石碑があります。
ありし日の菊富士ホテルの様子はこのまちアーカイブスより見られます。

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*石川啄木・金田一京助旧居 赤心館跡
石川啄木は、明治41年に北海道放浪の旅をおえて上京。同郷の金田一京助を頼り“赤心館”に下宿。その間のわずか1ヵ月の間に、「菊池君」「母」「天鵞絨」など、小説5編、原稿用紙にして300枚にものぼる作品を執筆しましたが、買い手がつかず、収入は途絶え、金田一京助の援助で共に近くにあった下宿『蓋平館別荘』に引っ越しました。
ご丁寧に、説明看板にて石川啄木の引っ越し履歴(文京区内のみ)を見られます。現在はオルガノさんの敷地となっており、看板のみ。

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この赤心跡を背中に、左手に長泉寺さんで細い道を地図でいうと↑の方向に行きます。すると、吉沢酒店さんの横の道へ。そこから左を見ると、鳳明館本館の看板が見えます。

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ここで本館や台町別館には戻らず、このまま森川別館の方に向かいます。

*旧太栄館(石川啄木旧宅・蓋平館別荘跡)
啄木鳥探偵処』という作品に石川啄木の拠点として登場します。
一度跡地の前の道をずっとくだってみてから、もう一度のぼってみると、坂の上にそびえたつ木造の大きな下宿があった…というのが実感できるかと思います。
赤心館の下宿代が滞ったため、金田一京助の援助で(文学関係の本をすべて古本屋に売り払ったようです)、共に新築間もない蓋平館別荘に移りました。ここで文芸雑誌『スバル』の発行名義人となり、北原白秋や木下杢太郎、吉井勇などが出入りしていたと言われています。蓋平館別荘は昭和10年に太栄館と名称が変わり、営業を続けていましたが、2014年に閉館しました。ありし日の蓋平館別荘はワイズクリエイトさんの建物と跡・・より見られます。

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*徳田秋声旧宅
泉鏡花・室生犀星とともに、金沢三文豪と言われる、自然主義文学の巨匠。金沢から上京後、文京区内に下宿、その後、明治38年36歳から73歳で没するまでこの地に住みました。ザ・日本の家屋というより奥にモダンな建物が見えます。徳田秋声記念館の年表によると57歳の頃に自宅を増築して新しい書斎をつくったようなので、それかもしれません。
秋に開催される東京文化財ウィークで特別公開されるようですが、撮影は不可のためほとんど情報がなく、自分の目で確かめるしかないようです!今年は公開しているのか不明です。

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*求道会館
一見教会かと思いますが仏教関連の建物です。
“求道会館は、仏教界の刷新を志し欧州の宗教事情をつぶさに経験してきた若き日の近角常観の注文に基づき、新進気鋭の建築家として全く同時期にヨーロッパ近代建築の新潮流を学びその日本への定着を試みてきた武田五一が12年にわたる設計期間の末に生み出したものである。”(HPより引用)
昭和28年以降使われなくなり一時荒廃しましたが、平成14年に修理が完了し当初の形に復元されました。
近角常観は若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と起居を共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場として求道学舎を本郷に開きました。そこには東洋大学創設者の井上円了、津村順天堂(現:ツムラ)の二代目津村重舎、岩波書店創業者の岩波茂雄等も出入りしていたようです。
中の様子は一般公開日に見ることができます。
一般公開日は、毎月第4土曜日13時~14時30分のようです。

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求道学舎は会館の奥にありますが、一般の集合住宅なので公開はされていません。そもそも入口がわからず住民の方々はどこから入るんだろう…と思いながら見ています。
写真は求道会館の中から見える一角。日本じゃないみたいですね。リノベーションの様子はこちらで確認できます。
株式会社アークブレイン:求道学舎リノベーション住宅

*鳳明館森川別館
求道会館の斜め向かいにあるのが鳳明館森川別館です!

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*本郷館
最後にもうひとつ!
森川別館の向かい側に“本郷館”というマンションがありますが、ここはかつて本郷館という女中朝夕まかない付きの高等下宿があり、裕福な東大生芸大生が住んでいたようですが、作家の林芙美子も居住していたようです。一説には学生さんと同棲していたとか。
老朽化による立ち退きと保存したい住民たちとの間でかなり激しいバトルがあったようで、建物は2011年に解体されてしまいましたが、その記録は今もネット上に残り、当時の様子を伝えています。

*東京大学
東大は現在入場が規制されているため、今回は散策コースから外していますが、東大の中にも文豪スポットはたくさん。
いずれ、東大の中のスポットもご紹介します!



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