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アフガニスタン現代史4(ナマンガニーの不気味な3つの予言)

 タリバーンがカブールを制圧して5年後の2001年、不気味な予言が広まった。予言の主はウズベキスタン・イスラム運動の指導者の一人ナマンガニーだと言われている。
 このナマンガニーもしくはナマンガニー・グループはじつは日本人とは深い因縁がある。1994年に起きた「キルギス日本人誘拐事件」の実行犯たちである。外務省のHP内「キルギスにおける邦人誘拐事件調査報告書」にはナマンガニーが日本人を誘拐した経緯について以下の説明が載せられている。
 「今回の事件の犯行グループは、そもそもはウズベキスタンにおいて反政府活動を行っていたイスラム勢力(ウズベキスタン・イスラム運動。直接的には通称「ナマンガニー」野戦司令官配下のグループで、同グループの勢力は800名とも1000名とも言われている)であるとされている。同勢力はウズベキスタンから追われた後、タジキスタンで同国の反政府勢力とともに活動していたが、同国では97年6月の和平合意達成後、和平プロセスが進展し99年8月24日までに武装解除することがタジキスタン政府と反政府勢力との間で合意された結果、タジキスタン領内での活動が困難になった。このためキルギス領を通過し、ウズベキスタン入りを図る途次、今回の事件を起こしたものと考えられている。」(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/kyrgyz/kidnap99/hokoku.html)このキルギス日本人誘拐事件解決のために多大な貢献をしたのがこの授業の講師、高橋博史在ウズベキスタン日本国大使館参事官(当時)である。中山恭子在ウズベキスタン特命全権大使(当時)の右腕として「長年築いた人脈を通じて平和裡に人質を解決するよう犯人グループとの交渉を続けていました。」と中山氏の著書「ウズベキスタンの桜」48ページに記されている。
 この事件の後、アフガニスタン領内に入ったとも言われていたが、7年後にナマンガニーが次の3つの不気味な予言をしたという話が広まったという。

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