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何故『スポーツ指導者は怒ってはいけない』のか?

まず、私自身は(特に選手が未成年の)スポーツ指導者が怒ることに反対です。

元バレーボール日本代表選手だった益子直美さんの『絶対に怒ってはいけないバレーボール大会』の活動はもちろん、この度設立された『一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会』を支持しています。


しかし幅広く指導者の声に耳を傾けてみると、「時には厳しく怒ることも必要ではないか」「指導者が優しくては勝てない」など様々な声が聞こえてきます。

もちろん指導者一人ひとりの考えはリスペクトする必要がありますし、私自身も自分の考えがベストであり唯一とは考えていません。

しかし、この議題に関してはまだまだ議論が足りないという想い。そして議論し続けることに価値があると思い、ここに自分の考えをまとめました。

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Ⅰ:そもそも『怒る』とは?

まず、『怒る』という言葉の定義です。

【怒る】
1 腹を立てる。おこる。憤慨する。「烈火のごとく―・る」
2 激しく動く。荒れ狂う。「波が―・る」
3 角張って、ごつごつしている。角立つ。「―・った肩」

※「コトバンク」より引用

こうして見ると分かりやすいですよね。

「怒る」とは、自分自身の感情の動きなんです。

スポーツ指導現場では「怒る」という言葉を選手に向けた技法のような感覚で使う人もいますが、あくまで怒るとは指導者自身の感情の動きなんです。

先ずはこの解釈が大事だと私自身は考えています。

これは個人の解釈ですが、つまり選手に対し何か指摘する際に「怒る」というのは、「指導者が選手に対して怒っている」のように、指導者自身が主語になってしまうんです。

そして選手は「怒らせてしまった」と、意識が指導者に向きます。

自分が原因で指導者が怒っているわけですから、もう気になってしょうがないですよね。気負いますよね。何とか怒りを鎮めようとします。

競技スポーツは本来、仲間や相手に意識を向け、自分のプレーに集中すべきなのに…

この「指導者が主役」になってしまう状況こそが、私自身が「指導者が怒る」ことを否定する一番の理由です。

じゃあ、選手に厳しい指導や教育をしなければいけない場面がきたらどうすれば良いのか?


Ⅱ:『怒る』と『叱る』の違い

選手が間違った言動をしてしまったら。

そう、叱れば良いのです。

因みに『叱る』の意味は

【𠮟る/×呵る】目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。

※「コトバンク」より引用

これは「相手(選手)の向上や成長」を前提にしていますよね。

つまり「怒る」とは自身の感情のことで、相手のためを思っての行動であれば、そもそもそれは「叱る」になるということ。

もちろん、言葉だけ変えれば良いという問題ではありません。

『じゃあ、自分が声を荒げている時は全て叱っている時だ』という指導者も出てきそうですよね。

しかし、私の中で譲れないルールがあります。

それは、『「怒る」は「主役が自分」』で、『「叱る」は「選手が主役」』であること。

本当に選手のためを想うのであれば、その場の状況や相手の性格を考慮した物言いになります。その最大限の配慮こそが選手への想いであり、選手が主役であるための条件です。

ところ構わず、自分の想うがままに怒りを込めて叱り飛ばすのであれば、それは「自分が主役」。本人は叱っているつもりでも、選手たちには怒っているようにしか見えないでしょう。

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Ⅲ:自分が怒る(感情的になる)唯一の場面

じゃあ、あなたは指導現場では怒らないんですか?と聞かれたら。

正直、何度か怒ってしまったことはありますし、今後も絶対に無いとは言えません。

それは、自分の中で「怒り」を伝えたい行為があるからです。

※因みに、怒り方は相手の年齢や性格に合わせてコントロールします

その行為とは『自分や仲間の心や体を傷つけようとする行為』です。

これは「怒り」と「悲しみ」を表現して叱ります。

「それだけはダメなんだ」ということが、100%伝わるように。そして愛情も同じくらい込めて。相手に伝わるまで何度でも。

そして一つ約束できることは、もし怒りの感情を込めて叱る場面があったとしても、選手の人格を否定するような暴言は使いません。そしてもちろん、怒りに任せて手を出したり、非科学的で過度なトレーニングをさせるような「しごき」は絶対にやりません。

※そもそも暴言や暴力は「犯罪」です


Ⅳ:どうやって変えていくのか

ここまでは自分の考えを書きました。

しかし現実には、選手が委縮するような怒号、時には暴力や暴言がスポーツの現場には根強く残っています。(確実に減ってきているとは思いますが)

もちろん、怒る指導者の元でも成長する選手はいますし、チームが強かったりもします。そして一見厳しくても、素晴らしい指導者もいますよね。

では、どうやって指導者の評価をすべきか?

それは選手達の表情と、その競技を生涯愛し続ける選手が多いか否かです。

選手のレベルやチームの強さは関係ないのか?

もちろん、それが大切だという指導者(そして親御さん)も多いでしょう。

しかし、今一度考えてほしいんです。

その「選手の成長」や「チームの勝利」は指導者が怒る(怖い)という要素が条件なのか?

私はそこに因果関係は無いと思ってますし、もっと言えば怒る指導者のチームには選手としての伸びしろを奪う危険性もあると思っています。(この話の詳細は、また違う機会に…)

つまり、「選手のレベルやチームの強さ」を重要視してもいいのですが「指導者の人格」もそれはそれで評価すべきだということ。確実に選手の人格にも影響を与えるからです。「選手の技術を伸ばしたり、チームを勝たせる指導力はあるけど、人格的に課題のある指導者」と、長所も短所も正しく評価しましょう。


本来、指導者自身や業界の努力で早急に変えていくべきなのですが、そこに通わせる親御さんの評価が良い意味で厳しくなれば、その変化も促進されるはず。

そうやって、スポーツ業界関係者の総力戦で『怒るスポーツ指導者』を減らしていきたいですね。

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