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誤解の砦から相互理解へ ユダヤ・アラブ青小年政治懇談会

山崎エステル(Ester Yamazaki)

2007年1月 10 日のことですが、新聞の片隅に目立たない小さな記事がありました。『彼らは汚い』という見出しの記事でした。

この記事は、ハイファ大学の3人の博士によって04年と05年に行なわれた世論調査の結果を報道したもので、ハイファ大学のユダヤ・アラブ・センターのバイリンガル学会で発表されました。調査に参加したのは、イスラエル全土から選ばれた 22 校, 1,600人の高校生でした(下表参照)。

ユダヤ人高校生のアラブ人に対する見方
アラブ人は、知識人ではない 75%
アラブ人は、賢明ではない 69%
アラブ人は、文化的ではない 75%
アラブ人は、清潔ではない 74%
アラブ人は、暴力的である 75%
アラブ人が恐い 30% ユダヤ人が恐い 13%
アラブ人を理解できる 27%
アラブ人と会ってもいい 48%

アラブ人高校生のユダヤ人に対する見方
ユダヤ人は、知識人ではない 27%
ユダヤ人は、賢明ではない 47%
ユダヤ人は、文化的ではない 40%
ユダヤ人は、清潔ではない 57%
ユダヤ人は、暴力的である 64%
ユダヤ人を理解できる 52%
ユダヤ人と会ってもいい 75%
*「イディオット・アフロノット」07年 1 月 10 日掲載の資料を表にしたもの

私はこの記事を、このまま見過ごすわけにはいきませんでした。引き込まれるようにこの記事を読み続けました。半分以上のユダヤ人生徒達はアラブ人達と会いたくないと答えていました。彼等は、アラブ人は暴力的で知識も充分でなく文化水準も低く汚れていると思っています。アラブ人達は、ユダヤ人は汚れていて暴力的だと思っています。

我が国の人種別統計では、アラブ人は 20%。法的には全ての国民に平等の権利があります。私たちはイスラエルという国で共に生活し、共に仕事をしています。しかし、本当に平等の権利を有し共存共営しているのでしょうか。この記事にはお互いに受け入れられない部分が明確に出ていました。

ユダヤ・アラブ青少年政治懇談会発足
この2007年1月 10 日の新聞記事が強い衝撃となり、時を同じくしてイスラエル教育省は、ユダヤ・アラブ青尐年政治懇談会という組織を発足させました。全国4000校に呼びかけ、その中から双方 30 校ずつが参加して発足したものです。

私はこの計画にすぐに参加しました。この国に変化を起こす絶好の機会と思ったからです。今、何もしなければ何の変化も起きません。切断された状態はお互いの憎悪を増すばかりです。私たちは子供達の時代に何かを起こさなければなりません。

私は 26 教室900人の中学校の先生をしています。教室を巡回して、この計画に参加したいかどうかを聞いて回りました。教室中の生徒達は唖然とした顔で私を見つめました。一部の生徒は「変な先生」が来たという表情、一部の生徒は何故あんなに汚れた人達と一緒に行動しなければならないのかという表情、一部は賛同的な表情でした。私は諦めず、10 人の生徒の勧誘に成功しました。

誤解の砦から相互理解へ
最初の2カ月間は、別々に会合が持たれました。私の生徒は、アラブ人を嫌い、アラブ人はここから出て行くべきだという話ばかりしていました。その後、初めて他の民族のことも知らなければならないと話しだしました。そこで、この機会をとらえ、ここから 10km離れたアラブ村、クファル・カッセン1の中学生たちとの合同懇談会を始めました。

第1回目の懇談会は、お互いに最も離れた位置に座りました。この時点では 私たち教師は何も言いませんでした。先生同士は近づいて大きな声で話しながら笑いました。生徒達はこの様子を見て、驚きの眼差しで私達の様子を見つめていました。10 分程経過して車座に座るように指示しました。当然、半分はユダヤ人半分はアラブ人という半円形になりました。そこで生徒一人ひとりに自己紹介するように指示しました。ここで双方の生徒たちが気づいたのは、皆が同じような名前だったことです。花の名前、星の名前、希望の名前、平和の名前、祖父や祖母を継承した名前でした。二つ目の質問は放課後に何をするかでした。放課後の行動は同じような部活動に参加して、同じようなテレビ番組を見ているという事実でした。皆は大変ショックを受けました。懇談会の終わり近くには、お互いに住所やメールアドレス、携帯電話番号の交換をして、次回は何時会えるのかと聞いてきました。

今日、私の数年の指導体験によって、青尐年政治懇談会への生徒達の勧誘指導、年々スムースに行える環境が出来てきました。しかし、大部分の生徒は依然として、お互いに不信感が強く、近づく状態ではありません。この活動は、週に1時間だけの枠で、これはあまりにも短い時間だと思っています。懇談会では文化や歴史、そしてお互いを尊敬することを学んでいます。また、どのように相互理解を深めるか学んでいます。

2年前のことですが、援助資金を集めることに成功して、40 名の生徒達を2泊3日の死海バス旅行に連れ出すことに成功しました。行きのバスでは、ユダヤ人の子どもとアラブ人の子どもは、別々に一列に座っていました。旅行中は共に遊び、共に休み、共に食事をして、沢山の会話が交わされました。帰りのバスでは、子どもたちが入り交じって座っていることに気づきました。これは大変な成果で、誤解の砦から双方が開放された結果だと思います。

青少年政治懇談会にかける夢
このような活動はもっと数多く行なうことが望ましく、旅行にもできる限り参加させ、保護者同士の懇談会もやらなければなりません。お祭りを共に過ごすお互いの家庭訪問を実行して…。もっともっと積極的な活動が必要です。ユダヤ・アラブ共存に向けての夢は広がります。

今日の青尐年政治懇談会活動は尐数の生徒達に限られた活動なのが現実です。そこで, これからの当面の課題は、更に一人でも多くの生徒が参加してくる環境作りだと思っています。現在この合同活動は、イスラエル教育省からの援助資金枠の関係で、年間で6回というのが現実です。これでは如何にも小ないのです。現状で更に活動枠を増やしてゆくためには、自主的に資金を集めなければならず前途多難です。私達の夢はユダヤ人とかアラブ人という枠ではなく、イスラエルという国のなかでユダヤの風習、アラブの風習、キリスト教の風習を認め合い、共存の考えで進みたいということです。これらの夢は実現可能な夢だと信じています。

08年12月22日の懇談会参加者の声
アラブ側の生徒
アノヮール・サルスール (14才):もっとヘブライ語を上手に話せるようになって良い人たちと出会いたいです。そして、彼らの仲間になりたいです。

ムハマッド・イッサ (15才):楽しい文化的な懇談会でした。ユダヤの文化を学んで仲良くなりたいと思いました。良い関係が続くことを期待します。

ヤキン・アブダラ (14才):良い日だったと思います。ユダヤ人の学校を訪問するのは生まれて初めての体験でした。

タラック・サルスール (15才):ユダヤ人側の生徒が、尐しでもアラビア語を勉強することを期待します。でも、喧嘩をしないようにしましょう。

ユダヤ側の生徒
イダン・ラビネル (14才):懇談会の初めのうちは、驚きました。それは女子生徒がネッカチーフを頭に巻いていたからです。石を投げられるかと心配しました。しかし、それも忘れて楽しくサッカーができました。僕はもう次の懇談会を楽しみにしています。

ニツァン・ブランク (14才):最初は興奮しました それは 今まで一度も私の歳のアラブの子ども達と接点がなかったからです。でも懇談会の間、イスラエルの子と同じように笑って楽しく過ごせました。懇談会の後、私は満足して真っ直ぐに友人のところへ走り、今日の話をしました。アラブ人は私達と違いは無く、とても人間的だと話しました。

マタン・シュロモ (15才):アラブ人は見かけが違うと思っていました。彼等とこんなに簡単に話ができるとは思ってもいませんでした。あちら側の子どもたちは、サッカーのゲーム中、僕の事を「玉ねぎ頭」と呼んでいました。それは僕がヘディングを得意としていたからです。これには笑いました。とても楽しい時間でした。また会いたいと思いました。今度のガザの戦争とは関係なく、また再会できれば良いと思います。(これは、2月20日に発行される「Days Japan」に掲載される記事の原稿です。私たちは「Days Japan」に感謝いたします。)

1 :1956年10月29日のスエズ戦争が勃発したその日、ヨルダン国境に近い7つのアラブ人集落に戒厳令が出された。午後3時30分に発令された戒厳令は夕方5時から翌朝6時まで実施された。クファル・カッセムの村人は戒厳令が施れたことすら知らされなかったという。夕方仕事から帰宅途中、国境警察に発砲され非武装の女、子どもも含め47人の村民が射殺された。これは、パレスチナのアラブ人には忘れられない惨事である。その後射殺命令を出した指令官にたいし裁判が行なわれた。この裁判で、指令官が誤った指令を出した場合は、兵士に拒否する権利があると立法されたという。


中東における未来世代に託す希望 


サム・シューブ(Sam Shube) ハンド・イン・ハンド;ユダヤ・アラブ教育執行事務局長

1月 21 日、エルサレムのハンド・イン・ハンド校2でハンド・イン・ハンド校の校長会議が開催された。会議の目的は、ガザ戦争対応策であった。会議は、非常に緊張していた。参加した校長たちはガザ戦争に対して心を痛め怒りを表明した。一人のアラブ人校長は、ガザに住んでいるパレスチナ人の親戚の事を心配していた。ユダヤ人の校長は、この戦争に従軍している息子の安否を気づかっていた。会議参加者全員が困惑し重大な懸念を表明していた。しかし、誰もが同意する一致点があった。それは、ハンド・イン・ハンドの存在と共学共存の考えが、この困難な時局にあって、彼らの力の源になっているのである。もちろん、これは私の力の源になっていることも当然である。

約1000人のアラブ人とユダヤ人の子どもたちが、今日、イスラエルに開校されているハンド・イン・ハンド校で共学している。ハンド・イン・ハンド・ガリラヤ校は、アラブの町とユダヤ人の集落が深い渓谷で分離されている地域にあり、高い岡の上に建てられている。ワヂ・アラ校は、2000年 10 月に行なわれたデモで 13 人の若いアラブ人青年が、治安部隊によって殺された地域にある。ハンド・イン・ハンドのエルサレム校は、数千年間人類文明が衝突しあった場所にある。ハンド・イン・ハンド・ベルシェバ校は、聖書物語によると、アブラハムがアビイメレフと平和条約を結んだという地域に設立された。

ハンド・イン・ハンド校の子どもたちは、アラビヤ語とヘブライ語を学ぶだけでなく各々の宗教、文化と歴史を相互尊敬する事を学ぶ。毎年年末にある、ユダヤ人のハヌカ祭、イスラム教のエーデルアダー祭、キリスト教のクリスマスを共に祝う。学校は、イスラエルの独立記念日を祝うとともに、パレチナ人のナクバの日を追悼する。ナクバの日はイスラエルの独立をもたらした日なのである。ユダヤ人とアラブ人はこの地でお互いの相違に基づき 60年間も戦い続けてきた。ハンド・イン・ハンド校の子どもたちは、これらの相違は、両民族の生活を豊かにするという事を学ぶ。

私はアラブ人のアミン・カラフ氏と共にハンド・イン・ハンド校の運営をつかさどっている。アミン氏はイスラエルのパレスチナ人である。彼はイスラエル社会のアラブ小数民族として、差別待遇を受けた。彼は、個人的にはパレスチナ人の「ホームランドが無い事」と「希望が無い事」の悲劇を感じている。私は、イスラエルのユダヤ人である。私は、イスラエル軍に従軍する。私にとって、イスラエルは離散とユダヤ人大虐殺を経て、ユダヤ人生活の蘇生を象徴する。アミンと私はどちらが正しく、どちらの歴史解釈が正確であるかという点では決して同意しないだろう。しかし、私たちは将来のイスラエル社会の国民全てが相互尊重、調和と平等の理念のもとに教育されなければならないと考えている点では一致する。この信条は、ハンド・イン・ハンドを構成している親たちや教職員全員の指針となっている。平等の原理に基づき、各ハンド・イン・ハンド校にはアラブ人とユダヤ人の校長がいる。各々のクラスにはユダヤ人とアラブ人の担当教師がいる。

09年1月 21 日に開催された校長会議に話題を戻そう。二人の校長先生が、ガザ戦争二日目の 12 月 28 日の日曜日に校門に立っていたことを話した。彼らは子どもたちが登校するだろうか、戦争に抗議してアラブの子どもたちが登校を拒否するのではなかろうか、イスラエルの子どもたちがイスラエルの町に打ち込まれるミサイル攻撃に激怒を感じているのではなかろうか等々思いめぐらしていたという。学校の開始ベルが鳴り響いた時、子どもたちがカバンを背負い、手に本をかかえて、校門をくぐった。彼らは、お互いに話し合いながら、微笑みながら、ふざけながら共に教室の中に消えていったという。一人の欠席者もなかった。この時、二人の校長は道徳的に勝利したと実感したという。

中東のアラブ人とユダヤ人はお互いの政治家に裏切られ、両政府に失望し、共存よりは戦争を再三選ぶ両側のリーダー達にだまされてきた。私とアミンや教職員全員はイスラエルの子どもたちは、ユダヤ人もアラブ人の子どもも同等に、私たちの未来社会に対する最善の希望であると信じている。私の世代は平和の実現の試みに失敗した。ハンド・イン・ハンド校の子どもたちは、新しい世代の子どもたちで、物事を新しい角度から学ぶ事を勉強している。私たちの最大の希望は、将来、彼らが私たちとは違った行動を取るよう学んでくれる事である。

2:1998年にアラブ人のアミン・カラフ氏とアメリカ系ユダヤ人のリー・ゴルドン氏によって始まったユダヤ人とアラブ人の共学共存教育運動である。バイリンガルで多文化を許容する学校。

学校便り

ハンド・イン・ハンド・マックス・レイン・エルサレム校
廃品回収と環境整理・美化プロジェクト
ハンド・イン・ハンドのエルサレム新校舎は、2007年 10 月に開校式が行なわれた。この学校はイギリス、スイス、オーストリアやリヒテンシュタインなどの国々から集められた 11 億ドルの献金で建てられた。

この学校は、イギリスのユダヤ人で Lord の称号を持つ実業家で慈善家のマックス・レイン氏の名前が付けられていて、5500平方メートルの敷地と5000平方メートルの建物から構成されている。建築はアラブ文化とユダヤ文化様式を調和させたスタイルで設計されているという。

仮校舎から移転してきた生徒たちには、全く新しい環境で創造的な仕事が待ち構えている。今年は、小学校1~2年生には斬新な使命が与えられた。テーマは「廃品回収と環境整理・美化」である。美術担当で環境問題を扱っているヨナタン・ガンオール先生の指導のもとに生徒はこの企画に取り組んでいる。

校舎の一角の地下室に廃品回収コーナーが設けられた。収集する廃品は、プラスチックの瓶、ガラス製品、缶類、紙類やバッテリー等々。特に白い紙は、例え小さくても、無駄にしないように呼びかけている。個人の家庭から持ち込まれるトイレットペーパーの芯や小さなダンボール箱等と再利用して、美術の時間に芸術作品を創り上げ、学年末に廃品利用の1~2年生の美術展を開こうと計画している。

また、1~2年生には休み時間を利用して自由意志で、校舎の入口の清掃と美化の役割が与えられている。イスラエルの学校では掃除専任の職員が働いているため、子供たちは学校の清掃はしないのが普通である。彼等は、自ら掃除をすることで校舎を汚さないように心がけるようになるだろう。ハンド・イン・ハンドの「廃品回収と環境整理・美化」の試みはイスラエルでは稀なことで、環境問題に対する意識を向上させるかもしれない。(マックス・レイン・エルサレム校から寄せられた印刷物から要約―松村)

廃品回収の分類をする子どもたち

開かれた国際語 ー 芸術を通しての共存模索


エティー・アムラム(Etti Amram) ギバット・ハビバ美術センター部長

ギバット・ハビバ3のセミナールはハショメル・ハツァイールのキブツ運動によって設立され、人間の尊厳と平等の推進のための教育活動を行なっている。このセミナールは1959年から平和、民主主義、社会正義、イスラエル社会の尐数民族との相互理解と和睦を目指して活動している。作業研修、セミナール、講習会、会議、研修旅行、調査研究の出版、突発事件や文化の研究分析等々、公式あるいは非公式な形で子供たちや成人の教育が主な仕事である。ギバット・ハビバはダイナミックな組織で、時代と共に蘇り、芸術分野では次のような豊かな活動を行なっている。

芸術活動
芸術は文化や差異を媒体なしで直接的に結びつける教育手段と確信し、ギバット・ハビバ・センターでは、いろいろな活動を行なっている。芸術は開かれた国際語で美学、親近感、崇高な精神等を生み出し、個人や集団を結びつける。全ての活動はセンターの路線にそって、教育的、価値的、個人的、人間的で人道的である。活動は公式、非公式の教育組織で、寛大性、開放性や人間の平等の価値観に基づいて共同芸術活動を行ないながら異民族間で相互の会話が開始される。センターでは青尐年や成人に対して教育的で独特なプロジェクトが実行されている。

「異なった視角」
プロジェクト青小年向けのプロジェクトで、カメラの視角を通してユダヤ人とアラブ人の青小年が講座に出席する。「異なった視角」のプロジェトは、年間特別講座で、専門のグループ指導者に従って、撮影の勉強、平等の精神に基づいたグループづくり、視察、行事や親たちと家族の協力を得て行なう参加者全員の家族撮影を含んでいる。このプロジェクトはすでに9年間継続している。ギバット・ハビバの美術センターはユダヤ人とアラブ人の協力分野で長い間活動している。美術は異なった文化間の差異を結びつける力があるという信念からである。特に現在のような困難な時にはユダヤ、アラブの二つの社会の青小年が入り交じって共にふれ合うことが必要だと私たちは確信する。お互いを知り合い、直接で個々に会話を交わすこれらの会合は非常に重要だと思う。そして美術は、この目的を果たす媒介なしの直接手段であると思う。

プロジェクトの目的
*ユダヤ、アラブ社会の青小年のふれ合い
*媒介なしに民族間の個人的な関係をつくり出す
*平和、共存や民族の主体性を具現化する
*美術表現の手段として、写真撮影技術を習得させる
*カメラを通してお互いの家族を知り合い、親近感をつくり出す
*青小年を通して二つの民族の接近を図る

このプロジェトには、周辺地域からの 10 人のアラブ人青尐年と 10 人のユダヤ人青小年が参加している。講座は1年間のコースで、週3時間、午後開催されている。2人の写真講師(ユダヤ人とアラブ人)、また同様に2人のユダヤ人とアラブ人のグループ指導者がついている。最初の講座はお互いに知り合うオリエンテーションとグループ構成、次にカメラの構造についての勉強、写真の果たす役割、フィルムの現像とプリント(白黒)等である。続いてコース参加者の家族会が開催され、相互の家族訪問が行なわれ、参加者全員の家族を撮影する。もちろんこの過程では相互に会話し、期待することや要望、結論が出される。家庭訪問の最後には、ユダヤ、アラブ紛争問題も話題にする。目的は民族間の交流、親近感、相互承認をつくりだし、その後、難問を孕んでいる「ユダヤ、アラブ紛争」を話し合うことである。このコースの最後には、ユダヤ人とアラブ人家族間に絆が出来、その関係を継続したいという意向が育まれる。このプロジェクトの締めくくりには、優秀作品の展覧会を開催する。

「異なった視角」のプロジェクトには、女性部門もある。異なった民族の女性向け講座で、カメラがやはりお互いを知り合い、親近感を持つようになる媒体になる。この講座は、すでに3年目を迎えている。

「異なった視角」プロジェクトの展覧会は、ここ数年間、カナダやヨーロッパで開催されている。昨年は、ドイツで開催され、現在もドイツ各地を巡回している。これらの展示会は、イスラエルで行なわれている前向きの実践活動を伝える象徴的役割を果たしている。その他の芸術活動には次のようなものがある。

*環境問題プロジェクト - 1年生から6年生までのユダヤ人とアラブ人の子どもたちのための講座で、芸術的な方法で再生品に関することを実際に学ぶ。
*美術展 - ギバット・ハビバにある平和画廊では、年に8~10 回のユダヤ人、アラブ人芸術家の個展やグループ展が開催される。
*陶器講座 - この講座はセンターで成人に一番人気のあるコースである。現在約100人の参加者がいる。
*その他 - イスラエル社会の尐数民族等の青尐年との会合を開催し、近年、特別なプロジェクトも実行している。(筆者はキブツ・ダリアのメンバー)



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