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完璧主義・調舒星と牽牛星の違いについて

完璧主義
万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者と呼ぶ。(Wikipediaより)

十大主星で見るとき
調舒星も牽牛星も両方完璧主義であると私は考えます。
完璧という基準が違うだけ。

調舒星は感性が鋭く、自分から湧き上がる世界観に対して曖昧さを許さない。自分から表現する時、表に出る時に納得するものしか出したくないし出す事もにストレスを感じたりする場合に完璧主義という言葉が当てはまる。(自分が表現したもの、目の前にある世界観が自分の感性と一致しないジレンマや辛さがある)

牽牛星は自分の外に枠がある。こうあるべき、こうであるとカッコイイ、こうありたいという基準は自分の外にある。湧き上がるものというより外の枠に向かって自分を磨いていくイメージです。その枠に対して自分が見合ってない、そこに向かっていくチャレンジが怖い、チャレンジした時に枠まで行かなかった時(挫折や失敗など)を恐れているので完璧主義という言葉が当てはまるのです。

大変なのは調舒星と牽牛星を両方命式の中に内包する時。完璧主義という言葉一つでは片付けられません。特に中心星と東の星が調舒星&牽牛星の場合などは、完璧主義(自分の万全に向かう主義)どこからきているのか内観していかないとチャレンジしにくくなってしまったり現状になんとなく納得しないままに社会活動をするとこになると思うのですがいかがでしょうか。

外の枠に向かって自分を磨く牽牛星。その枠はどこから来ていますか?親ですか、会社ですか?社会ですか?それとも自分のこうありたいという望みですか?

自分の中から湧き上がる世界観をこの世で表現したい調舒星。湧き上がるものに蓋はしないでその世界観が納得するまでだし続けてみたらいかがでしょうか。





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