ガチ から ゴス へ③様式美のエントロピーが増大するとき

エンターテインメントの世界では、80年代に入ると伝統破壊。Vandalsim。蛮行。「荒らし」が行われるようになった。80年代に入る前の70年代後半とはどんな時代だったのだろうか?

まず音楽。洋楽をみる。

再びWikipediaから引用すると

ロックの複雑化・多様化が進み、プログレッシブ・ロック、グラムロック、ニューロマンティックが流行したが、末期にはその反動からシンプルで反逆的なパンク・ロックが英米を席巻した。

複雑化・多様化前のシンプルなロックとは何を指すのだろうか?

70年代、ロックと言えば、ハードロックであったと伊藤政則「ヘヴィメタルの逆襲」に書いてあったが、ハードロックが黄金期を迎え、ピークを過ぎるとだんだんエントロピー増大していったのだろう。だんだん陳腐なものに思えてきたのだろう。より端的に言えば「ダサ」くなってきてしまったのだろう。

パターン化してしまった。形式化しすぎて、形骸化してしまった。それを様式美と呼ぶらしいが。

つまり、最初は形がなかったところから、いつのまにか自然発生式にフォームのようなものが立ち現れてきた。

例えば、駅員さん。昔は切符切りがいた。切符を切るハサミであるリズム刻んでいた。そのリズムはどこから現れてきたのだろうか。電車の中の車掌のアナウンス放送。様式美が過ぎて、内容がはっきり聞き取れない。

そんな状況に、ハッキリハキハキとしかも英語も交えてアナウンスをし始めたら、身も蓋もなくはないだろうか。

パンクとはそういう登場の仕方だったのではないでしょうか。

形式、様式、フォームの否定。

ちなみに、当時、ロックは行き詰っていて、本気で、レゲエの方向へロックがシフトしていく趨勢であったと、その時代に青春を過ごした、現在、還暦を迎えようとしている人は言っていた。

当然、クラッシュみたいなアプローチも出て来るし、ポリスみたいなロックも登場してくる。

お笑いはどうだろう?

浅草をルーツとしたお笑いは、ハードロック同様に形式化され過ぎて、陳腐化してきていたのかもしれない。そこに、ビートたけしが登場して、破壊する。さらに、芸人ですらない素人のとんねるずが、さらに殴り込んでくる。

次は、様式美とエントロピーとの関係を掘り下げてみたい



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