犬

あなたにパートナーは要りません

公私ともに、他責にする傾向のある人とは極力接点を持たないようにしている。

今回はプライベート関連の話。

我が家は妻、私の友人知人が定期的に訪ねてくる。
妻のホスピタリティは非常に評判がよく、愛犬の存在も手伝ってか、つい長居をしたくなる家らしい。
私自身も、住み慣れた自宅でお酒を酌み交わしながら、話をするのが大好きである。しかしお酒が進むにつれ、愚痴っぽい話が出てくるのも事実である。それもまた楽しいのではあるが、程度次第で不機嫌極まりないものになるもの然りだ。

妻の友人は独身者も多い。妻も長く独身で私と結婚したのは不惑半ばを過ぎてのことである。友人たちの会話から感じるのが、生涯独身を通すであろう妻が結婚したことを祝福の中にも、ある種の焦りがあることである。

こればかりは縁や運も伴うので、個人の努力で何とかなるものではないことは百も承知である。しかし、非常に違和感を覚えるのが、ある種の焦りはあるものの、まだ現れぬ相手に過分の期待を抱いていることである。
男女に限ったことではないが、私たちの世代の独身者は、それなりに責任のある立場にある反面、それなりの待遇も得て、時間とお金をかけた個人的な楽しみを見つけている。ただ個人や気の合う友人たちだけで楽しむだけでは物足りなく、パートナーの存在も欲している。それは別に否定しない。が、そのパートナーへの依存度が著しく高いのである。

理想像が高いのは、まだいいのだが、「この人はまだ見ぬパートナーに何ができるだろう?」が全く見えない人が非常に多いのである。

・精神的に自立してます。→で、パートナーは何が嬉しいの?
・そこそこ稼ぎがあります。稼ぎは私のものです。→で、パートナーは何が嬉しいの?
・趣味を楽しんでます。→で、パートナーは何が嬉しいの?

恐らく、経済的、精神的にも自立しているから迷惑かけませんよと言いたいのだろうが、さらに深堀りすると、「長年で培われた自分は変えるつもりもないので、それを理解してくれた上で、〇〇があって、△△であって。。。」と追加要求が続くのである。
この辺りまで話が及ぶと、決まって席を立つようにしている。(愛犬の散歩にかこつけるケースが殆ど。犬がいるのは便利である。)

自分は変えません、変わりません=全部、あなたが合わせてください、でなければパートナーは要りませんと割り切れるならいいとして、そんな自身に都合のいいパートナーはどこで見つかりますか?と相談されても、妻と顔を見合わせて苦笑する以外の反応のほかに適切な言動があれば教えて欲しいものである。


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