信頼関係を考える


そもそも信頼していない

15年以上にわたる友人がいる。同じ職場で働いたこともあったが、諸々共感できる点が多々あり、影響を受けることが多かった。その中で、何度となく言われたことに「安易に人を信頼してはだめ。」があった。
現時点に至るまで、私の指針にもなっている。それがベースにあったからこそ、現在のキャリアなり経験、ノウハウが積み重なったのではないかと思ってもいる。
私自身は、そもそも脆い人間だと思う。だから歯の浮くようなお世辞にも弱い方である。おだてられれば付けあがる要素も多分にあると思う。それにつけ込まれて痛いめを見たのも事実。人に頼りきって、期待通りにならなかったからと不快な思いをすることに疲れを覚えたのかもしれない。
ただ、そう割り切ると楽になった。幸いにして自身の仕事も安易に人を信頼することが憚れるものであり、スキルアップにもつながったかもしれない。
(我ながら、都合のいい考え方だ。。。)

信頼関係を強要する人


2,3年前のことになる。とある人の言動を咎めたことがある。咎めながらも「ほぼ100%反省することはないだろう。」と考える自分もいた。ある種、
絶縁も視野に入れたことだった。そしてその通りになった。
「そういった話をしてくるのは、あなたが私を信頼してないからだ。信頼していたらそんな話が出てくるはずない。」そんな回答だった。言外に信頼されないのは自分のせいでなく、相手のせいというのがにじみ出ていた。新興宗教、ネットワークビジネス、霊感商法の勧誘と重なった。
それ以来、全く顔を合わせることはなくなったが、共通の知人・友人とは今でも懇意にさせてもらっている。そのことが非常に面白くない様子が手に取るようにわかる。未だに言動の何割かが過去の恨み言だ。

こじれた信頼関係は回復しがたい

SNSの普及で、自身の考えも多角的に表明できるようになった。そして他人の考えもバイアスかけずに分かるようになってきた。考えの相違は普通にあること、目くじらを立てることはない。逆に全く異なる考えをストレートに聞く機会は非常に貴重と思っている。
しかし、一定の礼節を持たずに議論になった時の不快さは、耐えがたいものがある。少し前に友人たちと飲んでいた時がそうだった。とあるキーワードを口にした友人に、別の友人が反応した。そもそも、その話をしたくなかっただけだったようだが、それならやんわりと断りを入れれば済む話である。感情的に応戦したことから、どう収めればよいか、そのことだけが頭をよぎった。
酒席が終わった後、何ともいえない不快感が沸き起こった。何より、その場をうまく収めよう、切り抜けようとした自身の忖度的対応に腹が立った。元々、ちょっとしたイベントに一緒に参加した後の飲み会であり、当日になって飲み会にのみ加わってきた友人である。ひとこと「帰れ」と言えばよかった。その後いろいろとやり取りをして一定の収束は見たものの、未だにリアルに再会していない。自分からも何となく誘う気も起きず、相手も同様なのか、特に音沙汰はない。

残念であるが仕方ない

それなりの年月のつき合いがあったわけだが、仕方ないとの妙な割り切りもある。多分「安易に人を信頼しない」が自身に定着しつつある証ではないか
と最近考える。少なくともストレートに意見を戦わせずして、忖度的対応を先に考えてしまうような間柄だったのかもしれない。いい気づきだったと、今はそう思う。

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