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生きることと幸せ【老人ホームで暮らす祖父の話】

約半年ぶりに祖父に会った。

老人ホームに着くと、すっかり痩せて車椅子に乗る祖父がいた。私が遠くから手を振ると、祖父は笑顔を見せてくれた。外出許可証をもらって祖父と母を車に乗せて、今は誰も住んでいない母の実家に向かった。

会うといつも私の生活のことを何から何まで聞いてきてたのに、今回は口数が妙に減っていたので、どうしたものか、と心の中で呟いていたら、母が何かを察知したらしく、「歳重ねると言いたいことがなかなか声に出せなくなるんだよね」と教えてくれた。祖父は軽く頷いたので、私は祖父との会話を楽しむべくゆっくり待つことを心がけた。

祖父が車から降りるのを手伝い、ところどころ痛んでたり埃被っていたりしてる実家を母と掃除した。祖父は久しぶりの家で食卓に座りしみじみと家を眺めていた。少し前までデイサービスに来てもらっていて、その当時のヘルパーさんが書いた色々なメモが少し色褪せていた。

15年前に祖母が癌で亡くなって以来、祖父は広い田舎の家にずっと一人で暮らしていた。当時仕事一筋で家のことが何もわからなかった祖父が暮らしていけるように、母も伯父もだいぶ苦労したらしい。

1時間ほど家に滞在した後、近くのレストランに昼食を食べに行った。祖父は相変わらず大食いで「この人、本当に介護必要か?」と思うほどだった。久しぶりの外食に嬉しかったらしく「あそこはうまい、うまい」と帰りの車内で連呼していた。

そこからぐるぐる買い物なんかして、夕方頃には老人ホームに戻った。

老人ホームではヘルパーさんたちがせわしなく動き回っていた。誰々がトイレ行っていますーだとか、うんち出ただの出てないだの、どこどこに行っていますーみたいな声があちこちから聞かれて全員小走りで動いていた。外国の方も含めてヘルパーさん一人でたくさんのご老人を見ているようで、本当に常に忙しそうだった。

祖父はヘルパーさんたちのおかげで一人で暮らしてた時みたいに「え、お風呂今日入ったの?」とか「髭剃ってないじゃん!」みたいなことはなくなり、爪までしっかりと切ってもらって清潔感があった。それはとても良いことだ、もちろん。でも、なんだか生活が機械的でちょっぴりさみしくなった。施設で決められたスケジュールを淡々とこなして朝から晩まで生きている。これだけ何から何までやってもらえてまだ贅沢言うのかって思われるかもしれないし、祖父にとってはヘルパーさんが常に見ていてくれるという安心感や一人暮らしみたいな孤独感もないだろう。

私は祖父にはできるだけ長生きしてもらいたいと思っている。そのために最善を尽くしていきたいとも思っている。健康にいつまでも暮らしてほしい。

平均寿命もだけど、「健康寿命」を伸ばしてほしい。健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。今、平均寿命と健康寿命には9年ほど差がある。なるべくゼロに近づいてほしいなあ。

祖母が亡くなってから15年経ったけれど、1ミリも忘れたことがない。おじいちゃんは絶対にいつまでも元気でいてほしい。

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