高崎駅_-_panoramio__3_

運動会の日に見知らぬ電車の終点で見た青空について

いじめられていなくても、恵まれていても、人は不登校になる。

中学、高校と、あまり学校に行っていなかった。特に理由はない。強いて言えば、進学校に入って「勉強ができる」というアイデンティティが横一線になり、その次を見つけるのに時間がかかったぐらい。
立ち止まってモヤモヤしている間に、みんなは部活だ委員会だと居場所を得ていって、俺にはそれがなかった。青春の速度に戸惑っているうちに、勉強も手につかなくなって、徐々に学校から足が遠のいていった。

不登校になる理由が明確にある人は、本当に苦しいと思う。ただ、息苦しさに理由が見つけられないのも、それはそれでキツい。
家族に恵まれ、クラスメイトはいい意味で無関心。誰かのせいにしたいのに、自分が自分であること以外に思い当たるフシがないから、消えたくなる。目に見える問題がないから解決策もない。たいまつを持たないまま暗闇を歩いているようだった。どこか見知らぬ街に行き、名前も変えて全く別の人生を生きる妄想をよくした。


高校2年の運動会の日、天気は心情を映したかのように曇りだった。
母校の運動会は、現場で盛り上がる奴と、サクッと抜けてボウリングだのカラオケだのする奴とがいるけど、どちらにしてもつるめる友人があまりいなかった俺には憂鬱で、いつもの「見知らぬ街に行く妄想」が朝からはかどった。はかどりすぎて、朝の出席確認には間に合わない時間に家を出た。

高校から家まで、電車を乗り継いで1時間と少しかかる。最初の乗り換えを済ませたあと、ふと魔が差した。運動会を放棄して、都心に向かう電車の逆に乗ってみたら。どうせ、もう出席にはならないのだし。

いつもの電車の隣のホームに立ち、ほどなくしてやってきた電車に乗った。ラッシュ時間帯を外した下りの電車は東京と言えど座れる程度の混み具合で、窓の外を眺める余裕すらあった。

景色がどんどん田舎になっていく。灰色が減った代わりに自然の緑や青が増える。新宿で降りるスーツ姿や、渋谷に繰り出すおしゃれな若者の代わりに、野暮ったい服装が増えるという変化が起こったが、それ以上に絶対的な人間数が減っていった。


電車の時速50キロで体が学校から遠ざかっていくに連れて、奇妙な興奮がやってきた。思えば、学校に行かない日々は続いても、明確な意思を持って学校の逆へ行く機会は多くなかった。このまま知らない街にたどり着いて、財布の中の身分証明書を全部捨て、数日逃げおおせてヒゲを伸ばし、記憶喪失のフリでもすれば、新しい人生を始められるかもしれない。
いや実際そんなに上手くいくはずはないし、万が一成功しても「第2の人生」がバラ色のはずもないのだが、10月の郊外に降り注ぐうららかな日差しを浴びながらそんな深刻なことは考えられなかった。今を捨てられる可能性が見えただけで心が軽かった。

久方ぶりの安堵もあってウトウトしているうちに、電車は終点についた。関東ではあるんだろうが、何県だかもよくわからない。時刻表を見ると、都内の5分の1ぐらいの量の数字しか書いていなかった。テレビの天気予報と車内アナウンスでしか聞いたことのない駅。電車を降りても良かったけれど、お金がもったいなくてやめた。

天気は東京の朝からガラリと変わり、抜けるような青空だった。運動会の終わりに合わせて都内に戻る電車が来るまで数時間、ホームでずっとその空を眺めていた。


別にその後の日々がなにか変わったわけではない。日常生活は灰色で、俺が運動会に参加したと思いこんでいる家族や同級生との会話は憂鬱だった。
留年ギリギリで高校を卒業し、浪人もしたし、大学は一度中退し、ついでといってはなんだが留年もした。
内定取り消し後、2度めの就活を経て卒業直前の3月に入社許可をもらった会社に、優秀な高校同期に遅れること5年で入ったが、そこもメンタル壊して逃げるように辞め、今もコンクリートジャングルで平社員をやっている。

運動会すらサボったクソ高校生は、心が弱めで逃げグセもついたクソ社会人へと立派に成長した。毎週日曜はいつもこの世の終わりみたいな顔になる。

ただ、逃げようと思えば逃げられる、今の世界を抜け出そうと思えば抜け出せる、そんな光があの時見えた。それが17歳以来、人生をぼんやりと照らしている。


写真:くろふね(CC BY-SA 3.0)


情報はできるだけ無料であるべき、という思いを持っているので、全てのnoteは無料で公開予定です。それでも支援いただけるなら、自分と周囲の人の人生を豊かにするのに使います。