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最北の映画館で映画を観る

以前、日本最北の映画館はどこだろうとふと思って、調べたことがある。するとその名も「最北シネマ」という映画館がヒットした。北海道の稚内にあるらしい。

殊更にこだわる必要もないと思いつつ、それでも最北の映画館という響きはどうも気になって、いつか行きたいなと思っていたところ、9月に北海道でロケがあったので、その撮休で行ってみることにした。

美瑛を出て、旭川、士別、名寄、美深、音威子府、中頓別、浜頓別、猿払。

「北海道の広さをナメるなよ」とは聞いていたが、確かに広大で、行けども行けども道は果てず、その大地の懐の深さに驚く。

カーナビを付けず、Google Mapを使っているので、Wi-Fiが圏外になれば、あとは青い道案内の看板と勘に頼って走るしかない。
北へは一本道だとばかり思っていたが全然そんなことはなくて、音威子府で道を間違え、山道を15kmくらい逆行した。

道中の風景、真っ直ぐな道

猿払の道の駅に着いてテントを張る。広大な芝生、一泊400円だった。
遠く離れたところにテントを張っていたおじさんが「サケ釣りに来たんだが、今年は暖かすぎて一匹も釣れませんナ。地元の名人でもボウズだそうです」と話しかけに来た。

美瑛を昼前に出たはずが、テントを立てて寝袋を敷いていたらもう空は赤い。キャンプ場は山の東側に位置しているので、日没が時刻表より少し早いようだ。

ところで、テントを組み終えてGoogleに目的地を入れると、キャンプ場から目指す稚内の映画館まで、まだ50kmもあることが判明した。地図で映画館と近いと思い込み、下道を220km走ってやっと辿り着いたキャンプ場は、全然道の途中だったのであった。しかし、それを知った上で改めて地図を見ても、北海道全体からすると両者はほんの少しの距離でしかない。大地の大きさに慄く。

キャンプ場から稚内市街へは、山を越えていく道と海沿いの道の二通りがあるようで、海沿いルートは山に比べ更に10kmくらい遠回りになる。

50km走り、山を越えて映画館につく頃には真っ暗だった。

駅のすぐ横にある最北シネマでは『君たちはどう生きるか』をやっていた。
その日の最終上映、客は、私とあともう一人だけだった。

映画が終わって外に出ると、涼しいを通り越して寒い。
駅の周りは静かに街灯が点いていて、鉄路の最北端を示す赤い標識が目立っていた。

駅前のバス停には、英語だけでなくロシア語もあった

帰りは、10km遠回りになるが、海沿いの道にした。山の道は残照の残る往路でも十分に暗くて、クマの気配を勝手に感じて震えあがってしまったのだ。

海沿いの道は、クマこそ居なかったものの、たくさんのシカが歩いていた。エゾジカは本州のシカと比べ、だいぶ大きい気がする。野外で野生動物に会うとなぜか本来のサイズよりも大きく見えるが、エゾジカはなお大きかった。それが暗闇からぬっと現れるのは、かなりスリリングな経験だ。

夜の最北端の道ですれ違う車はほとんどなく、硬い質感の白い街灯に照らされている港町の家々は、温もりを防寒用の二重扉の奥に大事にしまい込んでいて、車のカーステレオに入れていたCDからは加古隆の「青の地平」が流れている。
ボリュームを上げて、窓を大きく開けた。

どっと車内に吹き込んでくる冷たい潮風とオホーツクの轟を見上げると、音もなく星空が広がっていて、鼻の奥がキュッとなった。人間の論理と全く違うところにある、冷たくも暖かくもないただの光の粒の集まる星空は、善でも悪でもない、というところで救いがある。
静かな星空の下、最北端の海辺の道を過走行の愛車の軽で、青の地平の弦楽器とピアノに包まれながら、ひとりシカを避けつつテントに戻る。
10歳の頃に夢想していた光景を、いま叶えている気がした。

君たちはどう生きるか。

私の最北端の映画体験は、映画の後の星空とともにあった。


次の朝、着膨れてノソノソとテントを畳んでいる私のほうへ、昨日のサケ釣りのおじさんが「渋かったがなんとか一匹釣れましたワ」と、恵比寿のような顔で歩いてきた。