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「撮影禁止」について

学生時代のそこそこ長い時間を京都で過ごしたので、神社仏閣に参詣する機会が多々あった。友人が来れば源光庵に行き、気が向けば一人でも、大徳寺や今宮神社を散歩した。

そんな中、いつも不思議に思っていることがあった。

「撮影禁止」という考え方についてである。

カメラが日本に入ってきたのは江戸後期~明治頃、つまり割合最近のことであって、それ以前は「撮影禁止」なんて札は無かったであろう。そもそもカメラ自体が無いんだから、それを禁止する意味がない。
「秘仏」は昔からあれど、「撮影禁止」ルールは、カメラが渡来してから作られた後付けの決まりに過ぎないはずである。

しかし、観光地になっている寺社にいくと、たいていどこでも「撮影OK」「撮影禁止」どちらかの札が、太古の昔からそうと決まっているのだと言い張ってぶら下がっている。

海外ではどうだろうか。以前ドイツの大聖堂に行って撮影していた際には、周りの観光客も皆写真を撮っていた記憶がある。あるいはトルコのモスクでも多くの人々がスマホで撮影をしていた。

宗教施設以外だと、現地に行ったことはないので確証は持てないが、ルーブル博物館のモナ・リザの前では、実に多くの人がスマホを構えて写真を撮影している様子をインターネット上の写真で見ることができる。
私が実際に行ったことのある海外の博物館だと、韓国でも中国でも、館内で写真を撮っている人は沢山いたし、それを咎められている様子はなかった。

もちろん、軍事施設や空港、あるいは川とか橋、港湾施設など、軍事的・政治的観点から撮影禁止となっているポイントはそれぞれの国毎にある。そういった制限は日本よりも海外のほうが厳しそうだが、観光地となっている場所で「写真を撮るな」という国は、世界的にも珍しいのではないか。

そもそも観光地での撮影対象は、ほとんどの場合、撮って減るようなものでもないはずだ。

以前、撮影禁止の根拠として聞いたことがあるのは、「カメラのオートフォーカスや測光で赤外線を使うので、それによって赤外線を当てられたものがダメになることがある」というものだ。

しかし、ちょっと考えてみれば、太陽はもちろんのこと、展示室の白熱電球だって赤外線を出しているわけで、カメラだけがダメだというのはどうも納得できない。そんなに長時間発光されるものではないし、よく知らないがとりわけ強烈なわけでもないだろう。

とブツブツ言いながらネットサーフィンをしていたら、大阪市立東洋陶磁美術館の友の会通信に、興味深い記事を見つけた。1990年に当時の館長さんであった伊藤郁太郎氏の書いた文章である。

詳細は是非上記リンクから記事を読んでいただきたいが、伊藤氏は博物館や美術館での撮影禁止の理由として、大きく5つの理由を挙げている。曰く、

1.ストロボ撮影で起こる可能性のある、美術品の退色を防止するため
2.他客の鑑賞の妨げ防止のため
3.貸与品である場合、他者の所有物を勝手に撮るのはマナーに反するため
4.貴重な美術品は、簡単に気軽に撮るべきではないため
5.館内で美術品の複写物を売っている場合、競合するため

ということだ。
しかし、伊藤氏は記事内で「ストロボを禁止にしさえすれば、これらはほとんど解決するよね」としながらも、次の記事で「版権」問題を語り始める。
その続きの記事はこちらから読める。

伊藤氏の版権問題についての主張は尤もだと思う。が、しかし、美術館や博物館で写真を撮りたいなあと思っている大半の観光客は、なにもこれを使って商売をしようというのではなく、自分や身内へのお土産話用や記録用として撮りたいのであるから、この議論は若干、当初の的を外れはじめていると言わざるを得ない。

商用で撮るとなれば、大がかりに照明や三脚を構えることとなり、とてもではないが他にお客のいる開館中には撮れぬ。撮った写真を使って商売をしようというのが商用撮影であるから、権利関係についてもクリアせねばきちんと売ることもできない。
ということで、商用撮影に事前の許可取りが必要になるのは、皆が納得できるところであろう。

しかし、個人的に楽しむための写真をなぜ撮ってはいけないのか、という問いは依然として残る。

私は伊藤氏が最初に出した5つの理由のうち、やはり4に注目したいと思う。

改めて先ほどのリンク先より引用する。

第四に、あまり表だった理由に挙げられませんが、大事な美術品を気軽に撮影されるのは気分的にそぐわないという心理が働くことです。とくに個人美術館の場合、こうした傾向は強いと思われます。
(前掲:大阪市立東洋陶磁美術館「友の会通信18号 美術館の舞台裏」より)

「心理が働」いている主体が誰なのかははっきりしないが、いずれにしても「博物館に並ぶような逸品を、素人が気軽に撮るのは気分が良くない」という気持ちがそこには確かに存在しているらしい。

しかし、何故なのだろうか。

先にも書いたように、基本的に美術品は撮ったからといって、物理的に減るものではない。また、「売店で売っているポストカードと競合する」というのはとても信じられないし、もし仮に本当にそうだとしたら、それはポストカードの写真が極度に下手くそなのに違いない。照明を組んで良いカメラでしっかりと撮影したであろうポストカードの写真と、ガラスケース越しに”気軽”に撮った写真が本当に競合するというなら、撮影禁止を掲げるよりも先に、ポストカードの写真の方を撮り直すべきである。
だが恐らく、問題の本丸はここではない。

上記引用の「大事な美術品を気軽に撮影されるのは気分的にそぐわないという心理」について、もう少し考えねばならない。

本邦において「公」という概念が極端に薄いのが、これを下支えしているのではないか、という考え方もある。
「みんなのもの」はいつの間にか「管理者のもの」になり、「みんな」は「管理者」の言うがままになっていく。「管理者」が「大事な美術品を気軽に撮影されるのは気分的にそぐわないという心理」を持っていたら、それを「みんな」は基本的に受け入れざるを得ないのだ。

ただ、「公」の議論だけで撮影禁止の心理を語るのは、どうも薄い気もする。

逆に考えてみよう。「大事な美術品を気軽に撮影されるのは気分的にそぐわないという心理」の源は、気軽に素人に撮られることによる軽々しさではなく、逆に素人が気軽に撮った写真ですらも、写真には大事なもの(アウラ?)が写ってしまうのだ、ということの証左なのではないだろうか、と。

そして、当初私が疑問を抱いた寺社での撮影禁止も、この考え方を当てはめるとわりとすっきり理解できる気がする。

貴重なものをそう簡単に気軽に複製させてたまるか、という気持ち。あるいは、神聖なものをそう気軽に増やすな、という気持ちだ。

つまり、これまでの議論の前提をひっくり返すようだが、写真を撮るということは、対象は確かに物理的に減らないが、むしろ物理的でないところで増えてしまうという問題なのである。

他国の事情は詳しくないが、写真に対して、少なくとも日本はなぜか並々ならぬ思い入れがあるように思える。
日本における、その根拠となる理由の思い当たらない撮影禁止物件の多さは、それと何か繋がりがあるのだろうか。

カメラメーカーにしても、ニコン、キヤノン、富士フィルム、ソニー、パナソニック、リコー、オリンパスと、日本メーカーが世界的シェアの上位に数多くひしめいている。

そしてその思い入れは、デジタルデータとしての「写真」になっても、やはり変わらずにあるような気がする。

ネガから印画紙に引き延ばすように、あるいはデジタルデータをコピーするように、一つしかないものが、いくつも同じものに複製されるところに何か特別な感情を抱くものが他にないかなと考えてみると、印鑑に思い至る。
印鑑は、役場に登録するレベルの紛れもない「公的」なものであり、我々はセキュリティ的に高度ではないこのシステムを、未だ大いに活用している。

昨今では脱ハンコが騒がれているが、それでも何かあれば「ハンコ持参で」と言われるこの国。誰が捺しても同じように紙に捺印されるこれを、一体どう考えれば良いのだろう。

印鑑を使った証明において大事なのは、当たり前だが印章(ハンコ)そのものではなく捺された印影である。しかし、その印影を作り出す印面も、規格さえ満たしていれば自分の手彫りで問題ないらしい。また印章の材質も、規格さえ満たしていれば木でもプラスチックでも動物の角でも構わないようだ。

印章は自作でOK。印面も手彫り可。重要なのは、きちんとした印影が、崩れることなくいくつも同じように捺せるかどうか。

印章本体よりも印影を大事にする、という習慣を踏まえると、印鑑と同じような何かの痕跡としての写真に思い入れや神性を感じるのも、少し分かるような気がするような…。他国の事情が分からないので安易な比較はできないけれど。

この先に進むと登場するであろうアウラについてとか、むしろ複製したほうにこそアウラがあるのでは、みたいな話は不勉強な私には手に負えないので、この話はここまで。

最後に、「神」と「紙」の話をちょこっと。

この二つの漢字は「かみ」という同じ音だなあと思っていたら、「越前和紙の里 紙の文化博物館」のページに行き当たった。

このページによれば、

日本では古来より「白い和紙は神に通じる」といわれ、神仏や天地とつながる神聖な場面に用いられてきました。
(前掲:越前和紙の里イベント情報 神と紙遊び展パンフレットより)

とある。

ちょっと前まで、写真は印画「紙」に焼き込まれていた。今となっては液晶での再生が殆どだが、それでもアルバムやプリクラなどに留まらず、まだまだ写真にとって紙は欠かせない。


本邦にカメラが入ってきて、初めて日本人の手で日本人(島津斉彬)が撮影された現存するうちの最古の写真であり、真に日本最古かは不明のが、1857年。日本中で廃仏毀釈が沸き上がったのがその11年後の、1868年。

本邦で複製芸術としての写真技術がじわりじわりと普及しつつあったのとほぼ時を同じくして、一点ものの存在として長く受け継がれてきた仏像や寺が一気に壊されてしまったのには、何か感じるものがあるなあと、思う。