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盆踊り好き

実は、通りすがりでもふらふらと踊りに混じってしまうくらい、盆踊りが好きだ。病禍が蔓延する前は、見かけるたびにグルグルと やぐらの周りを踊りまわっていた。

簡単にだが、私が踊りに入る方法を書いておこう。
たいていの盆踊りは誰に頼まれることなく、勝手に踊り、勝手に帰るものだ。大規模なものだと参加登録が必要なものもあるようだが、私は行ったことがないので、ここに書くのは町とか地域で開かれているサイズの盆踊りについてである。

さて、盆踊りで踊るには、まず踊りの輪に入る必要がある。それには、踊っている人の間に、切れ目を見つけねばならぬ。踊りの輪には、少し隙間があるところが必ずあるので、そこに後ろの人に軽く会釈して入れてもらう。入れてくれない人に会ったことは、今のところ一度もない。
最初は踊りが分からないので、踊れていそうな人を見つけ、その人の動きを一生懸命に真似する。たいていの曲は櫓を半周くらいすると慣れてくる。盆踊りのほとんどの曲は、いくつかの決まった動きの繰り返しなので、それさえ覚えれば、あとはそれを繰り返すだけだ。

二重三重に踊りの輪ができている場合は、まず一番外側の輪に参加し、隙間を見つけては、段々と櫓に近い内側の輪に移動することが私は多い。内側のほうが太鼓に近く、より没入感がある。

ひたすらに曲と輪の進捗、そして自分の体の動きに身を任せていくと、踊りの輪に参加した最初の恥ずかしさは消えていき、段々と汗ばんできて、いつしか心地よさが来る。
大事なのは、下手へたでも上手じょうずでも構わない、ということだ。前後左右の人をどつくことなく踊れればそれでいい。仮にどついてしまっても謝ればいい。

薄暗い提灯の明かり、テープ音源にあわせた生の太鼓、わたあめの機械を動かす夜店の発電機、誰かがくじ引きで当てたらしき鐘、もうもうと立ち昇る焼き鳥の香り、黙ってひたすらに櫓の周りを踊る人の影。

そういう中に行く当てもなく流れに乗って体を動かしていると、此岸と彼岸の境が溶け出していく。
盆踊りなら、前で踊っている人はこの世の人でなくても構わない。見も知らぬ人たちと一体となり、大きな音の中で同じような動きをして輪になって共に踊ること、それそのものが盆踊りの幸せである。

皆と同じ方向を向いて同じ動きをする、その心地よさを思い出すたび、自分の中にある、この根源的な快楽と向き合うのは大変だなあ、と思う。
それでも、やはり盆踊りが好きだ。