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「モモ」

今日は私の大好きな「モモ」という物語について語ろうと思います。

あらすじは「町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。(Amazonの紹介文より引用)」

とまあ、こんな感じです。

主人公のモモには二人の大切な友達がいるのですが、その一人の掃除夫ベッポについて今日は語ろうと思います。


「とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こうおもってしまう。」
(中略)
「いちどにぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことことだけ、次のひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな」
(中略)
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃああかんのだ」
(中略)
「ひょっと気づいたときには、一歩一歩進んできた道路が全部終わっとる。どうやってやりとげたかはじぶんでもわからん。」
彼はひとりうなずいてこうむすびます。「これがだいじなんだ。」

これはベッポの言葉です。

このベッポはけっして間違ったことを言うまいとしている人です。
だから、人に聞かれたことはよく考えて考えて誠実に返事をします。
そして返事をするまでもないと思うと黙っています。
かれの考えでは、世の中の不幸というものはすべて皆がやたらとうそをつく――それもわざと吐いた嘘ばかりではない、せっかちすぎたり、正しく物を見極めずにうっかり口にしたりする嘘――ためだというのです。
でも、あまりにも考える時間が長すぎる為に、ベッポが返事をする頃には聞いた当人はすっかり忘れていたりして、人に頭が少しおかしいんじゃないかと思われているのです。

私はこのベッポが好きです。
周りにどう思われようと真摯に人に接しようとするその姿勢が好ましく、そしてうらやましいです。
こうありたいと思うのですが、中々そうはできないです。
例えば会話の最中、聞かれたことに答えようと言葉を捜しているうちに次の話題に移っていったりして、やっと見つけた言葉も出す機会を逃してしまうことがよくあります。
いや、考えをまとめるのがものすごく遅く下手なので。(笑)
だけど、ベッポだったら、機会とかそんなことは考えずにとにかくちゃんと自分の考えたことを伝えられるんじゃないかと思うのです。(想像ですが)


そのベッポの言葉の中で一番印象に残っているのが冒頭の言葉です。
気の遠くなるような大変なことを頼まれたりしたときに思い出します。
まず一歩ずつ。そしてまた次のことを。
今自分がどこら辺まで進んでいるか、それを確認することも大事だけど、
そればっかりだと、終わりが見えなくて私は怖い。
そしてきっと投げ出して、逃げたくなってしまうだろう。
だから、とりあえず目の前のことを一生懸命やる。

一歩ずつでも前に進んでいることに違いはない。
それが例え亀の如きノロさでも(笑)。


モモのもう一人の友達については、またいずれ。

お読みくださり、ありがとうございました。

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