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004_写真をとる時間、とらない時間

最終更新日:2023/11/1

最近写真ばかり撮っている。とは言っても、今年に入ってからずっと撮りっぱなしなのだが。写真のことを常に考えるようになったのは間違いない。
ただ、写真愛・修行の割合のうち撮影に重きを置きすぎていないか?
今回は自分の写真への向き合い方をレビューしたいと思う。

撮影した写真に向き合うと、自分がどんなものを撮りたいのか、漠然と伝わってくる。

撮影は「易きに甘んじている」状態?

当たり前だ。撮影が楽しい。
まだ見ぬ事象との遭遇だとか、純粋にぶらつくだけでも好きだとか、カメラ操作をしているときに喜びを感じるとか。

ただこれは裏を返せば、自分がやりたいことばかりをやっている事になる。
常に同じことの繰り返しになると進歩・飛躍がなくなり、写真もおそらく同じようなものを量産する事しかできず停滞するだろう。

逆に自分がやりたくないことこそ、弱点であり、克服・努力すべき箇所ではないのか?

平日も写真を撮りたくなって、家の近所をぶらつく。
被写体を選り好みせず、なんでも撮影するのは良い心がけと自認してはいるけど。

イヤなことに直面する

写真活動で嫌な事?私にとって、それは現像かもしれない。

現像はとにっかく時間がかかる。猛烈にかかる。
フォトコン用に仕上げようとすると時間単位でかかったり。
画面を凝視し目を酷使する職業である事も相まって、目が痛くなる。

でも現像を後回しにした結果、手を付けられていないRAWが沢山ある状態になってしまった。10月に関しては5,000枚くらい撮影したが、そのうち現像したのなんて1%に満たないだろう。撮りすぎもあるだろうが、このままで良いのか?バランスを崩しているぞ、と思う。

弱みを自覚して、逃げずに相対しないと。

あとは写真鑑賞の時間も、もしかしたら愛好家基準では少ないのかも知れない。だってSNSで写真見ると、自分の投稿の数百、数千倍のいいねをもらっている写真にあふれてゲンナリする部分があって疲れるのだ。投稿自体は無尽蔵にあるし。でも考えてみれば、撮影だって「疲れる」のでは?
詰まるところ、鍛えてない筋肉を使うと疲れる、って事じゃないのか?

撮影だけでなくて、現像のときにも発見、気づき、新たなものへの遭遇はあると思う。
この写真も、こんな色が出せると思わなかった。
もちろん、言うまでもなくSNSで写真探索すると発見の連続。

迷ったら危険な道を選べ

岡本太郎の言葉。
創造を志す者にとって、これはその通りだと思う。歯牙にもかけないのであれば、そもそも迷わない。安全確保と冒険のどちらが良いか天秤にかけている、そんな状態をイメージする。ここで冒険に踏み出せるかが肝なのだと思う。とは言っても、私もたいがい安定志向なのだが。

だから、危険を冒して、やりたいことをやり、課題を克服できる状態に見を置くことにした。確定ではないが、写真撮影を副業にしようと思う。
お客さんが居る前で、つまらない言い訳は通用しないし、格好の修行になる(現像の目でも写真の目を養う上でも)。そして何より、やってみたい。

私は私なりに、希望を感じる危険な道を進む。
とまぁこんなことを、意思表明のつもりで書いてみました。
今日はこのあたりで。

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