重要なのに近づきたくないもの

 今日の記事は愚痴なので読まなくてよろしい。





 Twitterを使って10年近くなるが、政治の話というのはもっぱら攻撃的な人たちがやっているという印象がある。実際のところはそうでないかもしれないが、そう見えてしまうという話だ。

 素朴に、その政党が掲げるすべての政策に賛成できるなんてことはごくまれだろうと感じるから、どの政党に対しても「ここはいいね」「ここはよくないね」という単純でない評価を下すことになりそうだが、そういう穏当な意見をネットで見かけることは少ない。

 僕のなかで、政治の話題は対立の火種という印象がもはや決定的である。少なくない人々が僕と同意見だろうとも思う。こんな過激な場所にはいたくないと思うし、もっと穏当に話ができる場所へ行きたいと思う。そういう素朴な判断で、政治の場から人が減っていく。

 大切な話だというのはわかっているつもりでも、実際参加するとケガばっかりしそうで嫌だ。政治というのはあらゆる人に利害関係があるお話なので、無関係の第三者から客観的に意見をいただくということが非常に難しい。だから、さまざまな人から話を聞いて何が本当か見極める能力も必要になる。これも参加のハードルを上げている。

 長い目で物事を見て、じっくり考えて選ぶ必要があることだろう。一時の感情で判断できることではないだろう。だから政治の話はインターネットでやらないほうがいいはずだ。インターネットでは皆、自分の抱いた感情を即座に共有すべきだという強迫観念にやられてしまっているから。それなのになぜ、なぜインターネットでこの話を。

 政治、本当の本当に昔から続く長寿コンテンツ。無関心ではいられないけど、でもマジで参入したくないぜ。ちょっとずつ、ちょっとずつ知るか。もうそれしかない。人は殴らない。人は蹴り飛ばさない。

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