太陽が羨ましい

 僕の働いているオフィスには、さまざまなやむをえない事情によって窓がない。オフィス、窓なし。光はすべて人の手によって与えられる。蛍光灯かパソコンか、二択。

 人工光というのは、堅い。範囲が限定されている。領分を侵食しない。ずっと割り切られた光のなかで仕事の研修を受けている。

 無職だった頃、正気を保つために毎日散歩をしていたので、太陽光にはかなりなじみ深かったのだが、たった一ヶ月でその慣習が塵になった。朝、心もとない日差しのなか会社に向かう。昼、太陽がもっとも活発な時間に、もっとも活発に研修を受ける。夜、太陽がしょぼしょぼになった頃、僕もしょぼしょぼのお目目で夜道をゆく。これではまるで太陽との接点がない。

 だから、休日こそ散歩である。僕にとっては貴重な時間。じりじりと肌に刺さる太陽の本気に会いに行ける。まるで遠慮のない、ズケズケと入り込むこれこそがありがたい。この刺激が人工光にないもので、人工光はそれとしてしっかり僕の健康を破壊しているのだけど、太陽ほど実感を持たせてくれる光がないのが困る。

 夏、といっても過言ではない。車内が蒸し器になる。どうして内装が黒一色なんですか。真っ白な塗装の愛車に問う。そりゃ内装白かったら眩しくてしゃーないやろってまあそりゃそうなんですけど。

 そのようななか、申し訳程度に帽子を被って外に出る。信じられないほどの明るさ。僕は生まれたときから電子的な世界の住民なので、ゲームでみた綺麗なグラフィックの世界を現実が再現しているといまだに思っている。そんな僕でも信じたくなる明るさが包み込む。

 太陽の光は色を濃くする。水を張った田んぼにちらちらと見える稲穂の子がド緑(どみどり)になる。葉がその汁以外で僕の皮膚を焼く手段として光の反射が用いられている。朝露がなくとも輝ける応用力の高さに感心する。拍手とかする。

 ここまで貴重になるとやはり嫉妬するしかない。あなたへの嫉妬である。僕が日中、窓のない社屋(窓のない社屋ってほんとうに何?)に入り込み、そこでの行動に応じてお金をもらっている間、あなたは僕の浴びる太陽を独占している。あるいは皆さんの間で分け合っている。寡占。これはもう許しがたい。僕だってちらちら輝く葉っぱを拝んでいいはずだ。現に今までそうしてきた。それがどうしてこんなことに、お金をもらっただけなのに。

 陽の光はどこまでも届くように見えて、意外に無力である。窓がないオフィス(窓がないオフィス?)に勝てないようではまだまだ。インターネットのケーブルが弾け飛んで、僕を迎えに来た太陽がにこりと笑う日を今か今かと待ちわびている。

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