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中国残留邦人の認識がメチャクチャなのに改めない深田萌絵さん

みなさんこんにちは!八洲子です☆

今回は、既に動画で解説している内容ですが、
深田萌絵(浅田麻衣子)さんの中国残留邦人の認識がデタラメである事を解説しますね。
その前にまず・・・

深田萌絵さんのいう「背乗り」について

深田萌絵さんが、「ウチの会社に近寄ってきた大学の同級生に米軍事技術のソースコードを盗まれた!調べたらそいつが背乗り中国人スパイだった!」と言っている話に出てくる「背乗り」ですが。
彼女のいう「背乗り中国人」は、中国残留日本兵のお孫さんが残留邦人の帰還事業で日本に就籍された話なので、背乗りではありません。
その「背乗りだ!」としている理由が、どう見てもメチャクチャなんです。

深田萌絵さんが「背乗り中国人スパイ」と言っている人物は、藤井一良さんという方で、彼女の会社に1000万円の債務弁済を求める裁判を起こしたところ、深田萌絵さんからの執拗な攻撃が始まったそうです。

中国生まれで幼少の頃に日本に就籍されています
中国生まれなので中国のIDもあるようなんですが、深田萌絵さんはその「IDがある!」という話に尾ひれ背びれを付けて「背乗りだ!」と言い始めたようです。
ただ、深田萌絵さんが中国で取り寄せたと言われる中国IDの情報を見ても、藤井さんの国籍は日本になっています。
詳しくは、以前に書いたnote記事をご確認ください。

さて。
ここからが本題。
深田萌絵さんが「背乗りの証拠」としてブログ等で公開した情報がどうしようもないくらいメチャクチャというお話です。

以前に解説した動画がコチラ↓

この動画で解説した事をメインに、今回は文章で解説します。

深田萌絵さんのブログ記事を確認

今回の記事の検証&指摘対象としているのは、
「藤井一良氏、山口県防府市で産まれたファミリーヒストリーが一転して中国残留孤児だと主張」という2018年に深田萌絵さんが書いたブログ記事です。
本来ならこのブログ記事のリンクを貼りたいのですが、個人情報を晒している非常に悪質な記事の為、リンクを貼るのはやめておきます。
気になる方はご自身で検索してください。

デタラメ指摘開始!

彼女の会社に1000万円の債務弁済を求める裁判を起こしている藤井一良さん。
彼の出自を捻じ曲げ「背乗り中国人」であると吹聴する為に様々なデタラメ情報を盛り込んでいます。
切り取り、歪曲、捏造のオンパレードなので、少しずつ解説していきますね。

①中国残留孤児?

最近、藤井君が、日本で生まれ育った由緒正しい日本民族だという2016年までの主張を翻して、「実は祖父は中国残留孤児だった」と言っているので検証してみました。

深田萌絵ブログ

いいえ、藤井さんはご自身やご自身のお爺様を「中国残留孤児」だなんてひとことも言っていません。

まず、彼女は対象がコロコロ変わります。
・治さん(祖父)が中国残留孤児
・健夫さん(父)が中国残留孤児
・藤井さん(本人)が中国残留孤児
これだけでも雑な脳内がうかがえますね。

藤井さんのブログでの主張はこちら↓

私こと藤井一良は中国残留邦人三世であり、正式な手続きを経た上で、家族と共に幼少期に日本に帰化しております。
中国内陸部で終戦を迎えた私の祖父は、戦後も中国内陸部に残留せざるを得ませんでした。そして、そのまま現地で結婚し、家庭を築きました。その後、1972年日中国交正常化後に中国に残留日本兵が生存していることが確認され、その後、政府機関等のご支援により祖父の帰国が実現し、次いで私達家族が日本に帰国、帰化したのです。

http://fujikazublog.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

つまり、
・藤井治さんは中国残留邦人(中国残留日本兵)
・藤井健夫さんは中国残留邦人2世
・藤井一良さんは中国残留邦人3世

という事です。

深田萌絵さんは、この「中国残留孤児」という間違った前提を駆使して、この後も持論を展開します。

※藤井さんは「帰化した」としていますが、残留邦人二世三世は、元々日本国籍を有する資格がある為、「就籍手続きをした」が正確と思われます。

②祖父が1945年に日本人スパイとして中国で捕虜に?

終戦時の1945年、藤井治さんは日本人スパイとして中国捕虜になったそうです。

深田萌絵ブログ

いいえ、終戦から20年程経った1966年の文化革命の時に、「日本のスパイ」であるという嫌疑をかけられたと言っています。
終戦時の1945年に中国で捕虜になったなんて、誰も言っていません。
藤井さんのブログには以下のように説明されています。

しかし、1966年の文化革命により、祖父治は「日本のスパイ」であるという事実無根の嫌疑をかけられ、身柄を拘束され、その後は家族(祖父治妻、息子(私の父))も非常に冷遇な扱いを受けることになります。

その後、衡陽市の医師不足、衛生問題の観点より、医師である祖父治は釈放されますが、その後は常に人民解放軍から監視を受け続ける生活を強いられます。

http://fujikazublog.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

どれだけ歪めて読んでいるんでしょうか。


③そして残留孤児として認められて?

終戦時の1945年、藤井治さんは日本人スパイとして中国捕虜になったそうです。
そして中国残留孤児として認められて、ようやく藤井一良の父が日本戸籍を取得することができるようになったそうですが、年代ずれてませんかね?

深田萌絵ブログ

①で解説した通り、残留孤児ではなく、中国残留邦人(残留日本兵)です。
「年代ずれてませんかね?」ですって・・・?
ええ、深田萌絵さんはどこにも書いていない「残留孤児」という設定で解説しているから、ずれて当たり前ですね。
終戦当時「日本兵」だった方が「孤児」になるわけないですもんね。
ずれてるんじゃなくて、ご自分でずらしているんですよ。

あと、藤井さんのお父様が日本戸籍を取得できるようになったのは、日中国交正常化後だと思いますよ。


④中国残留孤児は満洲に限られている?

あと、中国残留孤児ですが、中国残留孤児って満州の残留孤児に限られているので、兵隊さんとして中国ではぐれちゃった人は含まれていないんです。
以下、定義です。URL共に
==https://www.sien-center.or.jp/kiki4/n14.pdf==

昭和 20(1945)年 8 月のソ連参戦時に中国東 北地区(当時の満洲)などに居住していた開拓団員などの邦人のうち、避難する途中で親 や兄弟姉妹と離別し孤児となって中国人などに引き取られ、自己の身元を知らないまま今 日を迎えた人。中国残留日本人孤児ともいう。
==
と定義されています。
1945年当時に23歳では孤児に該当しませんね。

深田萌絵ブログ

深田萌絵さんがブログに引用した定義をきちんと読めばわかりますが、
「中国東 北地区(当時の満洲)など」とあり
満州に限るとはどこにも記載されていません。
「など」という言葉を無視してはいけませんよ。

中国残留孤児とは、定義としては中国残留邦人等と呼ばれていて、
満州など中国全土が対象です。
満州限定とするような深田萌絵さんの主張は明らかに間違いです。

⑤「1945年当時に23歳では孤児に該当しませんね」?

これは上の④で引用した部分の最後の一文です。

③で解説したとおり、
藤井さんは「孤児」なんて一言も言っていないのに、深田萌絵さんが勝手に「残留孤児だと主張している!」と嘘をついています。
誰も孤児だなんて言っていないんです。
該当しなくて当たり前です。

⑥中国残留孤児が引き取られたのは1958年まで?

藤井の父親、藤井健夫が生まれたのは1953年。
中国残留孤児が引き取られたのは1958年まで。
それまでに生まれていたのに、藤井父は日本に帰ってきませんでした。

深田萌絵ブログ

明らかな嘘情報です。
中国帰国者支援・交流センターのWEBサイトの情報によると、中国残留孤児の帰国は1987年(昭和62年)~1990年(平成2年)をピークに、なだらかに減少しています。

Q4:中国残留邦人の帰国の状況はどうなっていますか?
残留婦人等(婦人だけでなく約1割の男性もある)の帰国は、国交正常化直後がピークで、平成6~8年に2回目のピークがありました。
残留孤児の帰国は、昭和62年から平成2年をピークに、なだらかな減少傾向にあります。
これまで、約6,600人(家族を含めて2万人余)が帰国し、今では200~300人程度の方が残留しています。この中には、近々帰る予定の人もありますが、もう帰国しないという方と、本人が帰国したくても家族の意見がまとまらず悩んでいる方もあるようです。

https://www.kikokusha-center.or.jp/kikokusha/kiko_jijo/kiko_jijo/.htm

深田萌絵さんの言う1958年とは、中国からの集団引き上げが中断された年のようです。(↓サイトの年表参照)

なんで集団引き上げ残留孤児の帰国をごっちゃにしちゃえるのでしょうか?
調べ方が雑すぎますよね。

つまり
×「中国残留孤児が引き取られたのは1958年まで」
→1958年は中国からの集団引き上げ中断された年。
中国残留孤児の帰国は、1987年(昭和62年)~1990年(平成2年)がピーク


⑦「それまでに生まれていたのに、藤井父は日本に帰ってきませんでした。」?

⑥で指摘した文のすぐ下の文です。

藤井の父親、藤井健夫が生まれたのは1953年。
中国残留孤児が引き取られたのは1958年まで。
それまでに生まれていたのに、藤井父は日本に帰ってきませんでした。

深田萌絵ブログ

これは、藤井さんのブログを読めばわかります。
祖父の治さんが初めて日本へ連絡できたのは、1972年の日中国交正常化の後なんです。

1972年に日中国交正常化がなされると、祖父治は防府市役所へ自分の生存を知らせる手紙を防府市役所へ送付します。
そこで初めて、日本の家族は祖父治が戦後も中国で生存していることを知らされます。

http://fujikazublog.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

1972年まで日本に生存連絡すらできなかった治さんが、1953年に生まれた健夫さんをそれまでに帰国させるなんて無理ですし、
前提の「残留孤児が引き取られたのが1958年まで」自体がデタラメで、どこから突っ込めばいいかわからなくなるほどデタラメのオンパレードです。


⑧「中国残留孤児名鑑に藤井治も藤井健夫、藤井一良も名前無いですね」?

この中国残留孤児名鑑に藤井治も藤井健夫、藤井一良も名前無いですね。
==中国残留孤児名鑑==
http://www.kikokusha-center.or.jp/kikokusha/mihanmei/nikushin_start.htm

==厚生労働省の中国残留日本人孤児の記録==
http://www.kikokusha-center.or.jp/kikokusha/mihanmei/mihanmei-script.htm

深田萌絵ブログ

何度もお伝えしている通り、藤井治さんも、健夫さんも、一良さんも、中国残留孤児ではないので、名簿に名前が無いのは当たり前ですし、
なにより、この深田萌絵さんが引用した「中国残留孤児名鑑」というのは、
身元が判明せず、帰国ができていない中国残留孤児の方達の名前を載せた名簿です。

~まだ見ぬ肉親を求めて~「身元未判明中国残留日本人孤児名鑑」
厚生労働省では、身元が判明しない中国残留日本人孤児の方々の肉親調査を行っています。
中国残留日本人孤児名鑑のページはこちら別ウィンドウで開く
※身元が判明しない中国残留日本人孤児の方々の情報検索ができます。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/zanryukoji/index.html

前提の残留孤児という事自体が間違っているのですが、とりあえずそれは置いておいてもですよ、
残留邦人の帰還事業で既に日本に就籍し、帰国を遂げている藤井さんの名前が載っているわけがないでしょう?
身元が判明し帰国できた方の名簿ではなく、
身元が分からず未帰国の方の名簿を出してきて、「名前がない!」と言われても、当たり前としか言いようがありませんね。

自分の主張が正しいと思わせたいが為に、内容を全く確認せず雑に引用したのでしょうか。
内容を確認すればすぐに嘘だとバレてしまうのに、恥ずかしげもなくこれを証拠として提示し続けている事が、私には不思議でなりません。

まとめ

今回の深田萌絵さんの中国残留邦人の認識がデタラメすぎる件については以上となります。
1つのブログ記事だけで、これだけのデタラメ情報が散りばめられているのかと、驚愕された方もいるかもしれません。
私も調べ始めた当初は、まさかここまで酷いとは思っていませんでした。

しかもこれらを証拠として提示し、背乗りの証拠だ!と触れ回り、
個人情報までネットに晒しています。

3年も前に間違っている事は指摘されているんですよ。

にもかかわらず訂正するどころか、指摘した側をなんの証拠もなしに「背乗り中国人の手先」だなんだとレッテルを貼り、自分は攻撃されていると被害者の振りをしてきたのが深田萌絵さんです。
本当にスパイ被害に遭っていたり、背乗りの証拠を見つけたと主張するのであれば、前提が間違っている事が判明すれば真摯に訂正し、改めて情報を出すでしょう。
何故これほどまでに間違った情報をばら撒き続け、指摘されても訂正しないのでしょう。

間違っていると指摘されているが私は間違っていない!というのであれば、証拠と共に論理的に反論すればいいと思います。
しかし、彼女は「攻撃されている!」と被害者の振りをするだけです。
何もかもがめちゃくちゃすぎるんですよほんとに。

最後に

藤井さんは、当初山口県防府市生まれと自称されていたそうです。
藤井さんは何故そのように自称していたのかを、自身のブログで説明しています。

プロフィールの「山口県防府市生まれ」の記述については、
正確には「中国湖南省」生まれ、本籍「山口県防府市」となります。

そのプロフィールを作成したのは今から13年前のことですが、
そのように記載して混乱を与えてしまったこと、
誠に申し訳ございません。

私が自分の出身を「山口県防府市出身」としていたことについての理由ですが、
こちらにつきましては
「大伯母 藤井千代子からそのようにしなさい。」と言われて育ってきたからです。

(中略)

大伯母千代子の口癖は
「あなたは(私藤井一良のこと)本来は防府で生まれるべき人間」、
「あなたは防府の人間なの。」
とずっと言われて育ってきました。

【Q&A回答】 藤井一良が以前、プロフィールに「防府市生まれ」と書いた理由につてご説明します
http://fujikazublog.blog.fc2.com/blog-entry-10.html

さらに、先に紹介した「藤井一良の出生についての正しい情報を公開致します」でも、出自での様々な苦難を語っています。

藤井家は祖父、父、私と3代に渡り、戦争の影響を受け、歴史に翻弄されてきました。終戦後の生き残った祖父治が中国で受けた苦しみは想像を絶するものだったと思います。
戦後70年以上経ちますが、昭和50年代生まれの私自身も未だに戦争の影響を受け続けております。
幼少期、私は中国在住時は日本人である、とのことでいじめられ、日本の学校に転校してくると、今度は中国人だとしていじめられました。私は好き好んでこのような身の上になったわけではありませんが、私はこの事実と一生向き合って生きていかなければならないのです。

藤井一良の出生についての正しい情報を公開致します
http://fujikazublog.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

またYoutubeに、藤井さんの祖父治さんのドキュメンタリー映像を公開しています。
1993年にテレビ朝日「ザ・スクープ」という報道番組で放送されたドキュメンタリーです。
治さんとその家族が、どのように戦争に翻弄されたか、
背乗りだなんだとデタラメな前提を元におかしな勘ぐりをする前に、このドキュメンタリー動画を見てください。
この動画には幼少の一良さんも登場しています。


この動画がyoutubeにUPされてから1年ほど経ったとき、
毎日新聞に女性から投書がありました。
ドキュメンタリー動画にも登場された藤井綾子さんです。
有料記事なので、記事冒頭の部分だけ引用します。

雨中の行進 山口市・藤井綾子(88歳)
毎日新聞 2020/8/18

先日、義妹から「藤井治さんの中国での出来事がパソコンで今なら見られますよ」と電話がありました。私はすぐにインターネットで見ることができました。

 最初に映し出されたのはあの雨中の行進。明治神宮外苑での出陣学徒壮行会です。帽子で早稲田も慶応も分かります。確か昭和18(1943)年10月の出来事です。ゲートルを巻いた大勢の学生の姿に思わず涙があふれました。

 この中にいた藤井治は私の夫の兄です。終戦後、この兄の消息は全く分からず、兄弟は死んだと思い込んでいましたが、母だけは「生きている」と信じていました。それが日中国交回復によって生存が分かったのです。

https://mainichi.jp/articles/20200818/ddp/013/070/009000c

藤井治さんのご兄弟の奥様からの投書と思われます。
Twitterで全文をこっそり教えていただいたので、読みたい方はここからリンクに飛んでください。


戦争に翻弄された上に、
出自を悪用され、自身のパーソナリティを歪めて広められ、
「背乗りスパイだ」
「父親は解放軍幹部だ」
「祖父を中国で殺して背乗りして日本に来たんだ」
などと、酷い嘘をばら撒かれているという状況は、耐え難いものと思います。

「スパイ防止法を!」「背乗り禁止!」「日本の産業を守れ!」と、日本の国家の安全を守る為に見える事を言っているからといって、それだけで持て囃す人達は考え直してください。
あなたは、言っている事の大枠だけよければいいんですか?

「どちらが間違っているかは、背乗り裁判の結果を待てばいいのに」などという人がいます。

彼らがいう「背乗り裁判」というのは、
まもなく判決が出る予定の平成25年ワ31235の事だと思いますが、
その裁判はそもそも「背乗り裁判」ではなく、
藤井さんの会社が深田さんの会社に債務弁済を求めている裁判です。


また、私がこの記事でデタラメを指摘した①~⑧の部分は、背乗りか背乗りではないかは全く関係ありません。
深田萌絵さんの発する中国残留邦人の認識がことごとく間違っている事を指摘しています。
明らかな認識の間違いを指摘し、正しているだけです。

そして深田萌絵さんは、これだけの間違った認識の上で主張をしている事を伝えているだけです。
まずは間違った認識を正すべきだと思いませんか?
間違った認識の上で主張されても、否定されるのは当たり前ですよね。

維新の足立康史議員が昨年、この件を国会で取り上げましたが、
それは彼女の中国残留邦人の認識が「間違っている」という事を、国の見解を確認する事により明確にしただけです。
「DNA鑑定はいらない」なんてことを確認したと思っている人は、足立議員の質疑内容を確認せず、深田萌絵さんの動画だけ見ている人でしょうね。
DNA鑑定の話なんて質疑で出てきていませんから。

国会議事録も置いておきます。
第204回国会 衆議院 内閣委員会 第30号 令和3年6月4日


おまけ


「深田萌絵さんの証拠のない背乗りの真実」

最近の深田萌絵さんの言う「背乗りの真実」は
中国で藤井治さんの息子である健夫さんが殺害されて、
そこに中国人が入り込み、
治さんの死後、治さんの配偶者だと中国人が婚姻届を提出し、
成人している子供(健夫さん)の出生届も提出し、
一良さんが帰還事業で日本政府の正式な手続きで日本の戸籍を取得してしまった。そしてなんと鄧小平の孫だ
…という感じのようです。

米国の元軍人のサンガリという方のYoutubeチャンネルに、深田萌絵さんと彼女の会社の自称「F-35の主任設計者」ジェイソン・ホー氏がゲストで登場した際のプレゼンの画像にこのような解説があります。

https://youtu.be/W4X1caV07Kc
(2021年4月27日)より引用

Real Fujii Tateo(left) has been killed in China before 1990.
【訳】本物の藤井健夫(写真左)は1990年以前に中国で殺害された。

https://youtu.be/W4X1caV07Kc

「殺害された」などという情報のソースはどこにもありません。

(健夫さんの名前がタテオと間違っていますが、そこは本筋からズレる為、スルーします。)
(さらに本筋から外れる話ですが、「殺害された〜」とソースのない解説をしている兄弟の映る画像は、藤井一良さんがYoutubeにUPした祖父治さんのドキュメンタリー映像から引用したようです。何重にも悪質です。)


一体、なにを根拠に「殺害された」などと言っているのか

彼らの今までの主張を掘り起こしたところ、
しいていえばこれ…かな…というのが、このブログ記事です↓
背乗り日本人呉思国の実の父(鄧小平孫娘婿)が逮捕!? - 深田萌絵 本人公式ノンポリ★ブログ(2017年6月14日)

http://fukadamoe.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html

↓魚拓(※2023年1月に深田萌絵さんのブログが全削除されました)(https://web.archive.org/web/20221006143522/http://fukadamoe.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html

中国で謎の死を遂げた藤井治氏の戸籍を乗っ取った呉也凡は、戸籍上の息子呉思国を「藤井一良」として、生後10歳の頃に中国大使館経由で日本戸籍を取得した。
彼の訴訟詐欺に私も巻き込まれたのがキッカケで彼の戸籍を調べることになったんだけど。
そのなかで次いでに彼の父親(呉也凡=藤井健夫)の戸籍も見つけたんだけど。
で、呉也凡と呉思国(藤井一良)の顔がイマイチ似てないんだよね。中国人って、自分の子供を親戚内とか親友の戸籍に入れたりする人もいるから、実はどうなんだろうと思ってた。
こないだ中国人が「藤井の血の繋がった父親らしい人が共産党に逆らって逮捕されそうで、出国禁止令が出た」とは聞いてたんだけど、遂に逮捕されたみたいです。
ニュースで中国大手保険会社アンバングループ呉小暉の逮捕を見てアッと思った。
藤井君に顔がソックリ(・_・;
笑った時の目の感じと、鼻の形。まるで藤井君…

ウィキペディアで見ると、もっと面白いことが。
彼が子供たちに名付けた、名前が『自由』『民主』という謎のネーミング。
呉自由
呉民主
呉思国(藤井一良の本名)
と並べてみたら、ネーミングセンスからして兄弟でも何の不思議もない(・_・;

・・・というものでした。
つまり、
コッチのほうが顔が似ていると思ったからこっちがホンモノだ!
・ネーミングセンスもなんか似てる!
という深田萌絵さんの個人的な感想
ですね。

しかもなんとこのwiki情報は、一時的に改竄されたデマ情報だったようです(笑)

wikiに騙される深田萌絵さん



https://zh.m.wikipedia.org/wiki/Special:%E7%A7%BB%E5%8A%A8%E7%89%88%E5%B7%AE%E5%BC%82/44124607

つまり深田萌絵さんは、なんの裏取りもせずwiki情報をそのままつかっちゃう人ということでしょうか(笑)
このwikipediaはとても便利な情報サイトではありますが、誰でも書き換えられるので、【wikiに載っている=事実】ではありません。
そこからさらにソースを確認する作業をしないと、騙されることがあるのでみなさんも注意しましょうね☆

さらに、誰も知らない、藤井さんの親族すら知らない乗っ取りの真実を深田萌絵さんだけが何故か知っているかのような主張を展開しています。

親族も知らない中国での乗っ取りを語る深田萌絵さん

いったいどこで見たんでしょうね(笑)
もちろんソースはありません。
深田萌絵さんがただ言っているだけです。
自分の都合に合わせたストーリー展開をする為に、なんのソースもない、その場の乗りでコロコロ変わる話をしているようにしか見えません。
藤井さんの親族に対して、失礼にもほどがありますね。

愛国保守と言われるみなさん、
本当に日本を守りたいのであれば、きちんと情報を精査してください。
流れてくる情報に溺れないでください。
悪意ある人物が流す間違った情報を振りかざして、同胞を痛めつける行為をしていないか、振り返ってくださいね。

関連記事など


6月17日に判決が出る予定の平成25年ワ31235で、深田萌絵さん側が争点のように見せている「原告はアプリケーション開発の義務を怠り履行しなかった」という話は、既に別訴で「開発義務なし」との藤井さん側の主張が認められてる・・・というお話。


深田萌絵さんは、裁判所の外では「中国人!背乗りスパイが!」とマイクで叫んでいますが、
裁判中に原告藤井さんへはその肝心な話を尋問しませんでした。
裁判を利用した場外乱闘トリックのお話。


裁判の尋問で、ジェイソン氏が藤井さんの中国ID情報入手方法を語りましたが、今まで時と場合に合わせてコロコロ入手方法がかわっていてメチャクチャ、というお話。
尚、その入手したID情報でも、藤井さんの国籍は「日本」と記載されています。


平成25年ワ31235の原告側の主張


平成25年ワ31235の判決が出ました。


結果、原告の主位的請求は棄却されましたが、予備的請求は認められました。
つまり、1000万円は債務である為、契約書通りの年利もつけて弁済せよとのことです。

深田萌絵さんはこの判決について、個人的には勝訴と言っているようですが、深田さん側の主張である
・藤井さんが中国スパイ
・ソースコードを盗んで中国に渡した
・債務返済の話し合いの音声データはディープフェイク
など、深田さんのスパイ被害話の根幹となる話はどれも認められていません。

東京地裁前で支持者らの前での演説で、深田さんは控訴すると言ったようです。
(その時は何故か「上告する」と言っていましたが控訴のようです)

控訴棄却されました(2022.12.07)

完全勝利宣言?!

深田萌絵さんは、「深田萌絵を詐欺師だとする訴えは、彼は敗訴してますので、私の完全勝利です」と完全勝利宣言をしていました。

深田萌絵さんの言う「深田萌絵を詐欺師だとする訴えは、彼が敗訴している」というのは、
原審である平成25年ワ31235で、原告である藤井さん側が深田萌絵さん側を訴えた内容に、首位的請求として「1000万円を最初から返すつもりがなかったから詐欺だ」とした主張があったのですが、
東京地裁は被告側が最初から返すつもりがなかったのかどうかは判断せず、その部分は認めなかったということです。

民事裁判で詐欺を認めることはなかなか難しいらしいです。
詐欺は刑事案件ですからね。


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