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ごはんについて書くための習作70

雨。数日前、普段使っているカメラアプリ「FILCA」がアップデートされた際にシャッター音がなるようになってしまった。別にシャッター音が鳴らないから使っていたのではない。フジのデジカメのようにフィルムシミュレーターが付いていて、ちょうど良い具合に効果を調整できるから。しかし、あの偽物くさいシャッター音は撮影のモチベーションを限りなく0にした。せめて犬の鳴き声に変えられるとか。

CO-OPの宅配を受け取る。昼食へ。一人で昼食を食べた時に日記を書くことにしている。必要とされていない何かを作り続けるには、そういうフックがあるといい。いつもいく商店街。雨の割には人出がある。12時45分。瓶ビールを飲もうといつもの町中華、自動ドアのガラスから見える席は全て埋まっていて、念の為、中に入り奥の席が空いてないかと確認するが満席。仕方ない。斜向かいくらいにある中華料理屋(大皿料理があるので町中華とは呼びずらい)へ。円卓を四つに仕切った席に座る。仕切りの目線にくる位置は紙で隠されていて、手元部分はアクリル板になっている。左右の人の手元が見える。

瓶ビール、ザーサイ、コーロー麺。コーロー麺は豚角煮が乗った麺。瓶ビールは三種類あったが、選んだのはサッポロの赤ラベル。いわゆる「赤星」。でも「赤星」とは注文していない。寿司屋でお茶を「あがり」と注文するくらいの恥ずかしさがある。

日記を書く時、何があったか記憶するのが面倒というか、得意でないというか。なので、何枚か見えている様子を写真に撮る。そして見たものをそのまま文章に置き換える。しかし、シャッター音がなってしまう今日、この文章は記憶を頼りに書いている。そうすると記憶が薄い分、自分の考えが入り込んでくるようだ。少し長い日記を書く人はどうやっているのだろうか。記憶力がいいのか、こまめにメモを取っているのか。武田くんから勧められた『富士日記』を読んでるといつも思う。

左手側に小さなコップ。円卓に置いたまま、右手でビールを注ぐ。ビールを少し奥に置き、右手でもう少しで読み終わる『センスの哲学』を机に押さえつけるように開いている。書籍名が間違ってないかと、Google検索をしようと「センスの」まで打つと、「センスのいい手土産」とか「センスのいい時計」といったキーワード候補が出る。Googleが先回りして生成しているので、多くの人がそう検索しているわけではないと思う。
ザーサイが到着。箸を割るために本を開いたまま裏返す。右手で箸を持つので、本を左手に移動。入れ替わりでビールの入ったコップは右に。瓶ビールと並ぶ。ザーサイの皿は正面に置くが、コーロー麺がいつ来ても良いように、30cmほど奥へ配置。

同じ円卓の右、手の皺と携帯カバーの趣味から60代くらいの女性。食べ終わって財布を机に出した後もメニューを眺めている。中華鍋が振るわれる音のするキッチンからは予約の電話。今日は14:30までだと断りを入れている。円卓の左に男性客が着席。回鍋肉麺と麻婆豆腐(小皿、中辛)を注文。ライスかビールを頼むだろうと思っていたのに頼まず。途中、BGMがピアノアレンジの名曲カバー集から、ガットギターのソロ曲集に。一曲目が「Cavatina」。昔、大学時代に友人と作ったCDの最後に入れたことを思い出す。もう弾けないと思う。あのCDはどこにいっただろうか。ホールからキッチンへ「生ビール中、大、紹興酒のお湯割り」とオーダーが通る。
写真を撮れないから、日記のために周りの状況が気になりだす。

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