よい本を教えてください

普通じゃないことが怖い。

私が生まれ落ちてしまった環境はあまりにも異常だった。他人の目をずっと、内側からも外側からも気にし続けていた。そうしないと死ぬと、心の中で漠然と、しかし本気で思っていた。いつもこんなに怖いんだから、いつか恐ろしさで死ぬか、誰かに殺されるかするんじゃないかと、皮肉のように全てに呆れながら思っていた事もある。

学校に行けば、信じたくもない事を信じていないといけないから、周りから浮きまくる。どうしてこんな事に、と思うけど、他の人間は上手く「人間関係」というものをやっているらしいし、宗教のせいにすると神にいずれ殺されるらしいので、自分が悪いということになる。それでも殺されるよりマシだ。でも周りからの白い目、どうして同じ事をしないの?という無邪気な疑問、それが全身を刺すように伝わってくる。みんなと同じようにできたら、みんなと同じように遊べたら、どんなに楽だろうか、と何度も思った。しかしそんな事を言うと神にいずれ殺されるので。それが正義らしい。神は両親やその他信者の顔をしていた。

次は、どうにか紛れこもうと、カモフラージュしようと、馴染めなくても目立たなければそれで良いと、そう思った。ところが神はそんな事も許してくれないらしい。何がなんでもたとえ白い目が刺さりまくって羞恥心で心停止しようと神の存在とやらを喚き続けながら死ななければならないらしい。そんなん自分で勝手にしろ。お前が死ね。自己責任という言葉を知らんのか。今回は神は母親の顔をして出現してきた。というかだいたい母親の顔である。母親は異常に過保護で毒親であったし、そんな母親を放っておいた父親も同罪である。しかし本人たちは至ってまともな教育をしてきたと思っているらしいし、度の行き過ぎた教育にも愛があればそれでOKなんていう頭お花畑の極みみたいな考え方をしている。愛の本質を全く理解していない阿呆の発言である。ばかなのか?ばかなんだろうし、本当のばかは自分がばかである事を認識していない。手の施しようがないのでもうあきらめてさっさと死んでほしいと思っている。しかし大学の費用も工面しなければならないからあと4年だけ生きてポックリ逝ってほしい。大学院は奨学金で行く。でも奨学金出なかったらあとプラス2年働いて。

その(私にとっての)事件は学校帰りの車の中で起こった。母親は異常に過保護なので通学路の途中まで車で送り迎えをするのだ。一人で歩いて帰りたかった。馬鹿みたいにでっかい金ピカの車で来るから周りにも冷やかされる。我が家ではその車の事を「金閣寺」と呼んでいた。購入した本人たちもやけに成金趣味である事は理解しているようだ。しかし一人で通学するなんて言ったらどんな怒り方をするのか分からないので毎日黙ってそそくさと車に乗って窓から見えないように体を縮こめていた。そして友達も話し相手もいないので仕方なく母親に一日の出来事を話す。だいたい母親にとって耳ざわりの良いように、慎重に話す。とりあえず学校の生徒はバカだということと、自分がいかに「信仰」があってちゃんと「神の名を知らしめながら」生活しているかを話して、やっぱり宗教を信じていないバカはバカだという事で締めくくればだいたい満足する。それが母親の世界観なので。その日はついうっかり本音をすべらせてしまった。給食の時の合掌について、「周りのみんなが、私も机の下で合掌してるって思ってくれてたら良いのになぁ」と言ってしまったのである。どういうことか。基本的に仏教由来であろう給食の合掌は、あの宗教にとってはゴキブリ同然に忌み嫌う異教の習慣であるので(そんな事は言っていないと信者にクソリプを頂きそうだが本質的にはゴキブリ同然の扱いである)私はそれを禁止され、みんなが手を合わせていただきます!と元気よく叫ぶ時には非常に居心地悪く固まるしか無かったし、みんなが食べ始めたその後にさらに居心地の悪い思いで手を組み、ゴニョゴニョと祈りのような何かを呟いて(その中に本物の祈りが含まれていたとしたら『早くお祈り終わってくれ!』くらいしか無かっただろう)、モソモソと給食を食べるという一連の流れが習慣となっていた。自らの身を投げ打って私の糧となってくれる食材さんたちに感謝の祈りを捧げる事はすなわち神の怒りを買う行為であり、神さまはなんでもかんでも「あなたが一番すごいでしゅね〜よちよち」とご機嫌をとってもらえないと気が済まないらしい。食材さんには口も目も耳も無いが神は四六時中私を見張っていて少しでもルール違反をすると生き残しリストから除外するらしい。どこでそんな執着心と心の狭さを培ったのかな、そのエネルギー使って街のゴミ清掃でもした方がみんなに慕われそうだよ?創ったのはあんたかもしれないけど育つ努力をしたのは生き物だぜ。そこんとこ評価しないで全部自分の手柄にするのって上司としてどうかと思う。うん。分かんないか。
かなり話が脱線したけど、まぁそういう事で周りの視線があまりにも苦痛だから机の下で合掌してるって思ってくれないかな〜ってそりゃ子供なら誰だってそう思うでしょ。ところが母親は怒った。なんかよくわかんないけどとにかく宗教のルールが第一で、子供の気持ちやら疑問やらは一切排除してルールを守ることのみが善だと思っているぽかった。黙って言う事さえ聞いてりゃ母親は満足するんだけどその要求する事のハードルが高いんだよねぇ。まぁ宗教のルールを破ったら我が子が殺されるんだからそりゃ必死になるか。そんな神様捨てちまえよ。神にビビりながら永遠に生きるっていうのも地獄の苦しみじゃね?地獄の責め苦のひとつに加えてそこに宗教で儲けた詐欺師全員ブチ込んでほしい。けれど前に読んだ宗教の書籍に「神に対する恐れだけで信仰していませんか?恐れではなく愛を持って信仰しましょう」みたいな事が書いてあった時には「は?」って思ったし今思い出しても「モラハラ旦那かな?」って思っちゃう。その当時は「は?」って思った後に「宗教の言ってる事全部正しいらしいから信じなきゃ理解しなきゃ信じなきゃ信じなきゃ信じなきゃ信じなきゃ」って思ってたけど。こわいね。
ま〜た脱線しちゃった。宗教に対する思いが溢れすぎてるね。この調子ならそこら辺の信者よりも宗教に対する熱意があるって表彰されちゃう。うふ。
とにかく母親は怒った。なんかよく分からん雰囲気で圧迫してくる感じの説教を帰り道ずっとされた。メンタルにきますね。なんかよく分からんけどとにかく隠す事も良くないらしい事は分かった。宗教を信じてるおかしな人間である事を天下に晒し続けニコニコ笑っていなければいけないらしい。そんな阿呆な事があるかと思っていたけど実際にあるんですね。世の中は広い。広いが故に苦しみがそこかしこに散らばっててアッサリそこにはまって動けなくなって世界が狭い〜って思いながら泥沼に沈んで死んでいくんですね人間って。おもしろ。

とにかく他にも両親信者以外とほとんど関わりの無いクソほど狭い生育環境だった事やら、母親が根性論と教育ママと若干自然派という最悪な組み合わせの教育方針だった事、我にコミュ力が無さすぎて友達がいなかったこと(だって話が合わないしわざわざ合わせるのもめんどくさいんだもん)、学校と部活がめちゃくちゃブラックだった事、などなどが合わさり、洗脳教育の功労で異常を異常だと思う事も出来ず、誰も憎むことの無いまま清らかに私は壊れていきました。全部自分が悪いと思ってた。というか人のせいにしたらまた神に殺されそうだもん。純粋だねぇ。私の人生映画にしたら人間の悪いところ全部詰まった最悪なのができて、観た人全員吐いちゃいそう。
壊れきった後にインターネッツという現世の煩悩の塊みたいな場所を知り、普通に面白いから読んでたら、ある日いきなり同じ宗教の元二世の人の漫画が取り上げられてて、まさか!まさか!まさかまさかまさかまさか!と思いつつ思い切って、禁じられていた、宗教に関してググるという行為をしてみたら…

はい!カルト宗教でした〜!わ〜!私生まれてからずっと騙されてました〜!変だな〜とは思ってたけど変だと思う事も禁じられてたので!はぁ〜それがお前らのやり口か!人生を使ったアハ体験というエンターテインメントかこれは?!

もう笑うしかない。衝撃で身体中がブルブルしていた。怒りなのか呆れなのか安堵なのかよく分からない感情がごちゃごちゃになって無の高揚感があった。無の高揚感。

そこから私は宗教をやめると親に宣言し(だいぶ大人になって自分で決めた事なんだから尊重しようと言う結論になった、良かった、良かったけど子供の意見も尊重しろやそういうとこやぞ)普通の人間になる事を決意した。

けど普通ってほんとに難しい〜!
私が普通になろうと努力しても、こちとら普通を最近勉強し始めた1年生で、同級生はもう20年近く普通をやってるプロなんだもん、いつまで経ってもなれる気がしない。
それに、昔、私を奇妙な目で見つめていた普通の人たち、その人たちもよく見たら普通じゃなかったりする。たぶんその人にはその人の苦しみがある。けれどワシも苦しかったんじゃ〜!うわぁああ!他の人はお前より苦しいんだからっていう同調圧力ほんといや!うちの親がよく言ってたから尚更嫌!
普通=幸福 みたいに考えて頑張ってたのにどこにもそんな完璧なものが無いんだもん、どうすりゃいいの私。
親に言われた事はもう1ミリも信じたくない、それがたとえ正論だったとしても嫌悪感の方が100倍あるから。でも他の人間が言う事も正しいのかどうか分からない!ふぁくとちぇっくふぁくとちぇっく!
絶対これ宗教信じていない人間は全員悪者みたいな極端な考えを植え込まれたから人間不信になってるんだよな、あ〜クソムカつく!やめたのに宗教の影響受けてんの本当に嫌!腹立つな!
もう絶対人に騙されないで生きていこうと思ってもそうやって生きるのもしんどいしでもそれやめたらホイホイ人に騙されそうで怖い!洗脳のせいでお人好しすぎる自分が不安!嫌だ〜!もう普通って悩みが多い!多すぎる!

でも普通ってそういう事なのかもしれないとも思う。自分の足でちゃんと立っていたいとおもうから、めちゃくちゃ悩んでしまう。他人にどこまで隙を見せても大丈夫なのか、どこまで馴れ馴れしくしてもいいのか、ぜんぜん分からない。全部自分の楽な方向に行きたいけど、そうしたらどんどん堕落しそうで怖い。ちょうどいいと思うところに自分の考え方を置きたいけど、それも誰かから見たら変なところかもしれないし、未来の自分から見たらめちゃくちゃ奇妙すぎて黒歴史に苦しんで死にそうになってるかもしれない。もうほんとにわけわかんない。

宗教って、勝手に価値観決めてくれて、周りの人も同じ価値観で、その通りにしてたら褒めてくれるから簡単だったな、って思う。だから親も宗教に入ってしまったのかな。ゆるさん。そんな弱みにつけ込んで人の心をいじくっているやつらはもっと許さん。でも、そういう系の本読んでると(まだ最初のほうしか読めてないけど)そういうやつらって何にも考えてなくて、なあなあが良くて、ことなかれ主義なだけっぽい。無知と想像力の欠如がこの世の不幸を生み出しているのかなと思う。私はそんな人間になりたくないけど、世の中にある事を学び尽くすには人生が足りないし、うっかり人を傷つけてこっちがめちゃくちゃ落ち込んでしまうみたいな事もある。傷ついた人が一番つらいのにね。も〜どうすれば良いんだろう。ぜんぜん分からない。なにか良さそうな本があったら教えてください。言いたい事を要約したら「なんか良さそうな方があったら教えて」これだけになっちゃった。



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