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妄想紙vol.12_正解のない対人関係の悩みと向き合う。 他者と協働できる関係性の築き方。

私は普段、1人で何かするより、チームで価値をアウトプットすることの方が多いのですが、その時に特にストレスを感じるのが対人関係からくる悩みです。

同じ組織に属し、共通の目標があるはずなのに、なぜか上手く分かり合えないことがよくあります。いくら自分なりに論理にかなった説明や説得をしようとしても共感が得られない。相手と意見がすれ違うと、どうも対立関係のような険悪な雰囲気になってしまったり、どちらかが妥協せざる終えなくなったりしてしまいます。

こういった対人関係が絡んだ問題は何か乗り越えるための便利な方法論や正解があるわけではなく、ケースバイケースで1つずつ向き合うしかないものの、解決するにはなかなか負荷のかかる課題です。そんな時に、”「わかりあなさ」から始める組織論”という副タイトルの「他者と働く」(宇田川元一先生 著者)という本に出会いました。

今まで他者と何とか分かり合おうとしながらいろいろ試行錯誤していたのにも関わらず、「わかりあえなさ」から始めるとはどういうことなのか? 
そんな疑問を持ちながらこの本を読み進めていきました。

あなたと私は違う。「わかり合えなさ」から対話を始める。

組織の生々しい現実-
スキルやノウハウで一方的に解決ができない問題、向き合うのが難しい問題をいかに解くか。その実践が対話とナラティヴ・アプローチなのです。
引用:『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』/宇田川 元一 より

本のタイトル裏に書かれた言葉。
心理学者アドラーが「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言うことを根底にしていたように、複雑で一筋縄では解決できない問題と言えば、だいたい対人関係が絡んできます。

今まで、チームで価値を共創してきた私にとっても人と人との関係性からくる複雑な課題には、怒りや失望、悲しみといった負の感情を伴うストレスがつきまとっていました。こういった課題は、単にPDCAを回したりありきたりなノウハウやスキルで解決はできないし、いくら論理的で正しい説明やアプローチを試みようとも通じなかったりします。また、組織の課題は大きく2つに分けられると思っていて、ロジカルシンキングで課題解決ができるような「技術的課題」の他に、問題の因果関係に人間の行動や関係性が介在し、互いの行動変容が求められる「適応課題」が存在していると思います。まさに、自分がいつも苦労する課題は後者の適応課題でした。

適応課題の解決のプロセスで感じるストレス、つまり自分の中にある他者への期待値と現状とのギャップで怒りや悲しみといった負の感情とどう向き合えばいいのか。同じ目標に向かっているはずなのになぜいつも対立という関係性に陥ってしまうのか。どうして相手は私の言っていることを分かってくれないのか。
そういった問いの根底には、

「なぜ私たちは分かり合えないのか」

というところからきていました。妥協せず前に進むには互いが共感をして、つまり分かり合えないといけないという考えが私の中に無意識にありました。しかし、一方的に自分の意見ばかりが先行し、自分の解釈の枠組みの中で正しいとされることを相手に理解してもらいたいがために、説得のようなコミュニケーションに陥いることは多々あります。もちろん、相手の意見をそっちのけにしているわけではないですが、自分の解釈の枠組み(ナラティブ)の中で「間違い」だと判断される意見はなかなか受け入れることは難しく…。つい、自分の良い悪いの判断軸を中心にして話してしまうのです。

対話が日本で起きにくいのは、お互いに同じ前提に立っていると思っているからだ。まずは、お互いにわかり合えていないことを認めることこそがが対話にとって不可欠である。
引用:『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』/宇田川 元一 より

この本の一説には少しドキッとしました。
同じ共通目標を持つ組織のメンバーだから分かり合えるという前提で、自分のナラティブの中で相対化して良い悪いを判断して話を進めていたかもしれないと...。なぜそういった意見になったのか、背景にある相手のナラティブにどれほど目を向けられていたのか。相手の話に傾聴はするものの、結局は自分の枠組みの中でしか捉えていなかったのかもしれない。私と相手の状況や意見の背景にあるナラティブは違う、つまり分かり合えない部分があることを受け入れてからようやく対話ができるのだとハッとさせられました。当たり前ですが、お互い異なる価値観やバックグラウンドを持っていて、それぞれの正義や判断軸を持って意見が出てきます。しかし、過度に協調関係を求めすぎたり一体感を推し進めようとするあまり、そういった相手のナラティブを無視してしまうことが時々起きてしまう。私とあなたという個人の主体性も尊重しつつ、組織としてうまく価値を見出していくために、一旦自分のナラティブを脇に置いて、相手のナラティブを「わかりあえなさ」を前提にして受け入れる姿勢を常に持っていたいなあと思ったのでした。

コミュニケーションが他者との関係性を変化させる

私がとあるプロジェクトに参加していた時に、毎回遅刻してくる子がいました。
その子は遅刻の他にも、自分の役割すら締め切りまでにこなせなかったりしたもんなので、チーム内で「怠け者」というレッテルが貼られてしまっていました。
それを見兼ねたチームリーダーは遅刻や役割をこなせないことに対して喝を入れたり、やる気がないのでは?と不信感を募らせていました。
しかし、組織外のメンバーから彼女が置かれている状況を知る機会がありました。彼女はどうやら大学で教職課程を履修していたり家庭の事情でバイトをいくつも掛け持ちしていたことが分かりました。そんな彼女の背景を知ることすらなく、ただ事実のみを見て役割をこなせない責任感の薄い人としか認識できていませんでした。彼女は決してそんな「怠け者」ではなく、そういった状況に埋め込まれていたから遅刻や失敗が続いたということでした。それまでは、彼女の状況やキャパシティを知らないままに、「チームメンバーの1人」という括りで、みんなと同等のタスクや役割を与えていたのですが、彼女の状況を知ってから、彼女が多忙の時には臨機応変にタスクを減らしたりなど、お互いのちょうどいい塩梅でタスクを協力して進めていくようになりました。彼女の置かれている状況や組織へ貢献したい想いが理解できただけで、今までの対立のような関係性ではなく、協働するための関係を築くことができたのでした。それから、彼女に対してだけではなく、メンバー一人一人のチームの貢献への仕方や置かれている状況、つまり他者のナラティブを考慮したコミュニケーションを心がけるような良いカルチャーが組織に浸透していきました。

遅刻や役割をこなさないという事実のみで彼女を責めたり、話を進めていたらずっと互いの関係性は改善されず、彼女も「怠け者」というレッテルを貼られたままチーム内で居心地の悪さを感じていたかもしれません。しかし、そんな事実ベースのコミュニケーションを相手のナラティブを想像しながら問題になっている溝を埋める橋を架けられるような解決策を模索していく対話的なコミュニケーションが彼女とチームメンバーとの関係性をより良い方向へ変えていくことができたのだと思います。

人間は関係性に埋め込まれ、身動きが取れなくなる弱い存在であり、時には誰かにとって邪悪な存在になるうる。でもそれはその人自身の特性ではなく、その人を取り巻く関係性やナラティブがそうさせているのかもしれない。だとすれば、より良い関係さえ構築できれば素晴らしい存在になれる希望もあるのだ
引用:『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』/宇田川 元一 より

先述したエピソードから学べることは、本の一説にもあるように人間は「取り巻く環境や関係性に埋め込まれている存在」であるということです。表面に現れている言動のみで相手を理解していってしまえば、時にそれは本意ではない意味で相手に捉えられてしまったり、すれ違いが起きてしまう。そうではなく、相手が置かれている状況を含めてその人自身を認識することで、より良い関係性を構築する対話が始められるのだと思います。

私ももう来年から社会人になりますが、他者と私は異なるナラティブを持つ1人の「人間」だということを認識して対話をし、対立ではなく協働していけるような関係性をつくっていけるような人になりたいと思ったのでした😌
最後に...

「知識として正しいことと実践との間には大きな隔たりがある」

本のプロローグに太字で書かれた1文。
冒頭で書いたように、対人関係の解決のプロセスには正解はなく、互いに対話を通じて試行錯誤しながらよりよい関係性を模索していくものだと思います。この本やこれまでのエピソードから得た学びを言語化して満足するのではなく、これからのコミュニケーションや対人関係に活かし続けていきたいと思います。

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