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第一勧銀って知ってますか

みずほATМ、利用者にとって大変だよね。なんでかしらんけど、みずほのトラブル、多いね。他行でも、やっぱりあるのかな。便利を追及すると、その便利が消えた時、対応できない社会になるってことだな。

みずほ銀行。昔は第一勧業銀行だったね。ウィキによると、1971年(昭和46年)から2002年(平成14年)まで存在した日本の都市銀行とある。2000年(平成12年)より「みずほフィナンシャルグループ」の傘下に入り、現在のみずほ銀行の前身となった。

こう書くと、大した銀行じゃないんじゃねぇの? と、平成世代に言われそう。でも、昭和世代の我々からすると、超一流の大銀行というイメージがあったわけ。

宝くじだって、第一勧銀の専売特許だったし、いわば、日本を代表する銀行と言っても言い過ぎじゃないと思う。総会屋との付き合いであれこれあったけど、当時はどこの企業もそれなりのごみ処理係として総会屋と付き合っていたよ。

1990年初頭。私が東京で仕事していた時期。当時、第一勧銀の本店総務課と取引があったわけ。ある時、総務課長と有楽町の焼き鳥屋で飲んでた時に言われたことを、未だに覚えている。

「当行が潰れるなんてことはあり得ない。日本が潰れるのと同じことですからね」

潰れはしなかったけどさ。名前、無くなったよね。日本一を自負してたんだろうけど、あの時の課長、今、どこにいるのかな。まさか、こんな世の中がやってくるとは思わなかっただろうね。

そういえばあの時代は、地上げ屋とつるんでる銀行、多かったな。東京三菱なんか、京都の被差別団体「崇仁協議会」と相当もめてたよね。

いずれにしろ、今は昔の物語。銀行は典型的な斜陽産業になってしまった。沖縄でも、ライバル同士の沖銀と琉銀が提携したしね。

かつて銀行員とはエリートの代名詞。今や合併合併で支店統合、行員は系列か取引先へ出向という具合に、人を切らざるを得なくなった。人を大事にしない社会構造のツケが、まわりまわって自分に戻ってくる。

もはや、銀行に支店は必要なし。コンビニがあれば、何とでもなる時代。取引もネットが当たり前の時代。

このように昭和の時代は一つずつ終わりを告げているけれど、みずほのトラブル、ココアの不具合など、日本のオンラインビジネスは、まだまだ信用できないかなぁ。ラインもヘマしてくれたし。

日本はもはや周回遅れのような気がします。