新学期、変わった友だちと変わらない友だち (皐月物語 21)
夏休み明けの初日というものはどうしてこんなにワクワクするのだろう。普段通り教室へ行くことが特別なことのように感じる。藤城皐月は高まるテンションを隠すようにしながら校舎に入っていった。
6年4組の手前まで来ると、開け放たれた引き戸から栗林真理の姿が見えた。ざわつく教室の中、真理は相変わらず一人で受験勉強をしている。見慣れた真理の学校での日常だ。真理の席は窓際の一番前で皐月の席は廊下側の真ん中辺り。教室の入って真っ先に真理に声をかけに行くのは、席の並びから考えると少し不自然だ。
でもそんなことはくだらない理由だ、と皐月は思った。つまらないことなんか気にしないで真理と話に行こうとすると、クラスで一番スケベで、一番気の合う花岡聡につかまった。
「先生、久しぶり」
聡は皐月のことを先生と呼ぶ。こいつに先生呼ばわりされると自分までドスケベだと思われてしまいそうだと思い、はじめはこの呼ばれ方が嫌だった。だが聡といると楽しいので、まあいいかと許す気持ちになった。
「うぇ~い、花岡。久しぶりじゃん。夏休み中、何かいいことあった?」
「もちろん……イヤ……今回の夏休みで……俺は……今回も……なんの成果も得られませんでしたっ!」
「無能かよ!」
二人で大笑いしていると近くにいた月花博紀のファンクラブ会長、松井晴香にうるさいと怒られた。
「あ~わりぃわりぃ」
「あんたら、声でか過ぎ。マジうるさいからどっか行って!」
晴香は博紀以外の男子には言い方がキツイから他の男子から怖がられている。花岡もすこしビビっているが、皐月はあまり気にしていない。
「松井、耳出してるから声が大きく聞こえるんだよ」
「何? 耳出してたら悪いの!」
「悪くねーよ。ハーフツインって耳が出てると超かわいいじゃん。その髪型、すっげー似合ってんじゃん」
「ホント?」
「ああ。今まで見た髪型の中で一番かわいいんじゃね。ミニクリップもセンスいいし」
「あんたに褒められたって何も嬉しくないわ」
ぷいっと横を向いて、晴香はおしゃれグループの方へ行ってしまった。
「松井怖え~。お前、よくあいつと普通に喋れるな。俺なんか口きくのもヤダだよ」
「そうか? 松井って扱いやすいと思うけど。それにツンデレでかわいいじゃん」
「かわいい? あいつ、ツンばっかりで全然デレてないじゃん」
「ああ見えてデレてるんだよ、松井って」
晴香はルックスがいいのに、性格がきついのと博紀のことが好き過ぎることで男子に人気がない。博紀は晴香の無難に相手をしているが、気のないことは明らかだ。晴香は性格でだいぶ損をしている。
おしゃれグループの中にいる晴香が友だちに髪を留めているミニクリップを自慢していた。今の晴香を見ればデレているのがわかるのに、と聡に教えてやると「さすが先生」と変な褒め方をされた。
筒井美耶が教室に入ってきた。髪を切ってマッシュショートにしていたので、一瞬誰だかわからなかった。晴香がおしゃれグループのみんなに軽く謝って、美耶の元へすっ飛んで行って抱きついた。二人でキャッキャと騒ぎながら晴香は美耶の隣の席に座った。
「松井だって声でかいじゃん」
晴香が座っている席の机の上に皐月は荷物をドンっと乗せた。ここは皐月の席だ。
「ごめんね~、藤城君。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった」
晴香の代わりに美耶が謝った。
「いいよいいよ、俺やさしいから。声がでかくてもあっち行けなんて言わないし」
「はぁ?」
晴香がキレそうになるが、皐月は無視。
「それより筒井久しぶりじゃん。髪の毛切ったんだ」
「短くし過ぎちゃったかな?」
「そんなことねーよ。いい感じじゃん。斜め後ろからのシルエットとかカッコいいし」
美耶が嬉しそうにしている。晴香とは違って美耶の反応は素直でかわいい。髪型を変えて、見た目もかわいくなっていた。
「筒井って出校日休んでたけど、どこか行ってたの?」
「お母さんの実家の十津川村に行ってたの。8月はずっと向こうにいたよ」
「メッセージが来なくなったからどうしたのかなって思ってさ」
美耶はいつも夜遅くメッセージを送ってくる。皐月はもう寝ているので即レスができない。次の日の朝にチェックするが、寝過して見忘れたり返信できないと学校で美耶が怒る。
「こっちにスマホ忘れちゃった。おばあちゃん家、ネットに繋がっていないからだいぶ浮世離れしたよ」
「へ~、俺ならヒマ過ぎて死ぬわ。じゃあ筒井は向こうで何してたの?」
「昼は山に入ったり川で遊んだり家の手伝いをしてて、夜は本読んだり勉強したりしてた」
「毎日電話で私と話してたよね」
「うん。晴香の声を聞くことだけが楽しみだったよ」
「スマホ、宅配便で送ってもらえばよかったじゃん」
「あ……」
「松井、教えてあげなかったの?」
「……私も気付かなかったのっ! ごめんね~美耶」
「でもさ筒井。それはそれで貴重な体験ができて良かったじゃん。俺なんか学校のキャンプ以外で山や川で遊んだことがないからちょっと羨ましいな」
「藤城君、そういうアウトドアとか興味あったんだ。だったらいつか一緒に十津川の山で遊びたいな……」
「いいね、それ。でも十津川村って熊野古道の奥の院だよな。さすがに小学生だけで行くのは親が許してくれないかも……」
「十津川なんてよく知ってるね。小学生は普通知らないよ」
「奈良交通の日本一走行距離が長い路線バスが通ってるじゃん、十津川って。八木新宮特急バスだったっけ。一度乗ってみたいなって思ってんだよね」
「鉄道好きなのにバスにも乗りたいの? 私はバス苦手だから車がいい。車の免許取ったら案内してあげるよ」
「本当? それは楽しみだな。でもそれ、だいぶ先の話じゃん。お前、絶対忘れてるだろ。スマホ忘れるくらいだし」
「ちゃんと覚えてるよっ! 藤城君こそ忘れないでよ」
「じゃあ約束だ」
美耶のじらし作戦にひっかかった気がしないでもないが、皐月はこの約束を軽いものとは考えていなかった。美耶の雰囲気がいい感じに変わったので、そこまで美耶を変える十津川というところに惹かれはじめていた。それだけではなく、落ち着いた印象に変わった美耶にも魅かれはじめていた。
「藤城、あんた変わった?」
「何が?」
「美耶に優しいじゃん」
いつも皐月にキツい晴香が珍しく柔らかい表情になっている。
「久しぶりに会えたから嬉しいんだよ。こんな筒井でも」
「一言余計なんだよ、藤城は」
美耶が嬉しすぎて泣きそうな顔になっている。
「先生、なんかパワーアップしてね?」
こういう流れになるといつも聞くだけになっている聡も話に加わった。
「男子、三日会わざれば刮目して見よって言うじゃん」
「でた、諺」
「故事成語だよ、『三国志演義』の」
「先生はたまに難しいこと言うよな。で、なんて意味?」
「ナメんなよって意味」
「お~っ、なんかかっけー」
月花博紀がいつもより少し遅れて教室に入ってきた。博紀を待ち焦がれていたのか、晴香が目ざとく見つけて話しかけに行った。
「松井は相変わらずだな」
「晴香ちゃんは素直なのよ。私だって藤城君を見つけたら声かけに行くよ」
こんな風に好意を向けられると恥ずかしくなる。美耶は人前でもお構いなしなので、皐月はみんなからからかわれる。
「あっ、忘れてた。俺、真理んとこまだ行ってなかった。ちょっと声かけてくるわ」
「もう……」
聡に手を振り、泣きそうな顔になった美耶を置いて教室の窓際の最前列へ行った。
「よう」
真理は算数の図形の問題を解いていた。何か計算式を書いていたが、手を止めて皐月を見上げた。
「おはよう」
「今朝さ、真理から借りた『特進クラスの算数』、やってみたよ」
「そう。で、どうだった?」
「悩ましいね」
「悩ましいって何よ。難しいってこと?」
「うん。問題も難しいけど、こんなの解こうとしていたら自分の進路のことを考えちゃって……。これからどうしよっかなって悩んじゃう」
「どうしようってことは、少しは中学受験のことも考えるようになったんだ」
「まあね。もう手遅れかもしれないけど」
予鈴が鳴った。あと5分で全体朝礼が始まる。Web会議システムを使い、それぞれの教室でオンライン放送を見る。
「まだ手遅れってことはないよ」
「そうか。でもこの前、もう間に合わないって言わなかったっけ?」
「あれはちょっと意地悪で言っただけ。でも時間切れが近いのも確かだからね」
真理に心配されていることがわかる。それは皐月にはちょっと寂しくもあり、屈辱的でもある。
「まあ俺なりにもうちょっと考えてみるわ。じゃあ」
学級委員の二橋絵梨花がオンライン放送の準備を始めた。彼女も真理と同じ中学受験組だ。皐月が勉強で敵わないという女子はこの絵梨花だ。
絵梨花はいつも白のブラウスを着ていて、稲荷小学校では異彩を放っている。6年からこの学校に転校してきたので、クラスにはまだ友だちがあまりいない。早くみんなと仲良くなりたいからと学級委員を引き受けたらしい。皐月はまだ絵梨花とはあまり話したことがない。
席に戻りながらなんとなく絵梨花のことを見ていたら博紀が話しかけてきた。
「なあ皐月、祐希さんってお前ん家から高校に通ってるんだよな」
「ああ、そうだけど」
「朝早いのか?」
博紀の考えていることはバレバレだ。女にモテるくせに不器用だ。
「7時くらいには家を出るよ。祐希に会いたかったら、その時間に駅で張ってろよ」
「そんなことするか、バカ!」
豊川稲荷で初めて会った時、博紀は及川祐希に一目惚れをしたんじゃないかと皐月は踏んでいる。
「祐希に会いたかったら俺んとこ遊びに来ればいいじゃん。そうすれば別に不自然じゃないだろ」
「じゃあ祐希さんが家にいる時、連絡くれよ」
「ヤダよ、めんどくせぇ」
「祐希さんがいなかったらお前と二人で遊ばなきゃならなくなるじゃないか」
「だったら来んな!」
博紀の相手をしているのがバカバカしくなって、皐月は自分の席に急いだ。席に戻ると美耶が機嫌悪そうに話しかけてくる。
「栗林さんと何話してたの?」
「受験のこと」
「ふ~ん」
真理が中学受験をすることはクラスの誰もが知っている。だから受験のことと皐月が言っても、それは真理の受験のことだと美耶は思う。だが皐月は自分自身の中学受験のことを真理と話していた。
「さっきの話だけどさ、筒井って山に入って遊んでたんだよね。熊野古道を歩いたりしていたの?」
「熊野古道も歩いたけど、大峰奥駆道っていう修験道の人たちの歩く道とか。あと道から外れたところもよく入って行ったな」
「お~っ、修験道! なんかすごいな。山の景色ってやっぱきれいなの?」
「ん~、どうだろう? 感動するようなものじゃないと思うよ。でもそれは私が見慣れているだけなのかも」
予鈴が鳴って皐月の前の自分の席に戻ってきた神谷秀真が修験道に反応して話に加わった。
「大峰って女人禁制じゃなかったっけ?」
秀真はオカルトや宗教が好き、その道では皐月の師匠だ。皐月は秀真のおかげでオカルトに目覚め始めている。
「今はそんなに厳しくないんじゃないかな。でもおばあちゃんは一人で山に入るなって言ってた」
「やっぱ宗教的な理由かな?」
「そういうことじゃなくて、女の足じゃ山の中で男に襲われたら逃げられないからだって」
「筒井、その髪型だったら遠目には男子と変わんないんじゃね?」
性的な話を避けたくて、皐月は茶々を入れた。強制的に話題を変えられた秀真はあからさまに不機嫌な顔をした。
「あ~っ、やっぱり変だった?」
「全然。よく似合ってるよ。それに近くで見るとちゃんと女の子らしいし」
「切り過ぎちゃったかな~って思ったけど、藤城君にそう言ってもらえたからホッとした。でもこの髪型にしたのはこっちに帰ってからなんだけどね」
「そうなんだ。イメチェン、上手くいったと思うよ」
美耶の髪型は夏休み前の真理の髪型に少し似ていた。ちょうどいいタイミングで始業の本鈴が鳴った。
最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。