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嬉しくて楽しいことしかなかったはずなのに(皐月物語 119)

 稲荷小学校の木曜日の昼休み、給食当番を終えた藤城皐月ふじしろさつきは5時間目の体育の授業に備えて体操服に着替えて校庭に出た。そこで皐月は珍しい光景を目にした。
 今日の6年4組のドッジボールの相手は5年生だった。しかも月花博紀げっかひろきの弟の直紀なおきがいる5年3組だ。皐月はすぐに直紀と同じクラスにいる入屋千智いりやちさともいないかと探してみたが、千智はドッジボールには参加していないようだ。
 皐月がゲームを見に来た時は6年生の圧勝でゲームが終わろうとしていた。6年生と5年生では戦力差が圧倒的で、虐殺ショーの様相を呈していた。博紀の表情からなんとなくやりづらそうな空気を感じた。
 ゲームが終わり、次のゲームに入る前に皐月は博紀に話し掛けた。
「なあ博紀、直紀たちとやるなんて、初めてじゃないか?」
「そうだな。俺たちがグラウンドに出るのが遅れたせいで、たまたまこういう流れになった」
「面白いじゃん。で、どうする? 6年のボロ勝ちみたいだけど、あいつらに手ぇ抜いてやる?」
「いや、それはダメだ。直紀にもプライドがある」
 博紀らしい男っぽい考え方だ。皐月は考え方が甘いので、楽しく遊ぶ方に気持ちが流されてしまう。皐月の性格は競い合う競技に向いていない。
「でも他の子たちはどうなんだ? 5年の子たち、みんな表情が暗いじゃん」
「みんな年上相手に全力で挑んできているんだ。俺たちもその気持ちに応えなきゃいけないだろ?」
「……そうだな。男の子だもんな」
 5年生のボールはまだ力が弱い。皐月の回避能力からすると、ボールがスローモーションのように見える。村中茂之むらなかしげゆき筒井美耶つついみやの強いボールは5年生を軽く吹っ飛ばす。今終わったゲームは6年4組の圧勝だった。
「兄貴! もう一回!」
「いいよ。何度でもやろう」
 5年生サイドにギャラリーの女子が増えてきた。博紀のファンは5年生にも多い。5年3組だけでなく、他のクラスの女子も集まって来た。3組以外の5年生の女子はほとんどが博紀の応援をしているようなので、直紀たち男子はアウェーのような状況になっている。これで6年生にボコられたら、直紀たちも辛いだろうなと皐月は心配になった。

「ねえ、女子もチームに入ってよ」
 直紀がギャラリーの女の子に声をかけていた。6年生の強いボールを見た少女たちはみんな怖がって、誰もゲームに入ろうとしない。
「直紀の奴、何考えてんだ? 女子を入れたって俺たちには勝てないだろ」
「人数が多い方が生き残る人数が多くなるって考えてるのかな?」
「別に1試合5分とか、厳密に決めてないんだけどな~」
「じゃあ、勝負は度外視して楽しみたいんじゃないかな」
 皐月はそんな5年生たちを見て、博紀にある提案を持ち掛けた。
「なあ、博紀。俺たちのチームにも女子に入ってもらわないか? そうすれば5年生の女の子たちも入りやすいと思うんだけど」
「そうだな。5年が男子だけのチームだったから、俺たちのチームには女子に入ってもらわなかったんだけど、その方がいいかも。直紀に協力するか」
 6年生のチームには女子は美耶しか入っていないが、美耶は戦力的に男子と同等だ。皐月のクラスの女子たちは男子と一緒にドッジボールをすることがあるが、今日はみんな見ているだけだった。
「おーい! 松井さんたちも一緒にドッジやろうよ!」
 博紀にしては珍しく、自分から女子に声を掛けた。最初に声を掛けたのがファンクラブの会長の松井晴香はるかだというところに博紀の配慮を感じる。博紀は皐月のように自分から女子に話し掛けることは滅多にないが、たまに話し掛ける時は恐ろしく爽やかに振舞う。こういう博紀を見ると、自分への態度と全然違うじゃねえかと皐月はいつも笑いがこみ上げてくる。
「えっ? 私たちも?」
 遠慮がちにしている松井晴香はるかだが、美耶と比べると見劣りするだけで、実際はかなり運動神経がいい。
「晴香ちゃん、おいでよ! 美緒みおちゃんも由香里ゆかりちゃんも!」
 美耶が無邪気な笑顔で仲良し3人組を誘った。博紀が他の女子にも声を掛けると、この場にいた8人の女子全員がチームに加わった。ここに来ている女子はみんな博紀のファンクラブの会員だ。博紀に声を掛けられ、みんな嬉しそうだ。
「なあ、6年の女子はドッジやるみたいだぜ。5年生の女子も一緒にやろうよ」
 直紀には博紀ほどカリスマ性がないせいか、誰も一緒にやろうとしてもらえない。直紀以外の男子も直紀に協力して女の子たちに頼み込んでいるが、女子はみんな尻込みをしている。
 そんな時、3人の少女が遅れてやって来た。背の高い子は月映冴子つくばえさえこで、外国人はステファニー、もう一人は皐月のガールフレンドの入屋千智いりやちさとだ。皐月は千智たちを見て驚いたが、5年生の男子たちはそれ以上に驚いていた。
「私たちも入れて」
「月映さん、入ってくれるの? ありがとう!」
 冴子が直紀に頼んでチームに入れてもらうと、他の女子たちは何も言われなくても冴子に追従ついじゅうするようにチームに入って来た。
 皐月は冴子と少しだけ話したことがある。だが、その時は冴子にこんなカリスマ性を感じなかった。後で千智から聞いて知ったが、ドッジに参加した女の子の中にはかつて千智に意地悪をした鈴木彩羽すずきあやはたちもいたという。
「月映さんってみんなとドッジボールするのって初めてだよね。入屋もステファニーも。うわっ! 今日ってめっちゃ楽しいな。6年なんかに負けないよう、頑張ろうぜ!」
 直紀たちがはしゃいでいるのを見て、皐月は自分の目論見が上手くいったことに満足した。男子と女子が一緒に遊べば場の波動が軽くなる。皐月は真剣勝負の重い空気より、女子と仲良く遊ぶ楽しい雰囲気の方が好きだ。
 皐月が好奇の眼差しで5年生たちを見ていると、盛り上がっている5年生の中心にいた千智と目が合った。千智が笑って手を振ってくれたので、皐月も笑顔で手を振って応えた。千智の隣で冴子とステファニーが微笑んでいて、そんな皐月と千智を他の女子が興味深げに見ていた。

「晴香、あの子が藤城君の彼女って噂の子だよ。めっちゃ可愛いね」
 恋愛話の好きな惣田由香里そうだゆかりが千智を指さし、晴香にそっと耳打ちした。
「へぇ、あの子が……」
「ちょっと由香里ちゃん! 美耶ちゃんに聞こえちゃうから、この話はやめようよ」
 皐月と美耶がくっつくことを期待している小川美緒おがわみおはこんなところで恋愛話を持ち出す由香里のことをたしなめた。美緒は皐月のことをキッと睨んだが、皐月は全く気付いていない。ちょうどその時、美耶が晴香たちのところにやって来た。美耶に話を聞かれなかったことに美緒はホッとした。
 6年4組のエース、村中茂之むらなかしげゆきが普段よりもハイテンションで皐月に話し掛けてきた。
「お前、入屋さんと友達なんだってな」
「まあな。茂之しげは彼女と同じ通学班らしいじゃん。あの子、お前のこといい人だって言ってたぞ」
「本当か?」
 皐月は嘘をついて茂之を煽てた。皐月の言ったことを茂之が千智に確認をすることがないと踏んで、茂之が喜びそうな話を作って聞かせた。
「ああ。だからお前さ、張り切り過ぎてあの子にはキチガイみたいなたま、投げんなよ」
「なんだ、藤城。お前、もしかして手を抜こうとしているのか? あいつら5年生に失礼じゃないのか?」
「違うって。俺はただ楽しいゲームにしたいだけだ。別に5年生とは星取表をつけていないだろ? だったら少しくらい5年生男子に花を持たせてやってもいいじゃないか。せっかく女子も一緒に遊んでくれるんだからさ」
 6年生はどのクラスの男子も昼休みの球技の勝敗表をつけている。お互いのクラスをライバル視していて、6年男子は誰もが勝敗にこだわっている。皐月はこういう真剣勝負は面白くもあるが、ギスギスして鬱陶しくもあると感じている。
「ああ、そういうことか。5年とは勝敗なんて関係ないもんな。わかった。月花には俺から伝えておく」
「あいつは弟の手前、手を抜きたくないみたいだ」
「じゃあ男子には手を抜かずに全力でやるってことでいいんじゃね。俺だって筒井さんや入屋さんにカッコいいところを見せたいし」
 直紀たち5年生男子はかつての3組のアイドル的存在だった千智が入ることで色めき立っている。直紀たちも千智にいいところを見せたいんだろう。前のゲームで一方的にやられて意気消沈していたが、元気が復活したようだ。皐月はこういう熱い展開を望んでいた。

 5年生の先攻でゲームを始まった。使用するボールは2個。最初は女子が投げるということにしたので、冴子と千智がボールを持っている。冴子がボールを投げると、手から離れる瞬間にピッと鋭い音がした。冴子の投げたボールはスピンがよく効いており、5年男子の誰よりも速かった。油断していたのか、いきなり博紀が当てられた。ワンバウンドしそうな低さから浮き上がるような球筋で、ジャンプが間に合わなくて、博紀の足首に当たった。この時、コートの外の他のクラスの女子から歓声が上がった。
「馬鹿野郎。月花の奴、何やってんだ。いてっ!」
 山なりのボールが茂之の肩に直撃すると、5年3組の男子たちがかちどきの如く雄叫びを上げた。博紀にボールが当たって盛り上がった時に、千智が3ポイントシュートのような放物線を描く山なりの球道でボールを投げた。一瞬の隙を突いた千智の奇襲が成功した。茂之も博紀同様、女子が相手だからと完全に油断していた。
(やるなぁ! 千智)
 ボールを拾った美耶が物凄い球を投げて男子を仕留めた。皐月は茂之に当たったこぼれ球を拾って千智に狙いをつけた。自分から手加減しようと言った皐月だが、千智には思いっきりボールを投げつけた。バスケの上手い千智の実力を試してみたかったからだ。だが、皐月の全力投球は千智にあっさりと受け止められた。自分としてはかなりいい球がいったと思ったが、皐月のボールは千智には全く通用しなかった。5年生の男子と女子、両方から歓声が上がった。
 その直後、皐月は千智にボールを当てられてしまった。1対1ならどんなボールでも受け止める自信のあった皐月だが、知らないうちにボールが当たっていた。千智が投げると思った瞬間、すでに膝元に球が来ていた。緩い球だった。
「あれっ? いつの間に?」
 少し遅れて5年の男子から歓声が上がった。彼らも何が起こったのかよくわかっていなかったようだ。皐月がコートから出て外野へ移動すると、博紀が話し掛けてきた。
「お前、今のわからなかったんだ。あれ、トリックだぞ」
「トリック?」
「投げるモーションはフェイクで、予備動作の時にはもう球を投げてた」
「は? 何言ってんの?」
「バカ! 後で教えてやるよ」
 外野に出た博紀は飛んできたボールを拾って、近くにいた女の子に軽く当てた。博紀はあっという間に内野に戻っていった。
 5年生に冴子と千智が加わったことで戦力が6年生に近づいた。外野になった博紀や茂之はすぐに内野に戻り、試合は徐々に6年生ペースになった。博紀と茂之が程よい感じに緩いボールを投げて5年生の女子にキャッチさせ、投げる機会を作ってやった。博紀のボールをキャッチした女子は大いに喜んだ。ギャラリーの他のクラスの女子も5年3組のチームに入りたがったので、直紀はその場にいた女子を全員チームに入れた。こんなに賑やかなドッジボールはこの場にいるみんなにとっても初めてだった。

 予鈴が鳴ったので、試合の途中だったがドッヂボールをやめた。5年生たちは教室へ帰っていったが、6年4組は5時間目が体育の授業なので、みんなそのまま校庭に残った。ここにいる4組の児童は体操服に着替えてから遊びに来ているので、着替えに教室に戻る必要がない。
 博紀と茂之がボールを持って片付けに行くと、晴香たちファンクラブの女子が博紀を取り巻くようについて行った。校庭にある手洗い場で皐月と花岡聡はなおかさとしが水を飲んでいると、千智と冴子とステファニーの3人組が隣に来た。
「おい、先生。彼女が来たぞ」
 皐月は聡に千智のことを紹介したことがあるので、千智も聡のことを知っている。
「お疲れ。千智ってバスケだけじゃなく、ドッジも上手いんだな」
「皐月君も上手だったよ。2つのボールを同時に受けちゃうんだもん。凄いっ」
 皐月はあの後、存分に活躍した。千智にいいところを見せられて気分が良くなっていた。
「2方向同時捕球は俺の必殺技なんだ。ディフェンスは得意なんだよ。でも千智の球は受けられなかったな……。あれって何?」
「トリックプレーってところかな。家で一人でバスケの練習をしていると、そんな練習ばかりしてる」
「わかるわかる。俺も一人で麻雀をする時って、イカサマの練習ばかりしてるわ」
 二人の話を聞いていた冴子が突然笑い出した。
「入屋さんも藤城さんも変! トリックプレーとイカサマの練習って、普通じゃないよ」
 高笑いする冴子が珍しいのか、教室に帰ろうとしていた直紀のクラスメートが振り向いて、皐月たちの方を見ている。
「そんなに笑わないでよ……」
「ごめんね~。私たちも教室に戻りましょう。授業に遅れちゃう」
 千智たち3人は皐月たちに軽く会釈をして、校舎に戻って行った。途中で体操服に着替えた二橋絵梨花にはしえりかと千智が出会い、手を振って挨拶を交わしていた。
「先生。あの背の高い子っていい女だな。さすがの俺も5年生はチェックしてなかったわ」
 聡は冴子のことが気に入ったようだ。皐月もドッジボールの第一投以来、冴子のことがずっと気になっていた。冴子はドッジボールが上手くて格好よかったので、女子たちが崇めるような目で冴子のことを見ていた。皐月は冴子のことをミステリアスな子だなと、異性として気になっていた。

 6時間目の授業が終わり、帰りの会が行われた。今日の日直の1分間スピーチと、学級委員のからの連絡事項の伝達が終わり、最後に皐月が修学旅行実行委員会からの話をした。
「2日目の帰りのバス移動の時に車内でみんなの好きな音楽を流そうと思っています。つきましてはみんなの好きな曲を明日の金曜日の帰りまでに実行委員の僕か筒井に教えてください。一人一曲です。ジャンルは問いません。Spotify でプレイリストを作るので、曲が Spotify になかったら差し替えてもらうことになります。今日の帰りからリクエストを受け付けるので、気軽に声をかけてください。以上、修学旅行実行委員会からのお知らせでした」
 朝の会や帰りの会で修学旅行実行委員から話があると、必ず教室内がざわつく。修学旅行は児童にとって小学校生活最大のイベントなので、みんなの関心が高い。今皐月が言った話は、皐月と美耶が修学旅行実行委員になって初めて二人で話し合った時に出たアイデアだ。
「質問!」
「どうぞ」
 手を挙げたのは新倉美優にいくらみゆという、クラスでインスタフォロワーが最も多い少女だ。松井晴香とは別の頂点にいる、クラスのカーストの最上位だ。美優は博紀の盗撮事件の解決で活躍した。
「バスレクってやらないんですか? ネットでよくバスレクやったって見るんですけど」
 教室のざわめきが大きくなってきた。帰りのバスの中での過ごし方は担任の前島先生が実行委員用に作ったプリントに、実行委員が決めるように書かれていた。その件について美耶と皐月が二人で話していた時は音楽を流しておくだけでいいんじゃないかというところで話が終わっていた。
 バスの中で楽しく過ごすためのレクリエーションは修学旅行実行委員の間の雑談でも話題に上っていた。しおり作りの時はまだどのクラスもバスレクの具体的なことは決まっていなくて、委員のみんなはバスレクなんて面倒でやりたくないと言っていた。副委員長の江嶋華鈴えじまかりんが先生から聞いた話によると、過去の修学旅行では帰りのバスの中は疲れて寝ちゃう子が多いので、バスレクをやらないという方針の先生もいるらしい。
「バスレク、やりたい?」
「当たり前でしょ。やりたいに決まってるじゃない」
「みんなはどう?」
 皐月がクラスの子たちの反応を確かめると、みんなバスレクをやりたそうに見えた。まだ実行委員の仕事は終わらないな、と思った。
「じゃあ決を採ります。バスレクをやりたい人」
 クラスのほとんどの児童が手を挙げた。
「わかりました。先生、バスレクやってもいいですか?」
 皐月は華鈴から聞いた話を気にしていたので、担任の前島先生の許可が必要だと思った。前島先生のバスレクに関する方針がまだわからない。皐月は前島先生がバスレクをやらない派であってほしいと願った。
「バス内でのレクリエーションですが、移動時間内にやれることとやれないことがあります。京都から奈良への移動や、奈良市内の移動は時間が短いので、レクリエーションはなしでお願いします。奈良から豊川に帰る時は移動時間が長いので、レクリエーションをやるならこの時がいいでしょう。ただ、修学旅行で疲れて寝たい人もいると思うので、クラス全体の事情を考えて30分くらいで終わるものにしてください。残りの時間は実行委員から提案された音楽を聴きながらリラックスするなり、寝るなりするのがいいでしょう」
 前島先生の提案に皐月は救われる思いがした。バスレクを考えるにしても一つか二つだけで済みそうだ。家で法隆寺から豊川稲荷までの移動時間を調べた時、3時間近くもあることがわかり、どうやってこの時間を過ごせばいいのか途方に暮れた。この時間をバスレクで全部埋めるとなると、大量のレクリエーションを用意しなければならない。皐月は家でバスレクのことを考える時はいつも絶望的な気分になっていた。
「じゃあ、先生から許可をもらったので、バスレクをやることにします。新倉さん、バスレク係やってもらえる?」
「えっ? 私?」
「冗談だよ。バスレク係は実行委員の俺たちがやるから。……バスレクで何をやるかは明日の帰りの会で実行委員から発表します。楽しいレクを考えておくので、期待していてください」

 帰りの会が終わってみんなが帰ろうとしているところ、皐月は美耶を呼び止めた。
「なあ、筒井。今日って何か用事とかある?」
「別にないけど」
「よかった。さっき帰りの会で言ったバスレクのことだけど、ちょっと話し合っていかない? すぐに終わるから」
「いいよ。藤城君って、いつも『すぐに終わるから』って言うよね」
 美耶に言われて皐月は初めて「すぐに終わる」が口癖だったことに気付いた。確かに自分は何でもすぐに終わらせないと気持ちが悪くなる性分だ。
「そうだっけ? さっさと終わらせて、さっさと帰りたいじゃん。筒井も早く家に帰りたいだろ?」
「私はそうでもないよ。楽しい時間だったら、ずっと続けばいいなって思ってる。藤城君は家にいる時間が一番楽しいんだね」
「そういうわけでもないんだけどね……。俺だって楽しい時間は長く続けばいいなって思うよ。修学旅行実行委員の仕事だったら下校時間ギリギリまでやってもいいって思ってるし」
 皐月と美耶は窓際にある美耶の席に移動した。美耶の前の博紀の席が空いたので、皐月は博紀の席に座ると、帰りの会でバスレクをしたいと言った美優と、友達の伊藤恵里沙いとうえりさ長谷村菜央はせむらなおがやってきた。
「ねえ、さっきのバスレクのことなんだけど、もうやることって決まってる?」
 帰りのバスで流す好きな曲でも教えに来たのかと思ったら、バスレクの話だった。
「いや、これから筒井と話し合って決めようかなって思ってるんだけど」
「じゃあさ、一つ提案があるんだけど、いいかな?」
 皐月は美優たちと特別親しいわけではない。美優はクラスの誰とでも親しくしているが、誰とも距離を取っているように見える。皐月には美優が一緒にいる恵里沙や菜央にも完全に心を開いていない風に感じる。その辺りは自分と似ているなと、皐月は美優にシンパシーを感じている。
 最近の美優はインスタだけでなく、TikTok も始めたようで、ヒラヒラ踊った動画を上げている。再生回数も多く、人気の TikToker だ。美優の影響で恵里沙と菜央もインスタをやっているが、二人は鍵をかけている。皐月は美優のインスタをフォローしているが、恵里沙と菜央のは見られない。皐月は美優のファンだが、美優はそのことを知らない。
「提案してくれるの? いいよ、助かる。で、新倉さんは何をやりたいの?」
「遊びの名前はわかんないんだけど、『いつどこで誰が何をした』っていう、短かい文を作るやつ。わかる?」
「あ~、わかる。俺は『誰と誰がどこで何をした』ってやつならチェックしてた」
「そうそうそうそう、それそれ! 藤城君の言う『誰と誰が』の方が『いつどこで』よりも面白そうじゃん。それ、やろ?」
「いいよ。バスレクすぐに決まってラッキー。筒井も『誰と誰がどこで何をした』でいいよね?」
「ねえ……私、二人が何を言ってるのかわかんないんだけど……」
「あ、わりぃ悪ぃ。説明するわ」
 この遊びは「誰」と「誰」が「どこ」で「何をした」を紙に書き、それぞれの項目をランダムに取り出して短い文を作る遊びだ。
「例えばね、『美耶ちゃん』と、『藤城君』が、『校舎の屋上』で、『キスをした』とか」
「ヤダー! もう……」
「照れる美耶ちゃん、かわいい~!」
 恵里沙と菜央が美耶の反応を見て大喜びしていた。美耶は女子の間で人気がある。クラスの女子は真っ赤な顔をして照れる美耶を見たくて、よくこうして皐月と美耶をくっつけようとして遊ぶ。皐月はそんな女子たちのいじりに寛容で、反抗しないで好きなように言わせている。皐月も美耶の反応を見るのは照れくさいだけで、嫌いではない。
「新倉さん、見たの?」
「えっ?」
「俺たちが屋上でキスしてたの」
「嘘っ! 本当にキスしてたの?」
 美優たちの驚きようが面白い。目を大きく見開いて、口を大きく開けて、漫画のような顔をしている。皐月がこんなに驚く美優たちを見たのは初めてだ。
「ちょっと藤城君、やめてよ~。二人の秘密でしょ?」
「あっ、そうだった。忘れてた」
 美耶の冗談に恵里沙と菜央が歓声を上げた。うるさい声が教室中に響き渡った。美耶は照れながらも冗談で返せるから面白い。
「ねえ、美耶ちゃん。本当に藤城君とキスしてたの?」
 恵里沙が真顔になって美耶に聞く。
「するわけねーだろ。冗談に決まってんじゃん。な、筒井」
「え~っ? あれって冗談だったの~? 私、てっきり本気だと思っていたのに~」
 菜央が美耶のモノマネをして笑いを取ると、みんなにつられて皐月も笑ってしまった。楽しそうに笑っている美耶を見ていると、美耶とも大丈夫なんじゃないかという気がした。昼休みに真理と教材室でキスをしたことを思い出すと、美耶ともキスしたくなってしまうので、話を修学旅行に戻して冷静になろうと思った。
「じゃあ、バスレクは『誰と誰がどこで何をした』でいいか。これに『いつ』を加えて、『いつどこで誰と誰が何をした』っていう、新倉さんのアイデアと合体したのにするのはどう?」
「そうなると『放課後』、『校舎の屋上』で、『美耶ちゃん』と、『藤城君』が、『キスをした』っていう感じになるね」
「もうその話はいいよ~」
 美耶が恥ずかしがって、菜央の悪ノリを止めた。
「項目が一つ増えちゃうけど、大丈夫? 面倒じゃない?」
 美優はまともに修学旅行実行委員のことを心配をした。美優はこういう真面目さと優しさがあるし、空気を読む能力もある。
「まあ、これくらいなら大丈夫だろ。『誰と誰』はクラス全員の名前を使うってことにすれば、当日バスの中でみんなに書いてもらわなくてもいいし」
「そう? ならいいけど。何か手伝えることがあったら言ってね。私たち、手伝うから」
「ありがとう。何かあったら手伝ってもらうわ」
「よかった。これで藤城君の『バスレク係やる?』っていう依頼を少しは果たせたかな」
「新倉さんは義理堅いね。アイデアを出してくれただけでも、俺は感謝してるよ。だって面白いって思う人がいることがわかったから」
 美優たち三人は皐月と美耶を残して帰って行った。教室に残ったのは皐月と美耶の二人だけになった。皐月たちはバスレクの打ち合わせを続けた。
「バスレクなんだけどさ、新倉さんが提案してくれたのだけで、前島先生が言った30分の制限時間くらい経っちゃうじゃないかな? だったら、もうこれ以上考えなくてもいいと思うんだけど、筒井はどう思う?」
「う~ん。そうかもしれないね~。藤城君は何か他にバスレク考えてたの? 私、音楽を流すだけでいいかな~って思ってたから、何も考えてなかったよ~」
「俺はいくつか考えていたけど、どれもイマイチだったな。面白そうでも、当日の段取りが面倒だとか。イントロ当てクイズなんかいいなって思ったよ。事前に準備をしておけば案外楽だなって思った」
「イントロ当てクイズもやる?」
「まあ、一応バックアップとして準備だけはしておくか。じゃあ、どの曲を問題にするか決めておこうか」
 皐月と美耶は二人だけで教室に残り、イントロ当てクイズの曲を決めてから教室を出た。

 この日は校門で美耶と別れて、皐月は一人で通学路を歩いた。もう学校帰りは誰とも一緒に帰りたくないと思った。女子と二人でいるところを誰にも見られたくないからだ。
 今日は朝から及川祐希と喫茶店に行った。初めて学校で真理とキスをした。その直後に千智と遊び、放課後は美優や菜央に美耶とのことを煽られた。
 皐月は疲れていた。一人で通学路を歩いていると、今までに感じたことのないくらい気持ちが沈んできた。夏休みの終わりから今日までの間、嬉しくて楽しいことしかなかったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
 狭い路地を抜け、豊川稲荷のスクランブル交差点までやって来た。皐月は一人で歩いているうちに孤独の心地良さを感じ始めていた。このまま家に帰らずに、豊川稲荷の境内で少し時間を潰してから家に帰ろうと思った。


最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。