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同級生を異性として意識した瞬間 (皐月物語 62)

 藤城皐月ふじしろさつき筒井美耶つついみやは教室にランドセルを残したまま職員室へ向かった。皐月は美耶と並んで歩いていると男子からからかわれそうなので、歩く足を速めた。だが皐月が必死で早歩きをしても美耶は余裕で並んでくる。美耶は特にスポーツをやっているわけではないのに身体能力が異様に高く、スポーツ全般が得意で、クラスの女子に人気がある。皐月は無駄な抵抗はやめて、階段は普通にゆっくり下りることにした。
 職員室に入り、担任の前島先生の席を見ると隣の席が空いていた。皐月は髪の色で批判的な言葉を言われた北川先生が不在なのを確認し、ほっとした。
「二人とも悪いわね、放課後に時間を割いてもらっちゃって」
 教室では常に敬語を使う前島先生が気さくな話し方をしたので、皐月と美耶は互いに顔を見合わせた。擦れっ枯らしな芸妓げいこを見慣れた皐月にとって、気高い立ち振る舞いの前島先生は大人の女性のもう一つの理想像だった。だが、こういう柔らかい感じの先生も魅力的だ。
 前島先生の年の頃は三十代か。皐月の好きな芸妓の明日美あすみよりはだいぶ年上に見える。先生の纏う香りがシックで上品だということを、職員室でゼロ距離になるまで皐月は気がつかなかった。芸妓衆のように扇情的な香りではなく、入屋千智いりやちさとのような清潔な香りでもない。栗林真理くりばやしまりと身を抱き合っていた時の甘い匂いとも違う。皐月は曖昧な目線を装いながら前島先生の唇を見つめていた。
「今から修学旅行実行委員にやってもらいたいことの説明をするね」
 A4用紙を1枚手渡され、皐月は我に返った。プリントには片面1ページに実行委員のやるべきことが箇条書きでまとめられていた。思ったよりもやることが少ないのかな、というのが皐月の第一印象だった。
「今渡したプリントに大まかなことは全部書いておいたので、今日は特に重要なことだけに絞って話すね」
 慌ててプリントを読もうとした皐月と美耶だが、先生から後でゆっくり読めばいいからと止められた。
「じゃあいいかな。まず実行委員にしてもらいたいのは各班の班長を決めること。明日の朝の会であなたたちからクラスの子たちに呼びかけてほしいの。で、帰りの会までに各班の班長を決めてちょうだい。それからあなたたちは実行委員としての仕事があるから班長にはならないでね」
「学級委員に班長をやってもらってもいいんですか?」
「あなたたちの好きにしていいわ。修学旅行は学級委員じゃなく、あなたたち実行委員に仕切ってもらうから、特に気にしなくてもいいわ」
「はい」「……はい」
 皐月は即答したが、美耶は少し躊躇した。修学旅行実行委員は期間限定の学級委員のようなものか、と皐月は理解した。責任の重さを感じているのか、美耶はどことなく身構えているように見えた。
「班長が決まったら、委員会で決まったことは班長とだけで打ち合わせをすればいいわ。ある意味、情報の伝達を班長に分担させるってことね。班長とうまく連携が取れたら、あなたたちの負担が減って楽になるわよ」
 先生は気を使って言ってくれたのだろうが、こんなことを言われると皐月には実行委員が学級委員よりも面倒に思えてきた。人にものを頼むくらいなら自分でやってしまいたいのが皐月の気性だ。貧乏くじを引いたかな、と皐月は月花博紀げっかひろきの代役を引き受けたことを軽く後悔した。
「修学旅行まではこうして時々放課後に先生と打ち合わせをしましょう。朝の会で話し合ってもらいたいことは前の日に伝えます。あなたたちの手に負えないようなことにはならないようにするから安心して。不安やトラブルがあれば何でも先生に話してね」
 すでに不安になっている皐月は先生からもらったプリントにさっと目を通した。何をしなければならないかを知らないから不安になる。聞けることは今ここで聞いておこうと思った。
「『一日目の京都での班別の行動の訪問先を決める』って書いてあるところに*印が書いてあるけど、これってどういう意味ですか?」
「これはね、修学旅行実行委員では荷が重すぎるから、先生が主導で決めるっていう意味ね。でもちょっとは手伝ってもらうことになるかもね」
 皐月は速読で*印の付いている行だけ拾い読みをした。バスの席決めや旅館の部屋割を決めると書いてある文末に*印が付いていた。
「さっき言った班長との打ち合わせって、どういったことをするんですか?」
「それはね、京都で班別の行動の時に学校からスマホを支給されるの。緊急連絡用に班長にスマホを持ってもらうと、あなたたちの位置情報が先生たちにわかるようになっているわ」
「それって監視されているってことですか?」
「まあ制限付きの自由ってことかしら。何かトラブルがあった時に駆け付けることができるようにしておかないと、小学生のあなたたちに班別行動なんてさせられないわ。昔は班別行動なんてできなくて、どこに行くのも学校全体で決められたところに行ってたのよ。藤城さんはどっちがいい?」
「首輪が付いてても好きなところに行ける方がマシかな」
「首輪はいいわね。あなたの言う通りだわ」
 言った後、口が過ぎたかなと思ったが前島先生は楽しそうに笑っていた。
「あなたたちが大きくなって、自分の行動に責任が持てるようになったら好きなように旅行をすればいいわ。それで、班長との打ち合わせっていうのは、主に班長たちにスマホの使い方を伝えてもらいたいことなの。あなたたちが修学旅行実行委員会で教わったことを班長に教えてほしいんだけど、スマホは旅行の日にレンタルするから実物がないの。操作マニュアルだけで説明しなければならないから、ちょっと難しいかもしれないわ」
「わかりました。たぶんみんなスマホ使ってると思うから、大丈夫だと思います。ところでスマホのアプリって使っちゃだめなんですか?」
「そんなことないわ。卒業アルバムに載せる写真を支給したスマホで撮ってもらう予定だし、地図アプリを上手に使えば道に迷わなくてすむわ。ただね、使えるアプリに制限はあるの。詳細は実行委員会で北川先生が教えてくださると思うからよく聞いておいてね」
 北川の名前を聞いて皐月は嫌な気持ちになった。前島先生には気軽に話しかけられるが、北川先生とは口も利きたくない。
「先生、行動班の班別行動って、違う班の子たちと行き先がバラバラになるんですよね。どうやって決めるんですか?」
 美耶が不安げな顔で前島先生に聞いた。
「あら、よく知ってるわね。まだみんなに話していないのに」
「お兄さんやお姉さんがいる子が言ってたんです。私たちの間ではその話をよくしています」
 京都での自由行動は修学旅行の最大の楽しみだ。2学期に入ってからはクラス中がその話題で盛り上がっている。
「京都での班行動に関しては、私から学級活動の時間で時間をかけて決める予定よ。班行動の訪問先を決めるのって修学旅行で一番大変なことだからね。授業よりも大変だから、あなたたちに負担をかけるようなことはしないわ。社会や情報の授業で行き先を決める時間を作るから、その時はあなたたちも班の子たちと一緒に行き先を決めてね。実行委員も修学旅行をする側の児童だから楽しんでほしいと思ってるわ」
「やった! 授業がつぶれる!」
「あれ? 藤城さんって授業好きだと思ってたんだけどな~」
「いや……今のは筒井の心の声であって、俺は先生の授業、大好きだよ」
「ちょっとひどいっ! 藤城君、自分ばっかいい子になろうとして!」
 鋭い平手打ちが皐月の肩にヒットした。パシッといい音がした。
「痛えっ! もうちょっと手加減しろよなぁ」
「……ごめんね」
「お前、痛過ぎ」
「大丈夫?」
 美耶が皐月を叩いたところを摩っている。皐月は苦笑いをしながら手を払おうとするが、美耶は執拗に摩り続ける。
「あなたたち仲がいいわね。もう少し話を続けてもいいかしら?」
「あっ、すみません」「すみません」
 皐月は先生に冷やかされても悪い気がしなかった。美耶を見ると顔を赤くしていた。そんな美耶のことを皐月はとても愛おしく思った。この時から皐月は美耶のことを異性として意識するようになった。


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