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修学旅行の班決めと実行委員の選出 (皐月物語 60)

 6時間目の学級会が修学旅行についてのことだと先生から話があった時、教室の空気が一瞬で変わり、クラス中から歓声が上がった。悲鳴や雄叫びが上がり、立ち上がってガッツポーズをする奴もいた。
 藤城皐月ふじしろさつきは席の近い神谷秀真かみやしゅうま岩原比呂志いわはらひろしたちと喜び合った。神社仏閣の好きな秀真や、鉄道の好きな比呂志と一緒に旅行ができるのは楽しい。隣の席の二橋絵梨花にはしえりかは穏やかに微笑み、前の席の栗林真理くりばやしまりと、後ろの席の吉口千由紀よしぐちちゆきは静かに表情を緩めた。皐月と真理が一緒に旅行するのは幼少期の芸妓げいこ組合の慰安旅行以来だ。前島先生はしばらく児童達の喧騒を笑顔で眺めた後、ポンポンと軽く手を叩いて話を続けた。
 先生から期日と目的地についての話があった。行き先は京都・奈良で、1泊2日の旅となる。初日は新幹線で京都へ行き、班別行動で好きなところを観光することができる。二日目は学級別行動で奈良の東大寺とうだいじ法隆寺ほうりゅうじを参拝し、バスに乗って豊川まで帰る。
 小学校での宿泊行事は5年生の時にキャンプを経験していたが、修学旅行となると体験学習よりも観光旅行に近い。先生からは修学旅行の目的について「遊びではなく、文化遺産に触れながら学習を深めることが目的」だと釘を刺された。だが児童たちにとって初日の、大人のいない友だち同士で京都の街を巡る観光が最大の楽しみだ。
 教室の空気は京都のどこを回るかよりも、班決めで誰と組めるかの方にみんなの関心が高まり始めた。担任の前島先生もそれをわかっていたのか、真っ先に京都での行動班の班決めをすることになった。
「京都での行動班は先生が決めます。行動班は現在の生活班です」
 今度は教室内に微妙などよめきが起こった。仲の良い友達と同じ班になりたい児童らが口々に不満を漏らしていたが、前島先生の断定的な言い方に文句を言えるものはいなかった。この決定に何の不満のない者もいれば、安堵の表情を浮かべている者もいた。皐月は5年生の時のキャンプでの班決めで揉めに揉めたことがすぐに頭に浮かんだので、先生に班を決めてもらって良かったと思った。なにより今の生活班が大好きだし、真理と同じ班で旅ができることが嬉しかった。皐月にとっては最高の班になった。
 そんな中、6班の松井晴香まついはるかが声を上げた。
「先生、他の班は6人なのに、私たちの班は4人しかいません。私たちだけ班の人数が少なすぎると思います」
 6年4組は34人の児童がいて、教室の座席順で生活班が決められている。生活班は6人で一つの班になるが、6班だけは4人で一つの班になっている。34人だと均等に割れないので、どうしても4人の班ができてしまう。普段の班学習の時は特に支障はなかったが、給食の時間に班ごとに別れて食事をとる時は他の班に比べて6班だけ少し寂しそうに見える。だからクラスのみんなは6班にはなりたがらず、このクラスでは6班のことを「ハズレ班」と呼んでいる。
「4人の行動班は嫌ですか?」
「はい。知らない街で人数が少ないと心細いです」
「他の3人も松井さんと同じ意見ですか?」
 前島先生の意図はわからないが、今の班に何か変化がありそうな気がしたのか、他の3人も晴香の意見に同意した。晴香の隣の席の花岡聡はなおかさとしは晴香と相性が悪いので、聡がこの案に最も乗り気だった。
「なるほど。わかりました。では6班は一人ずつ分散して他の班に入ってもらいます。それぞれ好きな班に入って下さい」
 クラスがざわついた。晴香たち6班の4人はみんなホッとしていたが、6班だけが好きな友達と同じ班を選べることに不満を漏らす者が少なからず出てきた。
「6班の子に入りたいと言われた班は必ず受け入れてください」
 先生の強めの言葉でざわめきが収まった。4人の話し合いはすぐに終わり、それぞれの入れてもらう班が決まった。晴香は親友の筒井美耶つついみやや、大好きな月花博紀げっかひろきのいる2班になった。聡は皐月のいる3班に来るのかと思ったが、別の班を選んだ。聡は皐月と仲が良いし、絵梨花のことを好きだからてっきり3班に来ると思っていたので拍子抜けした。聡は今の席で仲の良くなった、前の席の5班に入れてもらうことになった。
 聡に振られたことは皐月にはショックだった。聡は絵梨花のことを近寄り難いと言っていたので、自分から身を引いたのか。あるいは聡も博紀と同じように、自分のことをやっかんでいて、それで自分と絵梨花が仲良くしているところをの近くで見たくなくて避けたのか。皐月には聡の本当の気持ちがわからない。
 以前、放課後に聡と二人でバスケをして遊んでいた時、皐月が入屋千智いりやちさとのことを紹介したことがあった。その時から皐月と聡との関係が悪くなった。皐月は博紀からのやっかみよりも聡からのやっかみの方が根が深いかもと感じていたが、どうやら懸念通りだったようだ。結局、皐月たちのいる3班には、6班からは誰も来なかった。

 行動班が決まり、先生から修学旅行の概要の説明が終わると、いつものように学級委員が教壇に立って学級会が進められた。行動班は先生が決めたが、修学旅行実行委員は学級会で決めるよう先生に指示された。実行委員が決まれば、今後の修学旅行に関することは、実行委員が話し合いの中心になって決めることになる。
 修学旅行実行委員の選定の前に、担任から学級委員に渡された資料を見て、絵梨花が実行委員の仕事内容について説明した。放課後に修学旅行実行委員会が行われ、実行委員はそこで決まったことをクラスの児童に伝達すること。修学旅行の栞を作成すること。クラスごとのルールを決めたり、帰りのバスの中でのレクリエーションを決めたりすること。その他さまざまな雑用があり、実行委員は相当大変な役割を担わされることになる。
「実行委員に立候補したい人はいませんか?」
 博紀の呼びかけに答えるものは誰もいなかった。無理もない話で、実行委員の仕事内容を聞けば、やってみたいと思うものはいないだろう。
「委員会って週に何回くらいあるの?」
 中央の前から2列目にいる皐月は博紀に近いので気軽に聞いてみた。詳細を把握していない博紀は前島先生に尋ねてくれた。
「恐らく週1~2回くらいじゃないかと思います。例年はそのくらいだったと思いますが、修学旅行の担当が3組の北川先生なので、はっきりしたことは言えません」
 北川と聞いてクラス中からため息が聞こえた。4組の児童には隣のクラスの北川先生は人気がない。常に敬語で接する前島先生に慣れてしまうと、名前を呼び捨てにして親しげに接してくる北川先生をうざったく感じる児童が多い。3組の児童の間でも北川先生があまり好かれていないことが知られている。そのせいで余計に修学旅行実行委員に立候補する者が出にくくなってしまった。
「誰も実行委員になりたがらないのなら、僕たち学級委員が実行委員を兼任しようと思います。いいかな? 二橋さん」
 博紀の提案に絵梨花が困惑している。
「そうですね……じゃあ、私たちでやりましょうか」
 最前列に座る真理は絵梨花と同じ中学受験組なので、絵梨花の困惑の意味がすぐにわかった。受験を控えたこの時期に、学校行事で一月も忙殺されるのはできれば避けたいところだ。
「ちょっと大丈夫なの? 絵梨花ちゃん、塾あるんでしょ」
 真理が周囲に聞こえにくいような小声で絵梨花に話しかけた。
「塾は遅刻しちゃうかもね。でも仕方がないかな……」
 皐月には博紀の気持ちがなんとなく想像できた。以前、弟の直紀なおきに博紀はレベルの高い女子が好きだと聞いていたので、博紀が絵梨花に気があると察しがついていた。誰もやりたがらない実行委員を自ら引き受けるリーダーシップは見上げたものだと思うが、博紀に下心があることは想像に難くない。博紀が絵梨花の受験事情を知らないことを考慮しても、独断で絵梨花を巻き込むことが皐月は気に入らない。
「私、実行委員やります!」
 手を上げたのは班決めの件で意見を言った松井晴香だった。博紀のファンクラブ会長の晴香だから、博紀と一緒に実行委員をやりたいのだろう。博紀と同じ班になれて舞い上がっているのかもしれない。絵梨花のことで博紀に文句を言う前に晴香が立候補してくれたので、皐月はほっとした。
「松井さん、立候補ありがとうございます。では修学旅行実行委員をお任せします。よろしくお願いします」
 絵梨花から晴香への引き継ぎが終わると、硬くなった空気が一気に解けた。晴香が博紀のことを好きなのはが6年4組の全員が知っているので、クラス中が浮き立った。皐月は博紀にざまあみろと思ったので、誰よりも大げさにはしゃいでやった。博紀の表情が少し曇ったのが気持ち良かった。
 博紀が教壇を下りて皐月のそばにやって来た。
「なあ、お前俺の代わりに実行委員やってくれないか?」
「はぁ?」
「サッカーの試合が近いから、クラブさぼりたくないんだ」
「お前、さっき自分でやるって言ったじゃないか」
「あのときは誰もやろうとしなかったから仕方がなかったんだ。お前なら安心して任せられる。頼むよ」
 深刻な顔をしていた。博紀が真剣に人を頼るところを、皐月は今まで見たことがなかった。他の奴に頼ればいいのにと思ったが、実行委員の仕事内容を考えると簡単に人に頼れるものではない。博紀の様子から自分に押し付けているようには見えなかったので、自分のことを口先だけではなく、本当に信頼しているのだろう。
「しょうがねえな……貸しだからな」
「ありがとう。正直助かる」
 修学旅行を楽しみにしていた皐月は実行委員に興味がないわけではなかった。ただ担当の先生が皐月の髪の色に批判的だった北川だったので関わりたくなかっただけだった。
「藤城君が実行委員を引き受けてくれるそうなので、お願いしようと思います」
 教室にざわめきが残る中、博紀が晴れやかな顔で言い放った。
「えーっ! 藤城がやるの?」
 晴香から悲鳴が上がった。ここまで露骨に嫌がられるとさすがに頭にきたので、立ち上がって晴香に文句を言ってやろうとしたら、博紀に制止された。
「藤城は俺より頭がいいし、信頼できるからお願いしたんだ。そんな言い方しないでくれ」
 いつも穏やかな博紀が珍しく厳しい口調になった。気の強い晴香が泣きそうな顔をしている。
「じゃあ美耶、私と代わってよ。いいでしょ」
「えっ、私?」
 急に実行委員を振られた筒井美耶はびっくりしていた。席が離れているからか、晴香の声が大きく、聞きようによっては怒気が含まれているようにも思えた。緩んだ空気が一瞬で張り詰め、しばらくの間、沈黙が続いた。いつも仲の良い晴香と美耶だが、この時の美耶は少し怯えているようにも見えた。そんな美耶を見ていると、皐月は助けずにはいられなくなった。
「筒井、俺と一緒に実行委員やろうぜ。なっ!」
 皐月は立ち上がって美耶を見た。
「私なんかにできるかな……」
「大丈夫。筒井と一緒ならうまくやれるよ。絶対」
 1学期の時のように席が隣同士だったらもっと安心させてやれるのに、と離れた席がもどかしい。
「僕たち学級委員もできる限りサポートするから、心配しないで」
 晴香に対する口調と違い、博紀は美耶に優しく語りかけた。
「じゃあ……やります」
 博紀の一言で美耶は実行委員を引き受けることを了承した。美耶が皐月のことを好きなことをクラスの全員も知っていて、もちろん博紀も知っている。博紀のファンクラブの女子のやっかみがない分、晴香が実行委員になった時よりも盛り上がった。
「じゃあよろしくな」
 博紀の言い方が軽く、爽やかなだったことが皐月の癇に障った。
「お前、もしかしてこうなることわかってた?」
「さあ」
 博紀に信頼されたと思っていい気になっていた皐月だが、こうも博紀に都合よく話が運ぶとハメられたような気がしてならなかった。同じ町内に住んでいて、低学年の頃はいつも博紀と一緒に遊んでいた皐月は博紀の性格をよく知っている。博紀ならやりかねないな、と思った。
 博紀は学校では常に穏やかで誰にも優しく接し、人心掌握にも長けている。見た目は学校一のイケメンなので女子の間では人気が高く、そのうえ男子からも慕われている。でも皐月は博紀の学校での振る舞いが外面なのを知っている。そんな博紀は6年生になってからずっと皐月に対して嫉妬のような複雑な感情を抱いている。
 でもまあいいか、と皐月は思い直した。修学旅行の実行委員をやれば、楽しみにしていた修学旅行に深く関わることができる。それに晴香と組むよりも美耶と組む方がずっと楽しい。席が離れ、美耶と話す機会が少なくなって、皐月は初めて美耶の良さが少しずつわかってきた。実行委員は面倒だが、修学旅行に行くまでの楽しみが増えたと前向きに考えることにした。


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