奈良林祥『なんの本だろう』 ヰタ・セクスアリス事始め

 ふと子供の頃に持っていた『なんの本だろう』(奈良林祥)という本を思い出した。KKベストセラーズの『ワニの豆本』シリーズの中の一冊だ。ワニの豆本は昔たくさん持っていたが、今では小林よしのりの『東大必勝法 すすめ一直線! 』の一冊しか手元に残っていない。
 奈良林祥先生の著書を何冊か読んだことがあったなと思っていたら余りに懐かしくなり、急に『なんの本だろう』が欲しくなった。アマゾンで捜してみると簡単に見つかった。いい時代だなあ。もちろん何のためらいもなく買い直した。

 小学6年生の時、本屋で『なんの本だろう』という不思議なタイトルに惹かれて思わず手に取った。すると、それは大人の階段を上るガイドブックだった。『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』を聴くようなマセガキだったので、この本がエロいことが書いてあることはすぐにわかった。しかし所詮は小学生なので、本当の意味での理解とは程遠かったが……。
 ドキドキしながら本をレジに持って行った。書名が子供にも買いやすいよう配慮がなされており、とてもありがたかった。しかし店主のおじさんにちらっとこちらを見られたような気がした。恥ずかしい本を買いに来たってバレたんじゃないかと思い、顔が赤くなった。今思えば店主が知らないわけがないのにね。。

 家に帰っていざ読み始めると言葉が難しい。先を急いでいたのでいちいち言葉の意味を調べたりはしなかったが、どうしても知りたい言葉は辞書を引きながら読んだ。でも辞書を引いてもわからない言葉がたくさんあった。子供用の辞書じゃ埒が明かないので、大人用の国語辞典で調べたりもした。あと比喩表現が子供には難しかっただろうと、大人になって読み直してみてわかった。
 今だったらググれば簡単にわかるし、動画や画像だってある。しかし昭和の時代はそんな気の利いたものはない。わずかな知識と想像力だけで戦ったのだ。これは令和時代では得難い体験だ。妄想が育ち、渇望感が高まることによって、大人になることの期待感と共に思春期を過ごすことができた。

 ある日、あまり仲の良くない同級生が一人で家に遊びに来た。こいつは私のことを変なあだ名で呼ぶのであまり好きではなかった。私は奴のことを鬱陶しいと思っていたが、あっちは私に親近感、あるいは優越感を抱いていたのかもしれない。なんでこいつが家に遊びに来たのか、今考えても謎だ。後にも先にも奴が私の家に遊びに来たのはこの一回こっきりだったから。
 それでもせっかく遊びに来てくれたのだからと、台所に飲み物とお菓子を取りに行った。部屋に帰ってくると奴は本棚から『なんの本だろう』を見つけ出して読んでいた。
 私が何かを言おうとする前に奴は「お前、いや~らしいな~」とニヤニヤしながら馬鹿にしたような顔をしていた。本を返せよと言うと「なんの本だろう~、なんの本だろう~」とからかいながら踊り出す。怒って本を取り返そうとすると、奴はみんなに言いふらすぞと言ってきた。もう帰れ、と家から追い出した。

 小学6年だった私はまだウブで、性的な本を読んでいたことを人に知られるだけで恥ずかしかった。クラス中に言いふらされると思うとたまらなかった。男子はまあいいとして、女子からは軽蔑されるんじゃないかと怖かった。実際は言いふらされることはなかったので助かった。
 今の自分がこの頃の自分だったら、こんなこと知られても全然恥ずかしくない。むしろ言いふらされても構わないとさえ思う。
 クラスの女子にいやらしい本を読んでいることが知られたって平気だ。だって、どうせみんなもこの手の本を読んでいるに決まっているって知っているから。それにマセた女子が「私と試してみない?」と言ってこないとも限らないし……。
 まあこれは冗談だけど、私がエロいと思われるのは男として全然悪くないと思う。セクシーでいいじゃない。もっとも変態野郎というレッテルを貼られるリスクもあるわけだが、別に実際に行動に移すわけがないし、当時の自分は女子と上手くやっていたから大丈夫だろう。

 『なんの本だろう』を読み返していると子供の頃のドキドキを思い出してとても楽しい。本の内容は学術的な雰囲気がありながらもユーモアがあり、深夜放送のようなノリの文章もあってとても面白い。最近ではこういう本ってあるのかな?
 もうずっと忘れていた子供から大人へと変わっていく経過を思い出すことができた。宝物を手に入れたような、いい買い物ができた。

最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。