‡:‡ 本のかおり ‡:‡ 「信仰」がテーマの読書会で、久しぶりに彼女を思い出した
先月、読書会に参加しました。
毎回テーマがあり、それに関連した本を持ち寄り、みんなで語り合う会です。
2回目の参加で、テーマは「信仰」と重め。
しかも、宗教や神に関連した本に特別な興味はありません。
でも、何となく気になって、エントリーしました。
信仰に関連していそうと思った本を持参して。
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会場は、その時のテーマによって変わります。
今回は福増寺と言うお寺でした。
テーマの「信仰」にぴったりですね。
梅雨の中休み、地面から蒸せかえるような暑さを地面から受けつつ坂を上がり、お寺の門をくぐりました。
離れの一室には、7~8人いらっしゃいました。
主催者の声掛けで全員が車座になり、読書会が始まりました。
せーので、持ち寄った本がテーブルの上に置かれます。
おお!10冊くらい持参している人もいました。
キリスト教、カルト宗教に関する本や鎖国時代の歴史小説、三貴子(天照大神、須佐之男、月読尊)に関連した本など、本当に盛りだくさんで、みなさんの読書量と未知の世界に圧倒されました。
トーク内容も私にとっては、異次元レベルです(笑)。
「神を道具のように使うこと」「一神教について」「仏教と(主に)キリスト教との違い」「カルト宗教について」など、次から次へトークが展開されていきます。
さながら、テニスの試合で激しいラリーをしている選手たちのようで、私はそれを観ている観客のような感じでした。
紹介してくれる本をわかりやすく説明してくれるので、頷く動作と同時に「こういうことだよね」と落とし込みながら、話題を追いかけました。
頭が忙しく回転するなか、私は久しぶりに遠い異国のある女性を思い出していました。
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もう20年以上前のことです。
学生だった私は、友人と3人でモロッコを旅していました。
港町タンジェから、内陸部の都市フェスを目指して長距離バスに乗ったのです。
その時、たまたま隣の席に女性が座りました。
当時は携帯電話なんてありません。
外の景色も見飽きて、ガムの捨て紙で鶴を折っていると、隣の女性に声をかけられました。
「あなたはアーティストなの?」
「違います」
「それは何?」
「鶴です」
「鶴って何?」
「うーん、日本では、祈りを捧げるものかなぁ」
私の英語力では、彼女にこう伝えるのが精一杯で、手のひらを合わせるジェスチャーも交えました。
完成した鶴を差し上げると、とびきりの笑顔でお礼を言われました。
それから途切れるでもなく話をしていたら、ふと彼女が言ったのです。
「あなたの神様はブッダで、私の神様はアッラーだけど、同じ神様よね(私の解釈です)」
うわぁ!と思いました。
私は物心ついた頃から当たり前に祈っていて、その神様はブッダなのだと、自分の外から知ることになるなんて。
初詣やお葬式など特別な時しか神様、仏様を意識することもなく、普段はお仏壇に手を合わせる程度です。
旅をして出会った方々の信心深さを目の当たりにし、無宗教に近い自分に居心地の悪ささえ感じていて…。
そんな無意識の責めを彼女は知るよしもなく、真っ直ぐこちらを見て微笑むのでした。
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何か返事をしたいわけではないのです。時々思い出す理由はわかりませんが、年を重ねるにつれて確実に祈ることが増えました。
今も彼女が元気でいてくれますように。
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最後に、読書会で紹介した2冊を書きとめておきます。
【1冊目】
【2冊目】
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