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世界は僕を中心に回っている

世界は僕を中心に回っている。

ある時、僕はコンビニでレジに並んだ。前には初老のご婦人が一人。しかし、そのご婦人のレジが全然終わらない。買っているものは3点くらいのようなので、スキャンは終わっている。どうやら、スマホで電子決済をしたいのだけど、やり方がわからないらしい。結果、店員さんがスマホを触り、「I Dとパスワードは?」と質問をするものの、「わからない」という返答。普通は、ここくらいで諦めるものだろうが、彼女は諦めない。手帳を出し、I Dとパスワードを差し出している。

僕はずいぶんと長い間待たされている。

レジは2台あり、店員はもう一人いる。発注の締め切り時間が近づいているのか、彼女がレジに来ることもない。

ようやくと支払いが終わったようだ。ところが、商品を袋に入れ、財布をしまい、いや、なぜかお金を数えている。そして、手帳をしまい、スマホをカバンに入れて。その間、レジの前から動かない。

動いたのは店員さんで、隣のレジに僕を誘導し、「大変にお待たせしました」と頭を下げる。

よくある話だろうから、怒るようなことでもなく、わざわざ文章にするような話でもないかもしれない。

しかし、僕は短期であり、時間の無駄を嫌い、他人への配慮が足りない人が嫌いなのである。ので、「早くしろよ!」と思ったのである。そして、「普通はあきらめて現金で払うだろう」「待っている僕らにひとことないのか?」と思ったのである。

まさに、これは世界が自分を中心に回っていると思っている人間の発想であろう。

見方を変えれば、スマホが苦手なご婦人が、懸命に電子決済にチャレンジし、心やさしい店員さんがサポートをして、買い物に成功をした。何ともめでたいではないか。日本政府の推進するキャッシュレスが普及した瞬間である。

ご婦人は成長したのである。だから、後ろの人間を待たせたとも思っていないし、余韻にふけるように、商品をゆっくりと持参した手提げに入れて、ドヤ顔でお店を出て行ったのである。

世界は、人の数だけ中心がある。

自分を中心だと思っている人もいない人も、結局のところ、自分が中心にならざるを得ない。

マルクス・ガブリエルが言うように、「世界は存在しない」というか、「世界」と定義できる物理的な対象はない。

世界は僕を中心に回っているし、世界は僕が見えている人を中心に回っているし、存在を認知できない人を中心にも回っている。

ということで、ほんの少し、世界の見方が変わった瞬間かもしれない。



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