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便利な時代だから生まれる微差は、人間さしさが人間の魅力につながるという話

作家の石原慎太郎さんは悪筆だったと言う。編集者が書かれている内容を読めないので、本人が音読しているカセットテープを付けて原稿を渡していたらしい。しかし、本人にも読めない箇所があるらしく、「これなんて書いたっけ?」という音声が録音されていることもあったようだ(<文壇こぼれ話①>岡崎満義)。

後からわざわざ録音するくらいなら、丁寧に字を書く方が効率的ではないかという考えもあるかもしれない。しかし、思考がどんどん先に進むと文字を書く手が追いつかないことがある。結果、文字が乱れてしまうことになる。

僕も、最近、字が下手になったと思う。もともと上手ではないのだけど、アイデアが浮かんで、忘れないうちにメモをしようと思うと、筆記が追いつかない。結果、メモ帳に書かれた文字は美しくはない。

まぁ、人に見せるものではないので、いいかなと思いつつ、乱れた字を書き続けていると、字自体がどんどん下手になっていく。

昨今は、人前で字を書くのが恥ずかしい。

それでも困ることがないのは、人に見せる文字はパソコンを使うからである。石原さんもワープロの導入が早かったようである。これで悪筆という問題は解決である。それだけではない。わからない漢字などもパソコンが変換をしてくれるので、字が下手になるだけでなく、字が書けなくなってしまう。とはいえ、世の中はどんどん便利になっていき、苦手なことは機械が補ってくれる。

文字だけではなく、計算なんかもExcelを使えば、ソロバンどころか、電卓すらも不要になる。

しかし、美しい字で書かれた年賀状は魅力的だし、暗算やソロバンの巧みな人は魅力的である。

世の中が便利になるほどに人の能力は画一化されていく。一方で人間らしさという表現はさらに大きな魅力になっていくだろう。

自動運転が一般的になれば、自動車の運転ができる人は魅力的に見えるだろう。

人間の魅力とは人間らしさからしか生まれない。人間らしさとは頭と体を使うことであり、機械との距離感を保つということになるだろうか。これからどんどん機械によって便利になる世の中で、僕らはどのような人間らしさをどのように保ち続ければいいのか。

頭を使うとは、簡単に答えの出ない問いと持つことであり、体を使うとは文字通りで、動くということになる。スポーツ選手、アーティスト、作家が魅力的なのは、彼らが人間らしいからであると思うのである。

石原慎太郎さんが悪筆であるにも関わらず、秀逸な作品を残してきたこと、ロッキーがアナログトレーニングで強敵を倒した瞬間、ドラマや映画で心に残っているシーン、これらはどれも人間らしい姿を描いている。

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