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まじめに生きて、真面目を体験する

53歳になって思うことはまじめに生きてこなかったということである。

僕の解釈のまじめとは、不誠実なことをしないということだ。誠実であることと定義していないのは、「ある」という解釈が曖昧であるからである。

中学の美術の先生が、美しいものは解釈が別れるが、美しくないものの解釈はおおよそ同じであるということを教えてくれた。つまり、良いことというのは場合によるが、悪いことに対する見解は一致することが多いということだ。

僕は不誠実なことをしてきた。そして、今、まじめに生きることが、これからの人生で大切なことだと思うようになった。



僕がやってきた不誠実なこと

幼稚園の時に、クラスメイトに大怪我をさせたことを、親に黙っていた。

小学校の野球チームで、監督の作戦に文句を言った。

中学の野球部の練習は、いつもサボっていた。校外のランニングではいつも近道を通っていた。

高校の野球部でも、いつも練習は手を抜いていた。

受験勉強はやっているフリだけで、合格しない大学を受験して親に金銭的な負担をかけた。

大学のクラブでも練習嫌いだった。

教師になると宣言をして大学に入ったのに勉強をせず、教員採用試験は当然不合格。

社会人になって、仕事のミスを隠そうとした。

女性に二股をかけていて、バレそうになったら嘘をついてごまかした。

結婚していた人にはモラハラ行為をしていた。

元妻の経営するコンビニに雇ってもらったのに、全く仕事をしなかった。

好きな人ができて離婚をした。

一緒に暮らすようになったけど、その女性にキレて、夜中に家から追い出した。

その後に付き合った女性にも、気に入らないことをされたので、キレて別れた。

元カノからの連絡は全て無視。

人に対して批判的なことばかりを言っていた。

自分よりも収入が少ない人を見下していた。

今でも、それほど一生懸命に仕事をしていない。

で、どうなったかというと、離婚をして、一人暮らしで、不安定な仕事をしながら、なんとか生きていて、それでも不誠実な癖が顔を覗かせるので、仕事を切られないかと心のどこかで怯えている。



僕が不誠実なことをしてきた理由

なぜ、僕が不誠実なことを繰り返してきたのか。思い返せば、子どもの頃から不誠実であったわけではない。どちらかと言えば、正義感が強く、曲がったことが嫌いだった。たぶん、正義感を振りかざすことができたのは、僕に落ち度がなかったからだと思う。スポーツができて、小学生では体が大きく(160センチくらい)、学級委員などをやっていたので、自分の考えを押し留める理由がなかったのだと思う。要は自分が特別だと思っていたということである。

中学、高校、大学、社会人になるに従って、人間関係が広がった。特に上下関係の幅が広がるに従って、自分の考えが通らなくなることも多くなり、自分が特別ではないことを実感することが多くなった。特別でないどころか、会社員をやってもまともに仕事ができず、フラストレーションがどんどん溜まっていった。

その結果が激太りで、65キロだった体重は90キロになっていた。姿もみっともないし、周囲の評価(特に女性)も激変してしまった。


「こんなはずではない」

たぶん、僕が不誠実なことをする元凶は、この思いにある。その結果、人を批判的に見ることになってしまい、常に怒りを抱えていた。

僕が不誠実であったのは、単なる八つ当たりだったのである。



まじめに生きるとは?

まじめに生きることを不誠実なことをしないとすると、僕がやることは、

人を傷つけない(できれば元気にする)。

不平不満を言わない。

怒らない。

言い訳をしない。

努力をする。

ということになろうか。おそらくは、そんなに難しいことではない。単に穏やかに生きるということであり、自分を特別な存在だとは思わないということである。こんなことは多くの人がやっていることで、要は悪いことをしないで、ちゃんと生きるということなのである。



まじめと真面目

まじめを漢字で書くと、「真面目」となる。一説によると、当て字のようであるが、真面目を「しんめんもく」もしくは「しんめんぼく」と読むと、「人や物事の本来のありさま」「真価」の意味となるらしい。

特別なことをしなくても、特別な存在でなくても、僕が生きていることが僕の真価であり、これからいい人生を歩めるならそれはそれ。何かの教訓を得ることが起こっても、まじめでなかった自分の行いの結果である。

「自分の人生はこんなもの。でも、もう少し何かができるかも」

そして、「もう少しの何か」を書き残していくことが仕事になれば、期待以上の人生ということになる。

とは言え、「人生の何か」に過剰に期待をせず、それでも信じて、それが実現するように日々を生きる。それがまじめに生きるということになると思う。

まじめに生きて、真面目を体験する。


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