おやじの味


「ねぇ、これなんかチカちゃんに似合うんじゃない?」

「・・うん、そうだね」

私は悩んでいた

コウスケはいい人だ
家事も積極的にやってくれるし
良い夫、そして良きパパになってくれるだろう
私のドレス選びにも飽きずに協力してくれている

ガシャン

水を運んできたウェイターが手を滑らせ、彼の服にかかってしまう。ウェイターや他のスタッフが平謝りしながら、慌ててタオルを持ってくる

「大丈夫ですよ」

そう言いながら彼は、片付けを手伝い始めた
どこまでお人よしなんだろう、この男は
今私たちは重要な話をしているのに

コウスケは学生時代から知っているし
彼の人柄は、お墨付きだ

でも、何かが足りない

情熱的な、何かが


そんな折
ワカコから数合わせで誘われた合コン
もちろん断ったが、どうしてもと言われたので
いや、今思えば、それもだたの言い訳だ
私は刺激を求めていたのかもしれない

酒を煽り
盛り上げ役に徹する
私が一番「お姉さん」だし
二次会も終わったところで、まさかの

「二人で飲み直さない?」

なぜ私?!
一番お姉さんやぞ?
しかも、いかにもギャルが似合いそうな
一番若くてちょっとオラついた感じの、坊や

ま、いいか
今宵、気分、よき
終電まで相手してやるか

さて、どこへ連れてってくれるのかな?
と思ったら、コンビニかーい
しかも店の前で飲むんかーい
これじゃあリアルヤンキーやん

ベビースターをつまみながら
ジントニック片手に熱く夢を語る、坊や
なんか可愛い弟のように思えてきた

酔い覚ましに駅までゆっくり、歩く
雑居ビルの前に立ち、ここの屋上に行こうよ、と
いや、ダメでしょ、てゆーか鍵掛かってるし
へーきへーき、と言いながら、柵の隙間から
手を入れ器用に非常階段の内鍵を外す
コイツ、カタギじゃねぇな
酔っていたし、えーい、ままよ
屋上まで「侵入」成功
街の明かりと月のコントラストが、綺麗
そして風が、心地よい

背後から聞こえる、足音
慌てて物陰に隠れ、息を潜め、身を寄せる
彼の顔が、すぐ、横に
近づく足音、鼓動が早くなる

足音が遠ざかっていく
彼と顔を見合わせて、思わず笑い出す

無論、それは犯罪であることに議論の余地はない
だけど一寸、ロマンチックさを、感じた
川尻しのぶが、吉良にときめいたように
分かっている、ただのつり橋効果だ

でも

コウスケにはない、大胆さに、私の何かが動いた

私たちは連絡先を交換した


「この間はどうもっす、マジ楽しかった
来週の土曜、岡本太郎、見に行きませんか?」


そおいえば
パリに絵画の留学に行きたいゆうてたな
絵について熱く語っていた彼を思い出す
もし投げ銭とかクラファンやってたら
ちょっと応援したげたいと、思うた
いや待てよ?!これってママ活?

ってか、何をやっている、私
これじゃあ完全にマリッジブルー沼じゃないか

この前は彼氏とか彼女いるとかの話にはならなかった
聞いてもないし、聞かれてもないから
もちろん、彼氏どころかフィアンセがいるなんて言えるハズもないが

そんなことを考えぼんやりしていたら

コウスケからの着信
あまりのタイミングと後ろめたさに
思わず周りを見渡す、誰もいるわけないのに

「チカちゃん、来週の土曜日にさ、シチュー作るから一緒に食べようよ」
「・・ごめん、その日はワカコとの約束が前々から入っててさ」
「そっかー、全然大丈夫だよ、楽しんできてね」

どうした、私
小粋な嘘までつきやがって
完全なこじらせ沼やん

そして大丈夫か?この男は?
疑うということを知らんのか?


記念館を後にした私達は
小洒落た、東京カレンダーな、レストランにいた
私の為に背伸びしてくれた感が、かわゆす

久しぶりのワインとアートの話で盛り上がる
『チカコさん、めっちゃアート詳しいじゃん!』
まぁ、ね。いちお、美術部だったし
『チカコさん、よかったら俺と・・』

ガシャン

ウェイターがグラスを落とし、
テーブルに赤い染が広がる


デジャヴ・・
コウスケの顔が、チラつく

幸い、私達の服にはハネなかった
申し訳ございません、お怪我はございませんか
と、店員

「あっ大丈夫で・・『オイ!』

・・?!一瞬、何が起こったのかわからない

『何しやがるんだ、いいところだったのによ!』

理解が追いつく、どうやらガチギレしてるらしい

『店長呼んでこいや!!!』

あまりの沸点の低さに一瞬、コントか?と思った

『服にもかかったぞ!弁償してもらうからな!』

アドラー心理学で
キレる人には目的があるとかいってたな
店員を威圧し、慰謝料でもせびるつもりか

いてつくはどうを浴び、冷静になった私は

一万円札をテーブルに置き

店を後にした


さよなら、坊や


見慣れたドアの前に立つ
躊躇いがちに、開けてみる
いつものように、開きっぱだ

いつものスウェット姿でシチューを作るコウスケ

どこまで草食なんだよ
あなたが呑気にシチューなんか作ってるあいだに
私は他の男にうつつを抜かしてたのよ
ここで男は、激しく、嫉妬するんでしょうがッ!


「どうして・・どうして何も聞かないのよ!」


「オレ、信じてるから・・チカコのこと」



そっか

そういうことだったんだ、バカだなぁ、私
己の愚かさと、彼のやさしさに打ちひしがれ
泣き崩れる私に、コウスケが優しく声を掛ける

「シチュー、食べよ」



コウスケと向き合い、食卓を囲む



「パパのシチューはしょっぱいね」

あの日と同じセリフを口にした娘に
私とコウスケは思わず顔を見合わせ、笑う
何がおかしいのよぅ、と娘

不思議なもので
この味にすっかり慣れた私は
他のシチューでは物足りなくなってしまった

これがいずれ
この子にとっての、おふくろ、ならぬ
「おやじの味」になっていくんだろうな

ふと
そんなことを考えながら
シチューと幸せを、噛みしめていた

#元気をもらったあの食事