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お客様第一を誤って解釈するから、仕事が楽しくないのかもしれない。

 やす かわはらです。「お客様第一」という単語に100パーセント賛同しますが、仕事の中での「お客様第一」は必ずしも100パーセント賛同できずに、心がざわつく人が一定数いそうです。わたしも少なからずそう感じることがあります。

 お客様第一 = 自己犠牲
 お客様第一 = 自分は我慢

のように感じてしまってないでしょうか?犠牲がないと/我慢しないと、お客様第一が実現しないかのように。でも、本当にそうなのでしょうか?

1.お客様第一 が、辛く感じてしまう要因の分解
2.お客様第一 が、本来めざすこと
3.おまけ

1.お客様第一 が、辛く感じてしまう要因の考察

 仕事でお客様第一の対応を求められた時の解釈を3例、挙げてみます。

1)お客様第一
  →お客様から言われたことをやる
   →自身の意見は後回しにしてやらされ感になる
    →楽しくない
2)「お客様第一設計」の製品サービスが、お客様のためになってなさそう
  →そんなアウトプットを出したくないが、担当として提案や実装が必要
   →自身の中の葛藤が大きくなる
    →楽しくない
3)お客様第一を実現するための情報収集やリサーチ
   →多方面な意見を教えてもらう
    →相反する意見や到底受け入れられない意見など多彩過ぎる
     →方向性を何とか出す
      →上記2)につながる
       →楽しくない

上記3点に共通するのは、「お客様第一」はお客様が正解を知っている と思っていることではないでしょうか。

2.お客様第一 が、本来めざすこと

 結論から申し上げると、「お客様第一」で目指すのは
・お客様のことを第一に考えること。
・お客様のお役に立つことを第一に考えること。 つまり、

ゴールはお客様の困りごとを解決すること    であり、
自身の思考をお客様の困りごとの解決に使うこと ではないでしょうか。

 わたしの解釈は以下です。

 「お客様第一」の答えをお客様に求めることは、自身の思考をお客様のために使うことを放棄している。それは責任の放棄であり、自己保身と言えるかもしれない。「言われたことをやる」のは、結果がどうであれ文句は言われない。言われた通りなのだから。そんな仕事は楽しいのでしょうか?

 例えば、現代人は、一刻も早く海外の目的地へ行きたいお客様には大航海時代のような大型帆船は提案しないでしょう。お客様が大型帆船をご要望したら大型帆船を提案しますか?。お客様の目的(困りごと)の解決をしたいなら、飛行機を提案するでしょう。

 お客様の解決にお役立ちすること。ありがとうと言ってもらえること。
自己保身のために動くより、何倍も楽しいと感じます。
(そのぶん、大変になるでしょうが、それと楽しい感情とは別です)

以上がわたしの解釈です。皆様の「お客様第一」解釈はいかがでしょうか?ぜひ教えてください。


3.おまけ

 その1."わたしの解釈" に至った経緯として、過去にわたしも「言われたことだけやっとけば文句言われない」と、言われたことだけをやっていた頃がありました。
 転機は、お客様に言われた通りのアウトプットを「違う」と評価された時。振り返りで身に染みたことは、お客様は知る範囲でしか発せません。範囲が変われば発することは変わるのです。発することが正なのではなく、発したくなる動機がお客様にとっては正なのです。

 その2.提案する具体的な策は、その人の"らしさ"がでます。
辛くないこと=楽しいこと の感じ方は人それぞれだからです。例えば、
・できるから楽しいひとは、確実に実現できる策を提案するでしょう。
・できないことを面白い=楽しいと感じる人は、ワクワクする未来の策を
 提案するでしょう。


以上です。