【ひきこもごも】1

あの頃の記憶は酷く不確かだ。
風景や光景はそれなりに思い出せるが時間の感覚は全くチグハグである。
時間というものが相対的なものであるという事を知った時にはなるほどと納得いった。
当時の俺には時間を知る相対的なものが少なかったのだ。
1日は昼と夜明けの繰り返しで、一週間はラジオの番組表で、一ヶ月ともなるとそれを知る為のものは無かった。
今でも鮮明に思い出せるのは常に暗く埃っぽい部屋とそこに斜光窓の隙間から差す細長い光
あとは夜明け前の青く薄く白くなる空
何百回と体験した目醒めと眠りの記憶は色褪せるどころか色濃くなっている。
そんな忘れ欠けていく中でも残っている記憶を少しずつ掘り返してみようと思う。

2000年代に小中と過ごした俺は、小学3.4年生を不登校、中学生活では1年生に成るって2.3ヶ月後から中学3年になる位までヒキコモリで過ごした。
当時はヒキコモリとニートが社会問題で、TVでは笑いのネタになるくらいだった。

そんな中、俺は千葉の田舎で学校にも行かずに1人部屋で漫画と小説とラジオを食べて生きてた。

当時「俺はヒキコモリじゃなくて学校に行ってないだけだ!」という謎のアイデンティティを持っていたが、それは世間のイメージのヒキコモリがあまりに酷くて一緒だと思われたくなかったのだと思う。

実際に当時の世間の言うヒキコモリとは少しだけ違っていた所があった。

学校には稀に気が向いた時に行くし、行けば漫画やアニメの話しをする程度の友達も居た。
イジメられる事も無い。
しかし学校の外で友達と遊ぶ事は無く、殆どの時間を真っ暗な自分の部屋で少しだけ斜光窓を開いて漫画や本を読む生活。

キッカケは色々あったと思う。
中学生になって初めて部活に入り、体力が無くて練習に着いていけなかった事。
小学生の頃に我が儘で乱暴でガキ大将だった俺は毎日遊んでた友達だと思ってた奴らに嫌われてた事を知った事で中学生に上がって友達を作る事が出来なかった事。
勉強がとにかく嫌いだった事。
朝起きるのが苦手で寝坊がちだった事。
面倒臭い事を嫌っていた事。
上げればキリがないが、何もかもが自業自得だった。

唯一そうではないかもしれない事が有るとしたら母子家庭で家が居酒屋で、母親はそれを毎晩遅くまで一人で切り盛りしていた為にあまり一般的な教育はされなかった事くらいだ。

大人になってみて、中卒で元ヤンの母親が子供二人を抱えながら一人でお店の経営をしているなんて事は一生頭の上がらないような偉大な事だった。
その背中を見て育った自分はあれこそが母からの教育であったと今では心から思える。

だがしかし、当時の俺は自分の事以外は考えられないし意見も碌に聞かないどうしようもないロクデナシだった。

母親とも相当に喧嘩した。
産まなきゃ良かったとも言われたし死ねとも殺してやるとも言われた。
そりゃいきなり自分の子供が部屋に篭って出てこなくなって何を言っても何をしてもダメで、何も言わず考えてる事も分からなければ狂うのは当然だろう。
本当に今も昔も母親には苦労を掛けてきた。

そんなこんなで色々な問題を抱えながら薄暗い部屋で1人で自分の世界を存分に謳歌していた。
ネット環境も家には無かった為、本当に1人だけの時間であった。

当然こんな事をしていて良いのかと子供ながらに思う訳だが、当時の俺は漫画に出会ってしまっていた。
そして俺が一番大好きな漫画「スクールランブル」の一番大好きな主人公播磨健二が失恋して突然漫画を描き始めるのを読んで「これだ!」と思ってしまったのである。

俺は漫画家になるから学校なんて行かなくていい。
俺は漫画家になるから勉強なんてしなくていい。
俺は漫画家になるから友達なんていらない。
なんとも救い用の無い逃避だ。

辛い事や苦しい事や面倒な事から逃げてる自分を正当化してしまったのである。
そして本気で漫画家に成ろうと思ってる訳でも無く、ただ現実逃避の言い訳なのだから大して絵も描かず、話も書かず、面倒で辛く苦しい"努力"というものは殆どしなかった。
ただ寝っ転がりながら空想妄想をして、一人で凄いと夢想する。
今思えばこれが人生で一番取り返しのつかない逃避であったように思う。

そんな今更もその当時もどうしようもなく救いようのない子供の話しを書いていく。


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