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とある歪な人間の自伝 その9

11 一人で生きていくと決めた

何はなくとも月日は流れる。
環境に劇的な変化もないし、人間関係も変化なし。
担任は明らかに嫌そうな顔をしてわたしの進路希望を聞いてきた。

厄介者という認識なんだろうな。
わたしは担任に同情しつつも手早く進路希望の紙を書き進めたことを覚えている。

高校受験に差し掛かるある日のことだ。
何を思ったのか母親が全寮制の私立の高校へ行くようにと勧めてきた。

…本当に、何を思ったのか。

提案自体は願ってもない環境。もちろん足元を見なければ、という『条件付き』でだ。
現実を見れば鼻で笑うしかないのは考えるまでもなかった。

要するに、「どこにそんな金があるのか」という話。

なのにどうしてそんな提案を? まさか今更わたしを不憫に思った? いやいや逆に考えれば…厄介払いをしたかったのかもしれないし、家族が壊れていくのは絶えられなかったのかもしれない。とも考えられる。
元凶排除とは聞こえがいいが、そもそもどこに『元凶』があったのか。

わたしも、相手も、みんな違う人物を指さすだろうに…とは口にしない。
もっともそれは当人の、各々の胸の内。他人のわたしがいくら考えたって闇の中だ。

考えてもしょうがない理由なんてのはさておき、問題はこの提案。
これをどうするかだ。いや、どうするもこうするもないのだが、提案している側は本気だ。本気で妙案だと信じている。こう思い込むと人は頑固になるものだ。

誰しも経験があるだろう。妙案というのは本当に曲者で「自分の考えはどう考えても一番いい選択だ。」そう思い込んでしまったら周りは見えなくなる。
勝手に周囲の音を遮断してしまうのだ。まわりがいくら注意をしたところで届かない。自分自身が自分を気付かせないといけない。
もっとも相手はそこまで考えられていないのだから、この場合は非効率でも説得しなくちゃいけない事には変わらない。

言葉を繰り返すが使命感に駆られている人間はこう考えている。「自分は何より正しい」と。
そんな人間に対して、真っ向から『それは違う』、『間違ってる』と言っても理解ができるものではない。
しかしながら今更そんな話をされてもわたしには絵空事にしか映らない、これもまた事実だ。

結局、その話を呑んで家を飛び出したところで、遠からず頓挫するのは目に見えている。
外野は言うだろう。「最初から諦めてる」って。いやいや、馬鹿をいわないでくれ。

支援がない状態でわたしになにが出来る? 高校で働きながら通う選択肢を選ぶのか?
そういう人もいる? それこそ可笑しい。入学金はどうする? 学費はどうする? 完全に自分の力で私立というシステムに乗っかれるものか。

後から資料を見れば実に胃が痛くなる金額だ。
初年度納入金額に約120万。互助会費に月6~8万。教材費に月2~4万。
そして寮代金(光熱費、食事込み)に7万。

数か月後にその金額を出せる中学生が何処にどれだけいる? 問題はそこだ。
頭の金額はよしとしても、月に納めなければならない金額は確実に存在する。

月にわたしに約18万を投資しなければならない計算となる。あるいは稼ぎ出さなければならない。
その金額を叩き出すには学校にいっている場合ではないという本末転倒な結論しか浮かばない。
学業支援や無償化が叫ばれる現代とは違う。これはバブルが弾け、しばらくたった後の話だ。
確かに学費免除の条件はある。しかしそれは学校内で順風満帆な生活態度を見せ、教員との良好な関係を構築して初めて成し得る偉業だ。

初手で躓いているわたしが得られるものではないのは誰が見ても明らかだろう。

それに富裕層は金銭感覚が未だにバグっていて、下は巨額の負債を返したいのに金がないという状態。
こんな学費というのは些細なもので当時は何かをしようと思えば、何かにつけて巨額のお金が必要だったのだ。

それでも私立に行かせたい。となれば、どこかしらからお金を借りなければならない。

例えば奨学金。おおよその学生がおそらく最初に借りる巨額の学業運用資金。だが振り込む口座の指定は任意だ。
わたしの家の場合に当てはめると、この制度を使っても意味がないという結論になる。なぜならその金はわたしに使われるわけではないからだ。

簡単な話、生活の維持や、ギャンブルに使われる金であることは確認せずともわかる。
現に父親は立派なもので、進学を取り消して働けといってくる。それが当たり前だといってくるのだ。
例えば母親が「そうはさせない」と言ったところでなんの担保にもならない。

そうだろ? それが出来るのならばとうの昔にこうはなっていない。

その背景は推して知るべしといったところだろう。こちらには積み上げられた歴史があるのだから。
ならば例えば…

奨学金を得るのならば両親の同意なしに事を進め、偽装してでも両親のサインと印鑑を得なければならない。
ただ偽装するにしても最低限の時間と資金が必要だ。同じ場所にいれば発覚するリスクも高くなるし、正直家族に信頼は置けない。
こう考えるといろいろと条件は見えてくる。出来ること、出来ないことをわたしは子供ながらに選別していた。
結局のところあらゆる条件を持ち出して母親を黙らせて、わたしの選択はお金のかからない公立学校で、それでいて近くの高校へ通う道を選んだ。

理由はいくつかある。
一つは高校になれば年齢を偽らなくてもバイトが出来ることだ。
次の3年で資金を貯めるなければならない。働いて稼ぐことはなによりも第一条件となる。
二つ目に手続が非常に楽だということだ。入学試験も在って無いようなものなのでそこに時間をとられる心配がなかった。
近くの高校はレベル(偏差値)が低い。それは最低限勉強をすれば進級できるというメリットもある。
低いラインなので教材も必要最低限あればいい。それには交通費もそうだが無駄な出費がない方がいい。

なにもかも最低限。しかしこの最低限というのがミソだ。

事実、わたしの成績はまともに授業を受けなくとも中の上を維持できる環境だった。
教科書を一度読めばそれで点数を叩き出せるのだからこれほど簡単なものはない。
結果、学校の時間という無駄な拘束時間を労働に費やすことが出来たわけだ。

そう、わたしが学校に行きたくないのだ。
さらにハッキリいえば学校という場所はわたしにとってストレス発生装置以外の何物でもない。

具体例の一つに聴覚障害がある。
以前からのストレスもあってか、やはりこの『学校という限定された場所でのみ』わたしの聴覚に異常が発生する。
症例はクラスメイトの言葉、教員の言葉が致命的に認識できない、というものだ。
確かに『音』は聞こえる。しかし『言語』が理解できない。急に外国に放り込まれたような錯覚さえ感じるほどに。
これは耳が悪いのか、頭が悪いのか。まったく理解が出来ないのだがひとまず聴覚障害としてわたしは頭の隅に追いやることにした。

パニックにはならなかった。比較的冷静に受け止めていたのは、これがさしたる問題とはならなかったからだ。これは単純に学校での時間を最大限縮小すればいい問題だからだ。
たかだか人の会話が聞き取れないだけ。なにをいっているのか雰囲気を見れば最低限の理解はできる。それに読唇術の真似事じゃないが、口の動きを覚えれば簡単な言語は何とか理解できる。

…解っている。いっている事は滅茶苦茶。そんなことは百も承知だ。

でも無理やり押し通さなければ、そう思わなければ、わたしの目標は果たせない。これも事実だ。
わたしの性質上、どんなに努力したって何でもかんでもは手に入らない。周到に外を埋めて、足りない知識で想定しなければならない。
最善は手に入らない。最善から3個手前位を的確に狙いに行く。
それで手に入るのは及第点の5個手前が関の山だ。

なら最初から最善手を狙って行けって? それで3個手前だろって? いいや、そうはならない。
最善手、つまり1個目を狙いに行けば、最終局面で手痛い仕打ちを食らう。そうして得られるものは何もない。何も手に入らない。わたしはこれを教訓として知っている。
先頭列で出し抜ける運を持っていないからだ。一番人気の争奪戦で負けてから次に二番人気を狙いに行けると考えるのは虫の良い話。完全に出遅れた状態から狙いに行ける旗は周りが相当間抜けでもない限り存在しない。

並列に並べられたビーチフラッグをイメージしてほしい。
誰もが1番を目指す中、わたしは真っ先に3番を目指す。このアドバンテージを手に入れてもなお、着実に手に入るのはフェイントをかました後の5番目。わかりやすい話だろう? 絶対的有利、絶対的安全圏、絶対的確信なんて言葉はわたしとは無縁だ。わたしが出来るのは詰将棋のような理責めでなければならない。そのあとでノーゲームにならないことを祈る、この二つだけ。

だから最善を初手から切り捨てていく。
孤立は最初からだ。だから学校生活でも孤立することを必然的に最初から選ぶ。
孤立するからこそ、自分の時間を持つことに成功する。そう断じる。

楽しいとか、面白いを探さない。探してしまって見つけてしまったらわたしは立ち止まってしまうから。
だからとことん外の世界で、限定的な環境で、苦労の空間を楽しむことに没頭する。
その苦労の中をとことんまで突き詰めていく。

つまり労働だ。学生でもできるアルバイトだ。

田舎だから近くにまともな仕事場所はなかったが、少し走ればないわけではない。
平日昼間は個人経営の中華料理屋で働き、夕方はスーパーで閉店まで働く。夜間は工事現場で日雇いに向って、夜中や早朝に家に帰ってくる。
そこから家での仕事(犬の散歩や妹たちの食事)をこなし、また昼前から出かける。
たまに学校に行き、必要最低限テストだけを受けて、また労働に向かう。

わたしの場合、睡眠は重要な問題にならない。
まったく眠れないからだ。もっともこれが病気だとは露ほど思わなかったが…。
というのも朝方、急に意識がなくなるタイミングがあったが、所詮わたしが倒れていたところで誰も気にしない。それに寝ていれば父親に「金も稼がないで眠るなんて、いい身分だな」と蹴られるのだから、ただわたしの精神力が弱いだけだと決めつけていた。

そんなサイクルで月に得られるお金はそれで12、3万程度。家に持っていかれる金は5~8万程度。必要最低限の交通費、備品の購入費を抜くと3、4万残る計算。
そして3年で100万以上貯めた。自動車免許をとるのに些か持ち出したが目的金額としてはまずまずだと思った。

正直、鼻で笑うような金額だ。でも、それが当時のわたしの精一杯だった。
精一杯をかき集めた、ひと財産。

たしかに最初から学校に行かずに働いていれば…そう思ったこともある。
しかし冷静に考えるまでもない。学校に所属しているというメリットは存外大きい。これは社会に出てからなおさら実感することだが、やはり中卒と高卒では評価は雲泥の差なのだ。
それに当時はまだ漠然とだが高校を卒業すれば進学と正規料金で就職が出来る。そう思い込んでいた。これがこの先とても重要だと子供ながらに思い込んでいた部分もあった。

一人で生きていくためにはなんにせよ最低限の肩書が、建前が必要だった。
それは高校時代の労働の最中で様々に助言を集めた結論でもある。
さて、苦労話でまとめられる話であったがそうはいかない。解釈には、物事には、いつも客観性が必要なのがご愛敬だ。

もう少し自己分析できる能力があれば、と思うこともまたご愛敬である。
では、その客観性に照らし合わせてみた、当時のわたしはこんな人間だという話をしよう。

そもそも言動はおかしい。会話自体がかみ合わないという。特に学校ではそれは顕著だ。
そして人間関係、コミュニケーション、そもそも付き合いが圧倒的に悪く、クラスのだれとも接点を持たないので何を考えているかわからない。
気が付いたらいなくなってしまうし、バイトをしているのは知っているが見かけても伸びっぱなしの髪の毛をヘアバンドで掻き上げ、服装も最低限でおしゃれとは無縁。早朝に悪そうな人たちとたむろしていて、近づきたくない。
いつも喧嘩してそうで、クスリとかやってそう。という話も良くささやかれた。

そんな男が当時のわたしだ。
クラスメイトからすれば不気味以外の何者でもないことは本人以外がよくよく認識している事だったであろう。

滑稽なのは、本人にその異常性の認識がないということだ。
学校での評価など本人からすればどうでもいい。金さえ稼げればなんでもいい。
ただ援助交際が社会問題になり始めたころ、月に数十万稼ぐことを自慢していた女には若干の苛立ちを覚えたが、それも些末なことだ。

アレは楽にお金が稼げる。

わたしはそうではない。ただそれだけのこと。
わたしは一人で生きていく未来に、馬鹿みたいに夢をはせていたわけだ。
もうすぐ、目的は叶うと。

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