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【格闘技】クロン・グレイシーUFC参戦の噂

を、まだ確定ではないらしいのでなんとも言えないが、非常に趣深く感じる。

UFCはそもそもホリオン・グレイシー(クロンの父・ヒクソンの兄)が立ち上げに関わっていて、言わばグレイシー一族ありきで始まった。

初期はルールもさほどなく、出てるメンバーには格闘家もいたが、街の喧嘩自慢とさして変わらない者も多かった。

そんな第一回大会と第二回大会を、体格の小さなホイス・グレイシーが柔術で制し、グレイシー一族の名声とUFCの人気を一気に高めた。今から25年前の話だ。

25年の間にUFCは完全に競技として整備された。旗揚げ当時の荒々しさ、殺伐とした雰囲気は失われた代わりに、本物のアスリートが金網を席巻している。

全米のレスリングエリート達が働き口を金網に求めて押し寄せている。もう最近のUFCでは一本勝ちを殆ど見ない。

柔術家の多くは、MMAに最適化されたレスラー相手に寝かされ、上から徹底的に削られる。レスラーは決してポジションを失わない。時間いっぱいまで、削りに削られ、漬けられる。恐らく、クロンもそうなる。

クロン・グレイシーのMMAは異常だ。最近のどのタイプにも属さない。どことなく、まだ異種格闘技戦の残り香がする、古いMMAの雰囲気を纏っている。

クロン・グレイシーは平気で下になる。現代MMAでは背中をマットに付ける時間をいかに短くするかに皆腐心している。クロンは自ら横たわり、上になってきた相手の耳を殴る。三半規管を狂わせるためだ。

ターザン山本さんの言葉をお借りするなら、“殺し”がある。

なぜ出るのか。グラップリングの世界において、もうこの上ない程の栄誉を手にしているはずのグレイシー一族の末裔が、なぜロマンの挟む隙のない現代MMAに挑むのか。

この事の重みを、お笑いで例えたい。

一番近い例えを相棒と話していて絞り出した。

『立川志の輔がR-1グランプリに出る』

だ。

当代随一と皆が認める達人が、なぜ自分に不利な、制限がある競技に参戦するのか。

クロンは凄いが、恐らくUFCでは勝てない。

志の輔師匠は凄いが、恐らくR-1では勝てない。

UFCのルーツはグレイシー一族、R-1のRは『落語』のR。そう考えるとますますこの例えが当てはまる。

出ても恐らく勝てない。しかしその事で何ら価値を落とす事ない。


でもどうだろう?見たくないか?

セカンドにヒクソンを従え、グレイシートレインで金網に入場してくるクロン・グレイシーを。

R-1の煌びやかなセットの真ん中にいそいそと出てきて座る立川志の輔を。

そういう事を、僕は言いたい。

コーヒーが飲みたいです。