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網膜色素変性症①発覚~通院

きっかけは3年前、母が網膜剥離になったことだった。

なったんだかなりかけたんだか緑内障の一環なんだかちょっともうよく分かんないけど、とにかく「買い物行こうとしたら道中突然視野が欠け、こりゃいかんと思って眼科に駆け込んだら緊急手術になった」というような話だったと思う。一歩遅れてたら失明というところだったらしい。「思う」とか「らしい」とか言うのは、帰省したときに聞いた話だったから。そのときにはもうだいぶ日が経っていたようだ。

この話を聞き、私は「こりゃいかん」と思った。その頃、私自身も視野が欠けているような気がしていたのだ。
欠けてるっていうか、左目の左上辺りが、

なんか…もじゃもじゃする……?
砂嵐がかかっているような、そんな感覚があった。

そこでその後、コンタクトの定期検診のとき、かかりつけの眼科医に言ってみた。

私「なんか視野が欠けてる気がするんですけど、母が緑内障になったんで心配で」
医者「(鼻で笑い)気のせいだと思いますけどねえ」

てめえ……。

とは言いつつ、念のため視野検査しますか?と言ってくれたので、お願いすることに。
これは後から調べたことだが、使ったのはゴールドマン視野計というものだった。機械に目を当てて、大小の光の点が画面の方々に現れるので、見えたらボタン押してね~というやつ。まあまあ時間がかかるのだった。

検査終了後、結果を見た医者の表情は一変した。

「これは……あの……網膜色素変性症の可能性が非常に高いです……」

もうまく…何て…???

いまいち病名が聞き取れないまま、日頃の見え方について問診される。歩いているとしょっちゅう色々なものにぶつかること。よく段差を踏み外すこと。特に暗いところで、横から来たチャリが見えなくてウォッてなることがあること。などを、率直に話した。
医者は、「これは~コンタクトの検診なんかだと気づけなくて~申し訳ない、知り合いにこの病気詳しい医者がいるから紹介しますね」ともごもごしながら、DODEKA病院への紹介状を書いてくれた。ついでに聞き取れなかった病名もメモに書いてもらった。

家に帰って早速ググってみると、難病情報センターのページが真っ先にヒットした。 要約するとこうだ。

  • 症状:夜盲、視野狭窄、進行すると色覚異常、視力の低下、究極的には失明。

  • 原因:遺伝子の変異。50%は遺伝と言われているが…。

  • 治療:今のところ確立された治療法はない。

これを見て私は思った。難病…ってことは幸村精市とおそろ……ってコト!? 馬鹿になっていた。むしろ私から報告を受けた母のほうが「遺伝かなあ、ごめんねえ」としょんぼりしていた。別に母は緑内障であって網膜色素変性症ではないし、それを言うなら初見の美容師がもれなく唸るうねりまくりの天然パーマのほうがよっぽど遺伝で困っているのだが。

とにかく早く精密検査をしたほうがよさそうだと思い、私にしては珍しく迅速に、DODEKA病院に電話をかけた(私は死ぬほど電話が苦手だ)。歌舞伎を観に行ったときに、劇場のロビーで勢いでかけたことをよく覚えている。予約は2週間後の日付で取れた。

精密検査の結果、網膜色素変性症で間違いないということだった。左目がもじゃもじゃすると思っていたのだが、どうやら右のほうが悪いらしい。なぜだ。もしかしたら右は、もじゃもじゃを通り越してすでに暗転している部分が多いのかもしれない。
とはいえ現状できることはないし、即刻失明するというほどでもないので、半年~1年に1回検査をして経過観察することになった。そうして通い続けて、今3年ちょっとになる。経過観察だけで別に話すこともないからだろうけど、医師は毎回似たようなことを言った。


「島さんねっ、まあ網膜色素変性症で間違いないと思うんですけど、」
⇒3回目くらいまで毎回これ言われた。さすがに初回で理解しとる。

「親族に同じ病気の人います?」
⇒これも3回目くらいまで言われた。聞いたことありません。
 ただ、自覚してないだけで実は発症してる人はいるんじゃないかと思う。あと親戚付き合いほぼしてないから知らねえ。

「結婚してるんだっけ?/子どもいるんだっけ?」
⇒遺伝する可能性があるから覚悟しといてねという話らしい。幸いなことに、私は子どもが欲しいと思ったことは一瞬もない。

「どこ住んでんだっけ?」
⇒○○区です
「じゃあ夜も明るいからいいね! 田舎は真っ暗だから無理だと思うよ!」
⇒つらいことがあるとすぐ「山に帰りたい……」とぼやく私だが、その可能性は潰えたようだ。そもそも山に住んだことない。
それ以前に、田舎暮らしの必需品・運転免許も持ってないし、目がこれじゃあ今後取ることできないだろうし、私は一生東京から出られないのだろう。都会の申し子……ってコト!?


毎度こんなやり取りをする。

他の患者さんのブログなんかを見ると、薬を処方されたり特殊なグラスを作ったりすることもあるようだが、私の場合は特にそういうのはない。何をやっても焼け石に水なのか、対策を必要とする段階ではないのか。
別件で、鼻で笑われたのとは違う眼医者に行ったとき、網膜色素変性症の話をしたら「大変ですね…じゃあ何か対策は…?」「いや特に…」「医療費の助成の話とか主治医の先生とはされてますか?」「いや特に…」「エッ」というリアクションをされ、網膜色素変性症のパンフレットをもらった。紫外線に気をつけたほうがいいですよ!というアドバイスもいただいた。そういうの初めて聞いたんですけど。
結局助成は後日自分で調べて申請したのだが、その話はまた次回。




小学校低学年から視力が下がり始め、メガネを作った際、「そんなんじゃ大人になるころには目見えなくなっちゃうよ」と母に脅かされ、「えっ、見えなくなるくらいなら死の」と自分の両手で自分の首を絞めて死のうとしたことがある(死なない)。母としては「だから目を大切にしなきゃだめだよ」という程度の意図だったのだろうが、遺憾ながら私の思考は生まれつきデッドオアアライブだった。
しかし失明の可能性が現実的になった今、近々で死のうとは考えていない。障害者手帳取ったらなんか色々お得になったのだ。こいつぁ利用しなきゃ損だぜ。死ぬのは満喫してからでいい。
幸いなのは、20代のうちに自分で異変に気づけたことだ。他人の視野が分からない以上、多少見えづらくても、近視だしこんなもんかなで流してしまう可能性も大いにあった。そうしたら、状態としては障害者レベルなのに健常者として何の社会福祉も受けられずただ生きづらい生活を送っていただろう。よかった。お母ちゃんに感謝。身体を大切にね。

つまり何かって言うと、

  • 夜道で横から人や車が来ても気づかない

  • 道端のチャリや電柱にぶつかりやすい

  • 視界の一部がもじゃもじゃする

  • 暗転移動に人並以上に困難を感じている演劇人

  • 舞台袖、暗いし狭いしあんまりいたくねーわと思っている演劇人

このような方は、早めに眼医者に相談してみてください。視力は関係ありません。私も矯正視力は健常です。検査の結果、何もなきゃないでいいんです。一時的に懐に打撃が来るだけです。
目以外でも、慢性的につらい症状があったらさっさと病院行こうね。私の同居人はしょっちゅうおなか痛い痛い言ってると思ったら難病の潰瘍性大腸炎だったよ。2人そろって難病だよ。ウケるね。わろえん。

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