見出し画像

母親をうとましく思ってしまった罪悪感

私はずっとアパート暮らしだった。両親と兄と。でも兄は大学に入ると同時に一人暮らしを始めた。

私が23歳の時に、兄が結婚し家を建てることになった。そこで兄夫婦と親が同居することになっていた。

私はもう家が半分建ったくらいの時にそのことを聞かされた。

「めんめどうする?」

母親が私に言った。

「どうする?」って・・・。

私は一人暮らしするしかない。それしかない。

住んでる所から、1時間以上も離れた田舎に家を建ててるし、常識的に1人暮らしするのが普通でしょ。

そんなのわかってて「どうする?」って言った。

そして、そろそろ家が建つって時に、父親が死んだ。急だった。

母親は毎日泣きまくった。毎日毎日毎日、目の前でず~っと泣かれて、私は滅入った。私だって、後に円形脱毛ができるほど辛かった。

でも、母親の方が辛いと思って慰めた。守らなきゃって思った。

そして母親と兄夫婦が、新居に引っ越す日が近づいてきていた。私は漠然と「母親の傍にいた方がいいんだろうな」とは思っていた。

そんな時、兄嫁が「めんめも一緒に住む?」と言ってくれた。私も一緒に住むことになった。

でも、母親、兄嫁、私の女3人。うまくいかなかった。私は結婚を機に5年程で家を出た。というか5年いさせてもらった。

私と離れて住んでからも、母親は何かあると私にグチる。兄嫁がどうとか兄がどうとか・・・。言う人が私しかいないし、気持ちがわかるから聞く。

そして、母親が「もうどうしていいか、わかんない」と、すごく落ち込んでいる時に、切なくなり「いずれ家を建てるかと思うし、保険で家(私たちの家)もあるって思ってれば?」と慰めた。

そう思ってれば、気が楽になると思った。

でもこれがダメだった。母は何かあれば私に頼ればいいと、甘えるようになった。

それから何年かして、私たちは家を建てた。たばこも吸わないし、お酒も飲まないし、無駄遣いはしない質素な生活。だらしない兄たちとは正反対の生活。そんな生活をしていて、やっと家を建てた。旦那が頑張って建ててくれた。

そして最近、母親と兄が特に仲が悪い。原因は全て兄なのはわかってる。兄は本当にクズ。兄に対して、そんな言葉を使いたくなかったけど、クズとしか言いようがない。そんな人間になってしまった。

母は、そんな兄や兄嫁のことを、会う時はもちろん、電話でもメールでもグチるようになった。

母の置かれた立場や状況を考えると、グチらずにはいられないのもわかる。でも毎回毎回だと、こちらが病んでしまう。

実際、母の話を聞くたびに私の病気は悪化した。何度も体調が悪くなった。だから「あまりグチばかり言わないで」と言った。

すると母親は「それはわかってるんだけど、他に言う人がいないから・・・」と言った。

母は、重たい話ばかりすると、私が体調を崩すのをわかってる。病気が悪化すると、1人では何もできなくなってしまうのを傍で見ている。

それでも私にグチるのだ。それだけ母親も辛いのだろうと思う。でも私も苦しい。

※病気のことは、また別の機会に書こうと思うけど、精神病とかで病む訳ではないです。

私の体調が悪くなった時に、2日間だけ新居に泊まりに来てもらったことがある。その時に「お義母さん、ここに住みそうだね・・・」と少しニヤっと笑いながら言った。私はその時は何も考えず「それは多分ないと思う」と言った。

後から考えれば、母は「ここに義母が住むと、私が来れなくなっちゃう」と言いたかったんだと思う。というか、そうでしかない。

そして私は寝込んでしまうので、何がどこにあるか?など家の中を説明した。

すると母は、私が寝ている間に、掃除機をかけたりしていた。ほうきがどこにあるか?雑巾はどこにしまってあるか?などは教えていないのに、それを見つけて掃除していた。

自分の部屋は、私が「掃除機かけなよ」と言っても、面倒くさがって何もしないくせに、汚れてもない私の家は進んで掃除した。

私がそうめんを茹でようとすると「私がやるよ」と、嬉しそうに茹でた。

母は「やってあげたい」という気持ちより、いずれ住むであろう新築のキレイなキッチンで料理したいという気持ちが大きかったように見えた。

掃除も「やってあげたい」という気持ちより、偵察するような、マーキングするような、そんな気持ちで掃除していたんだと思う。そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。

とても嫌だった。

「人の家(私たちの家)じゃ落ち着かないでしょ?」と言うと「朝から(兄嫁の)怒鳴り声がしなくていい」と言い、居心地が良さそうにしていた。

この時期に、兄は私たちが家を建てたことを知った。すると、母と喧嘩した時に「めんめのところに出てけ!!」と言うようになったらしい。

母は何度か「また、めんめの所に出てけと言われた」と言ってきた。他のグチより、これを誇張して言ってくる。私は、母がどんな返事を期待しているかわかっている。

でも私は、その言葉に対して何も言わない。

私はこの先ずっと、自分が患っている病気と付き合ってくことになる。ずっと辛かった。今でも辛いことは多い。それでも最近やっと「幸せだな」と思える瞬間もできた。

私という重荷を背負いながら、旦那が頑張って建ててくれたこの家で、2人で穏やかに暮らしているのが幸せ。

そこへ母親が住むとなると、その生活は崩れる。旦那が、毎日母親に気を使うことになるし、私も母親と喧嘩をする日々が目に見える。

でも、病気を患っている私だからこそ、母の不安な気持ちはよくわかる。もう年だし、体の調子も悪い。色んなことが漠然と不安だろうと思う。心細いだろうと思う。

さらに家にいても、喧嘩ばかりで「出てけ」と言われるんだから辛いだろう。そしてそんなことを話せる友人もいない。

辛いのは重々わかる。でも、その後すぐに「ムシがいい」という考えが浮かんでしまう。

両親が兄たちと同居すると決めた時、「めんめどうする?」って聞いてきた、その「どうする?」の裏には「私たちは一緒に住むから、めんめは1人暮らししてね」という言葉が隠れていた。

そして、それを私に言ってきた時、母は嬉しそうだった。

当時は自慢に思ってた兄と同居できること、立派な一軒家に住めることが嬉しかったのだろう。将来安泰だとも思ったかもしれない。孫もできて、みんな仲良く暮らせると想像していたに違いない。

でも結局、兄嫁とはうまくいかず、兄も人が変わってしまった。父親も死んでしまった。全てが想定外だっただろう。

それでも、同居するのは自分たちが決めたこと。

今更「(親戚)さんに、あの嫁とは一緒に住まない方がいいって言われたんだよね」などと言う。あんなに嬉しそうに同居を決めていたのに。

母には、結婚してからも入院先に通ってもらったり、家に泊まりにきてもらったり世話になっている。わかってる。

でも、やっぱりムシがいいと思ってしまう。あっちがダメならこっち。

もう出てくしかなかったのに「どうする?」と嬉しそうに言ってきたこと。家を建て始めてから私に言ったこと。1人暮らしをするにしても、仕事のことやお金の面でも、準備が必要なのに。

随分と軽んじられたもんだ。

正月に母のところに行くと、また兄と言い合ったと言ってきた。正月から早々にグチが始まった。「あいつ何て言ってきたと思う?まためんめの所に出てけって言ってきた」と憤慨しながら私に言った。

私はもう嫌気がさしていた。そしてつい「来られても困る」と言ってしまった。すると母は「そうだよね」と軽く流し、グチの続きを話した。

ショックを受けていたのがわかった。何もなかったように、グチの続きで気持ちを悟られないようにしていたのがわかった。

傷つけてしまった。私はそのことに落ち込んだ。

それでも、やっぱり色んなことが受け付けられないでいる。

あんなにキツかった母が、弱気になって頼ってくること
「自分をみてほしい」ということをチラつかせること
兄ばかりをかわいがってきたくせに、私に頼ってくること
小さい頃から理不尽に怒られ続けてきたこと・・・

私の時は軽く突き放したのに、自分が困ったら、簡単に家に住もうとしている。

私だっていい大人なんだから、昔のことは水に流せばいい。わかってる。

それでも・・・。年老いた母をみて切なくなっても、少し時間が経つと、傷ついたことが頭に浮かんできてしまい、受け入れたくなくなってしまう。

どうしたらいいんだろうな。わっかんねぇ。

でも1つわかっていることは、母が死んだ時に、私は今のこの気持ちを後悔するだろうな。少しでも、母をうとましいと思ってしまった自分を確実に後悔するだろう・・・。


サポートして頂けたら跳びはねて喜びます♡