料理の提供が早いお店は良いお店なのか?【エッセイ】
どうも。年間400食外食をしながらライターやってます水野です。
僕はこれまで訪れた飲食店での思い出をnoteで散々記事にしてきました。今回はいつもと少し毛色を変えて、外食に関するエッセイを書いていこうと思います。こういうエッセイ書くのたぶんはじめてなんで、ゆる〜い気持ちで読んでいただければ幸いです。
今回の記事のテーマはズバリ、
「料理の提供が早いお店 = 良いお店なのか?」
ということ。
お店を決めるうえで、口コミはかなり重要な情報源
IT化がどんどん進んでいる現代。数多ある飲食店の中からその日のお店を決める際、インターネットの力に頼らない人は少ないはずだ。スマホでサクッと検索すれば、だれでもお店の場所や営業時間、メニューといった情報を簡単に手に入れることができる。まったく便利な世の中になったものだ。
そんなだれでも簡単に得られる情報の中で、特に重要な情報源となっているのが、実際にお店に行ったお客さんが書いた口コミだ。お店を選ぶ際に、とりあえず食べログやGoogleの評価が高いお店に行っておこう、と考えている人は多いはず。たった一度きりの人生において食事ができる回数は限られており、その貴重な1回をわざわざ評価の低いお店に使うギャンブラーはあまり多くないだろう(僕はそういうお店に飛び込むのも好きだが)。
その点で食べログやGoogleはとても便利である。なぜなら口コミを自動で集計して点数を出してくれるからだ。評価を数値化されると、いわばそのお店の「ランク」が簡単に分かるようになる。そして我々はその点数に踊らされるため、評価が高いお店ほどお客さんが集まるようになるのだ。
口コミでは「提供の早さ」もお店の評価軸になっている
食べログやGoogleなどに集まっているたくさんの口コミは、大体は料理の味や値段、スタッフの接客態度といった項目が定番の評価軸となっている。そしてすべての口コミがそうではないにしろ、口コミの中には評価軸の一つに「料理の提供時間」が含まれている口コミも多く見かける。たとえば以下のような口コミだ。
これは料理の提供時間が早かったことで客が得をし、それがお店のプラス評価として反映された例である。このような口コミを見ると、提供時間が早いということは一見良いことだという風に考えることができそうだ。
ほかにはこういった口コミも見かける。
これは料理の提供が遅かったことが原因でお店の評価が下がってしまう例である。つまり美味しい料理を食べられるお店だとしても、料理の提供が遅いことが理由でお店の評価が下がってしまう場合があるということだ。
ではこの「料理の提供時間」は、早ければ早いほど良いのだろうか?
提供が早いって良いこと?
「早い、うまい、安い」というキャッチフレーズが有名な大手牛丼チェーンの吉野家を知らない人はいないだろう。そのキャッチフレーズ通り、席に座って注文をしたらマジでマッハで料理が出てくる。まるで何かと競っているのかと思わされるほど吉野家の提供は早い。そしてその早さにビビるやいなや、出された料理を食べるとその美味さにもビビる。さらに食事を終え、会計をするためにレジに行くと値段の安さにビビる。あの提供時間と値段で、あれほどのクオリティの料理を安定して出せる吉野家の企業努力には本当に脱帽だ。
しかしこれが例えばオシャレなイタリアンレストランだったらどうだろうか。料理を注文し終えて30秒ぐらいでメインのパスタが登場したらそれはそれでビビるはず。「えっ、これもしかして残り物をそのまま出してるだけなんじゃ…?」とか疑ってしまうだろう。『水曜日のダウンタウン』という番組でカミナリのまなぶくんが、料理の提供が異常に早い居酒屋に行った際に深妙な表情をしていた映像を知っている人も少なくないと思う。
またこれは僕が過去にとある新規オープンした鰻屋さんのPRの取材でお邪魔したときのこと。僕がお店で一番人気のメニューである鰻重を注文したら、マジで5分も経たないうちに料理が出てきて僕はちょっと戸惑ってしまった。僕が店主さんに
「出てくるのすごい早いんですね」
と言うと、店主さんは
「ええ。ウチは提供の早さがウリなんですよ」
と誇らしげに語っていた。僕はそんな店主さんのドヤ顔を見たときに、ウリにする所そこじゃないのでは…?と思ってしまった。吉野家のうな丼だったら早さウリにするのも分かるよ?でもこの鰻屋さんってチェーンでもないただの個人店だよね?そして値段も決して安くはないよね?それなのに、このお店はなぜ提供の早さをウリにしてしまっているのだろう。僕の価値観では、鰻屋さんではゆっくり時間をかけて料理を提供するのが一般的だと思っている。席に座って待っている間、厨房から漏れ出るタレや炭の香りを感じることで余計に腹が減り、まだかな〜まだかな〜と思って待っているあの時間も、鰻屋さんならではの素敵な時間だと僕は思う。そうやって鰻屋さんでゆったり待つのも醍醐味だと思えるのは、「鰻屋さんは時間がかかる」という一般的な認識があるからだ。そのためそもそも急いでいる人は鰻屋さんに入らないだろうし、新規オープンの鰻屋さんなら提供時間の早さに力を入れるよりも、味の追求にリソースを割いた方がよっぽど効果的なんじゃないかと僕は思った。
話を戻す。これらは少し極端な例だが、このように提供時間が早いからといって、それがお客さんにとって必ずしも好印象というわけではないといえる。では、「良い提供時間」とは一体なんなのだろうか。
「良い提供時間」とはなにか?
これが絶対的な正解ではないし、あくまで僕の私見にしか過ぎないということを前提に置いたうえで言わせてもらうと、「良い提供時間」とは、「お客さんが料理を最もおいしく食べられる時間」だと僕は思う。
これを聞いて「なんだ、当たり前のことじゃないか」と思った人もいるかもしれないが、まあ続きを聞いてほしい。この「最もおいしく食べられる時間」の範囲はかなり可変的で、この範囲を決めるのは大きく2つの要素が関わっていると僕は考えている。
1つ目の要素は、お店のジャンル。
先ほど例に挙げた吉野家は提供の早さをウリにしているお店だ。吉野家自身が「早く料理を出します」と言ってしまっている以上、お客さんも時間に対してかなりシビアになる。それ故に、吉野家で料理提供が遅いことがあると、「あのお店は遅い」と口コミで低評価を付けられてしまうことが多い。
一方イタリアンレストランの場合は、吉野家ほど早い提供時間は求められないだろう。とはいえ、頼んだパスタが15分ぐらい出てこなかったら不安に感じてしまうお客さんが多いはずだ。
では鰻屋さんの場合はどうだろうか。僕が先ほど述べたように、鰻屋さんは提供に時間がかかるお店が多い。だが日本人の心の中には「鰻屋さんはそういうもの」という共通認識がすでに作られているため提供が遅くても気にする人は少ないし、むしろ早く出てくるとびっくりしてしまう。このように牛丼屋さんならこれぐらいの早さ、鰻屋さんならこれぐらいの遅さ、というように僕たちはこれまでの経験をベースに、お店のジャンルによって「こういう系のお店なら大体これぐらいの時間で出てくるだろう」というある種の常識を脳内に作り出しているのである。
そして2つ目の要素は、お店とお客さんの信頼関係だ。
たとえば昔ながらの町の洋食屋さん。高齢のマスターが1人で営んでいるようなお店だ。1人で料理も接客も会計も行っているため料理の提供にはどうしても時間がかかってしまうが、マスターの料理はどれも絶品。こういったお店の場合、そのお店に通うお客さんはもう料理の提供時間なんてさほど気にしていないはずだ。お客さんたちにとって料理の提供が遅いのはそのお店では当たり前のことであり、お客さんたちが求めているのは提供時間の早さではなくそこでしか食べられない絶品の料理に違いない。これはお店とお客さんとの間で信頼関係があるからこその一例であり、料理の提供が遅いという、飲食店としては一見問題のありそうなこともお店の文化、あるいは地域の文化として根付いているわけだ。
提供時間にケチをつけることは、お店の文化にケチをつけること
先ほど「お店とお客さんの信頼関係」の話をしたが、その際に例で出したマスターが1人で営む町の洋食屋さん。このお店に、何も知らずにはじめてやって来たお客さんがいたとする。当然ながらそのお客さんは、お店のバックグラウンドや地域の文化などについてはまったく知見がない。こういうお客さんが提供時間の遅さを体感すると、ムカついてネットに低評価の口コミを書くことがある。お店の事情を知っている常連客からすれば、提供が遅い程度で何ムキになってんの?と思うだろう。これはまさにそのとおりで、お店からしてみたらその一見客の主張はお門違いであり、お店にとってその一見客が客じゃない、というだけの話である。
ほかの例えを出すなら、ラーメン二郎に行って「ニンニク入れますか?と聞いてくるのが鬱陶しい」と言っているようなものである。これも二郎には二郎の文化があり、その文化がたまたまそのお客さんに合わなかっただけの話なのだ。さらにもっと規模の大きな例で言うなら、日本にやって来た外国人観光客が「日本人がそばを啜って食べているのが見てられない」と言っているのと同じ。じゃあ自分の国に帰れよってね。
料理の提供時間は果たしてお店の評価軸になるのか
僕にとって料理の提供時間とはそのお店に根付いた文化であり、そのお店が地域で長く愛されているのなら、それは地域に根付いた文化の一部だといえる。仮にめちゃくちゃ提供の早い鰻屋さんがあったとしたって、そのお店が長く愛されているならそれも地域の文化だ。
だから提供時間の早い、遅いはお店に点数を付けるうえでの評価軸としてはふさわしくないのではないだろうか。
僕はネットでお店を探す際、口コミを見てお店の提供時間を参考にすることがある。それは早いから良いお店と思っているわけではなく、単純にその情報が目に入り、ふ〜ん、この人がこのお店に行ったときはこれぐらいの時間で出てきたんだ、と思う程度である。お店の口コミとはそのレビュアーにとっては外食記録の一部なので、料理の提供までどれほどの時間がかかったか、事実として口コミに記載することに対しては僕はまったく否定的ではない。
今回の話は、あくまで料理の提供時間がお店の評価に影響を及ぼすというのはどうなのだろう、という話だ。
値段に見合った美味しい料理が食べられればそれで良くない?
ここでいったん、我々が外食に行く目的についてよく考えてみてほしい。
僕が思う、みなさんが外食に行く目的はズバリ自分では作れない、おいしい料理を食べたいからだと思っている。
もし食事の目的が、「単純に腹を満たすこと」であるのなら、外食に行くよりももっと効率良く腹を満たす方法がいくらでもある。その最たる例がカップラーメンだ。カップラーメンは美味いし安いし、作るのがめちゃくちゃ楽。ちなみに世界で初めてカップラーメンを開発したのはあの日清食品さんである。日清食品さんは偉大な企業だ。
そんな誰でも簡単に腹を満たせるカップラーメンを食べずにわざわざ飲食店まで足を伸ばしているのは、時間とお金をかけても、カップラーメンより美味しい料理が食べたいからに他ならないのではないのだろうか。つまり外食に行くお客さんは、値段に見合った美味しい料理が食べられればそれで良いはずなのだ。
お店の評価にお客個人の事情が反映されることがある
ではなぜ料理の味が美味しくても、料理の提供が遅いとお店の評価が下がってしまうのだろうか。その理由は、客個人の事情が評価に反映されているからだと僕は思う。食べログやGoogleを眺めていると、たま〜にこういった口コミを見かけることがある。
お店からしてみたら、お前の事情なんて知ったこっちゃねぇよ、という話である。しかし残念ながら、こういう客のせいでお店のネット評価は下がってしまうというのが現実だ。このようにお客個人の事情がお店の評価に影響を与えてしまっている例も少なくない。
提供時間が遅いとなぜ低評価がつくのか
料理の提供時間がなぜお店の評価に影響を及ぼしてしまうのか。その理由について僕は思う結論はこうだ。ズバリ客自身が心に抱いている「他者から認められたい」という思いが口コミに反映されているということ。
お店の提供時間にケチをつけている客は、料理の提供時間が早かったか遅かったか、という事実よりも、料理の提供時間が自分の常識に当てはまらなかった事実に憤慨しているのだと僕は思う。
少し話を噛み砕く。僕は先ほど「良い提供時間」を「お客さんが最も料理を美味しく食べられる時間」と定義し、その範囲は「お店のジャンル」と「お店のお客さんの信頼関係」で決まると述べた。客がお店で注文をするときに「お店のジャンル」と「信頼関係」から導き出した、「このお店なら大体これぐらいの時間で出てくるだろう」という常識と信頼が客の心に生まれているということだ。そうすると、料理が自分の予想した時間内に出てこなかった場合お店から裏切られたように感じてしまうし、自分の常識がお店に通用しなかったことに対してキレてしまう。自分の常識が通用しないということは、ある意味自分のことを認めてもらえないのと同じである。そうやって客は、自分を認めてもらえない怒りや悲しみといった思いも口コミに込めているのではないだろうか。
そうやって自分が「お店からこんなひどい対応をされました!私かわいそうですよね!?共感してくれる人いますよね!?」と口コミに書けば、食べログやGoogleでは「いいね」や「役に立った」ボタンで誰かしらが反応してくれる。そうやって他のユーザーからの反応を得ることで客は心の熱りを冷まし、自身の承認欲求を満たしているのではないかと僕は思う。
InstagramやXといったSNS上には、「いいね」が欲しくてたまらない下心がモロ見えの投稿が蔓延っている。このように今は自分の承認欲求を満たす手段としてインターネットを使うのが当たり前になった時代だ。僕はインターネットをそのような手段として使用してはいないため、インターネットで承認欲求を満たそうとする人たちに対しては別にインターネットの使い方なんて好きにすれば良いんじゃない、くらいの認識で大して気に留めてもいない。しかし客が心に抱いている承認欲求なんてものが、飲食店の評価に影響を及ぼすことはあってはならないと考えている。
自分自身が成長すれば、より美味しい料理が食べられる
僕は提供が早いお店が良いお店だとは思わないし、提供が遅いお店が悪いお店だとも思わない(昔は思ってたことあるけど)。
たしかに後ろに予定が控えている中で飲食店に入った際、思ったより料理が早く出てきたときは「助かるわ〜」とは思うし、逆に思ったより料理が出てくるのが遅かったら「まいったな〜」と思うけどそれで別に怒ったりはしない。後の予定が差し迫っているのはお店のせいではなくてそんな予定が詰まっているタイミングでそのお店を選んだ自分が悪い。もしも僕がお店に入って、
「料理出すまで70年ぐらいかかるけど良い?」
とマスターに言われたら、笑ってお店を後にするだろう。
僕は今回「料理の提供時間」をテーマに散々話をしてきた。結局のところ良い提供時間の範囲は、客自身の器の大きさに比例すると僕は思う。
人間自身の器を大きくするのは決して簡単ではないと思うし、その具体的な方法については今は語れない。それを語るには、自分の人生経験はまだまだ浅すぎると思うからだ。きっとこれからさまざまな経験や学びをして、徐々に語れるようになっていくのだろう。
僕は外食に行くのが大好きなので、飲食業で働く人たちにはなるべく幸せな気持ちで働いてもらいたいと思っている。僕はこれからもたくさんの飲食店で美味しい料理をいただきたい。
自分が人間として成長することは、お店にとってもハッピーなこと。
そしてそれは自分がより美味しい料理を食べられることにもつながるのだ。
最後におまけ
先日、千葉県船橋市にある「忠実堂」という中華料理店に行ってきた。ランチの開店時間直前に行き、この日最初のお客さんとして入店。そのお店で僕が注文をしてから料理が出てくるまでは大体30分ぐらいかかった。でもここで食べた五目あんかけ焼きそばはとても美味しくて、その待ち時間を忘れさせるほどだった。京成中山駅のすぐ目の前にあるお店なので、気になった方は是非行ってみてくださいな。
【お知らせ】
Xでは年間400食外食する僕がオススメのお店についてつぶやいてます。興味のある方は是非。
https://x.com/mizuha_meshi
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