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変化することの簡単さと難しさ

変えると言うことについて 人は基本的に保守的であり、何かが劇的に変化することは本能的に嫌うものだと思う。 それはそうだよね。 そこまで色々なことを考えて積み上げてきたもの、自分の慣れていること、このことが変化すると積み上げてきたものを変更する必要があるし、慣れてない環境への順応するためのストレスなり努力が必要となるので、そのままの状態でいることが問題ないのであれば変化することを敢えて望む必要は無いというのは当たり前のことだと思う。では変えるということはどの様なことなのかということを整理してみたい。 

 政治の場面で見ると

 それが政治的な激変となる状況を革命ということになるのだと思う。 世界史については詳しくないけど、フランス革命とかロシア革命などは抑圧された庶民がそれまでの生活などをこのまま続けるよりも、大いなる変化を求めることを望んだから起こったのだと思う。 ただ、それは庶民から見た政治体制の変化を望むということであり、逆の為政者側から見た場合はこのままの状態で進めることが望ましいという状態であったのだと思う。 これはいつの時代でもどの様な状況でも同じだと思う。 何かを変えることについては、それが良いことであれ悪いことであれ何かしらのストレスが発生するのは間違いない。 また全てのことが悪いという状況があるわけでなく、何かを良くすることで、何かが悪くなるものが必ずあるわけだ。 仮に今までは王政による政治体制を自主的な政治体制に変更した場合は、庶民は権利を得ることはできるようになるが、その分責任も増えることになるわけだ。政治に対しての結果責任を誰にも押しつけることができないことになるわけだ。 

 仕事の場面で見ると

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仕事・会社がうまく回っている時に、全てがうまくいっていることは無いと思う。うまくいかないことも沢山あるし、うまく行っていることも沢山あると思う。 そのバランスがうまくいっていることの方が多い場合にその仕事は良い状態になるのだと思う。 定量的に計測ができるものではないと思うけど、総合的・定性的・感覚的にプラスの要素が高い場合にそう感じるのだと思う。 これを変えるということは非常にストレスが高いことになる訳だ。 このままやっていればうまくいくというよりも、現時点でうまくいっていることを変える必要はないという判断基準だよね。 それで、何かがうまくいかなくなった時にどうするのか。それは変えれば良いということになるのだけれどもそう簡単にはいかないと思う。 決定的に致命的な状態になれば変えるのではなく、変わらせられることになるのだけれども、変えるというのは自発的な行為になるために、変えるための意志が必要となる訳だ。 それでは実際に何かを変化させるとした場合に、その時点で良いことを辞めるような動きをしなければならなくなるわけだ。 もう一つ、変化することでその結果が必ずうまくいくのかという不確定要素が必ずつきまとうわけだ。 現状では問題があるのは分かるけど、今うまく行っていることを止めて、未来にうまくいくか解らないことに変化することになるのだけれども、それを判断することは非常に難しい。 変えないこともストレスが多くなる一方だし、変えることももの凄いストレスがかかることになるわけだ。 変えないとどうなるのか 変えないということは当たり前のことだけども現状を維持するとになるわけだ。現状が成長曲線を描いているのであれば、その成長曲線がそのまま継続することと期待することになるわけだ。 仮に、前年比成長が5%だとすると、10年後には160%になる。6%だと10年後には180%。10%だとなんと250%になる訳だ。 この様な成長が継続するのかというと絶対にそんなことはあり得ないし、右肩上がり伝説を信じている資本主義の限界でもある訳だ。 売上を向上するのであれば、生産性を上げるか人を増やすしかない。単に人を増やしただけでは売上は上がるけど利益は上がらない訳だし、人を増やすとそれだけ余計な間接費がかかるし、違う問題が生じる可能性が高くなるわけだ。 人数が少ないと何かに特化している人がいた場合に、その影響力は大きいがそれが組織が巨大になると影響力は少なくなり、平準化することで良い部分が少なくなってくるわけだ。そうなると、成長していたとしても何かは変えないで進もうとすることになるわけだ。 例えばそれまでの社内の制度だったり、慣行だったり、例えば年功序列的な考えだったり、リーダだったりね。 そうなると変えないということは、そのうち何かが良くなくなってくることに直結することになるわけだ。 だから、変えないということは成長を停止させるだけでなく、衰退を生じさせることに直結することになるというように理解をする必要があると思う。 

 スキーではどうなるのか

スキーの様な運動では、何かを変えるということは非常に難しかったりするんだよね。 運動は自動化されている部分が非常に多く、どれだけ良いことを自動化させることができるのかということが勝負みたいなものだからね。 自動化されている部分は考えずに、不足している部分、その場で判断しなければならない部分を考える必要があるわけだ。 この自動化されている部分が少ないと、その場で対応する必要があることが非常に多くなるために、結果としてミスが多くなる可能性が高くなり、良くないことになるわけだよね。 で、この自動化されている部分を変えるということが本当に難しいんだよね。 自動化という言葉通りに、無意識にその行動をしている部分は自分ではそんなことはしていないという無意識であるために、なかなか変えることができないんだ。 しかも、変えた時にその変えた内容は自動化している動きではないために、もの凄い違和感を感じてしまうことになるわけだよね。 この違和感は自分の感覚から見た時に間違っている動きと認識してしまうために、違和感をなくすような動きに戻りやすくなってしまうんだよね。 かつ、その違和感が本当に良い動きかということの正解を自分では持っていないことが多いために、間違った違和感をやり通すことで間違った感覚が自動化されてしまうとよりたちの悪いことになってしまったりするわけだ。 だから何かを変えるということは非常に難しいことになったりするんだよね。 

ではどうしたら良いのか

言うは易し行うは難しと言われているけど、理屈的には簡単だよね。
 変えない部分と変える部分を明確にして、基本的には常に変え続けること。 変えることが固定化されているのであれば、それが経験値となり、変えることに対するストレスもなくなってくることになる。
変えることで良い部分があるが、悪くなることもある。
それでも変え続ければ、良い部分と悪い部分がはっきりしてくるんだよね。 でも、変えたら良くない部分も多くなる可能性があるのではと思うんだけど、変えないことは現状維持は衰退を意味することになるので、変えなくても変わらなくてはいけない状況になってしまうんだよね。
そうだとするんであれば、自らの意志で変えるということを選択するしかないんだよね。
でも、
結局は変えない人が多いのが現実。
悪いところばかりを見てしまう人が多いのが現実。
失敗しないようにすることを主に考えてしまう人が多いのが現実。
未来の不確定要素よりも現状の確定要素を選択する人が多いのが現実
だとしたら、
変えないということを信念を持っていれば良いんだけど、変えないという意志を持ち続けることも出来ないんだよね。
 うーーん、なかなか難しいよね。

 結論

 変えることが難しいからやる。
やらないと衰退するから。
変えることはできないからやる。
やらないと衰退するから。
変えさせられる位なら自らが変える。
結局は現状維持はあり得ないから結果的には変わるから。
簡単なんだけどね~

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