空に浮遊する時計

空に時計があればいいのに、と思った。真面目に生活していくには時計は必需品だ。空にとても大きい時計が常にが浮いていれば腕時計をつけなくてもいい。(趣味でつけている人もいるが、私はあのなんとも言えない手首の拘束感が苦手である。)

 多分これを実行しないのには2つの理由があるだろう。1つは時計業界からの反抗。スイスの一流時計職人が作る時計は想像を超える価格で販売されている。またそれに付随して小さな部品やらの製造業者もいるだろう。すべての時計を統合して欲しいということを言っているのだから当然反抗するだろう。しかし前述したように私はそれに対する興味がほとんどないので彼らが廃業になろうが知ったことではない。その技術を結集して私の想像上の気球時計を作って欲しいと願うばかりである。

 2つ目は人間の行動を時間の枠組みで完全に拘束して良いのかという、人権団体からの反抗。時間なんてそもそも人間が定義したものに過ぎないものだし、古代にそんな代物はなかった。だからそれで縛るのはおかしい。言いたいことは一理ある。しかし現代社会でそんな原理主義的な思想は甚だ異端であろう。


どちらにせよ今日たまたま、仕事の関係上仕方なく身につけている腕時計を忘れてしまった私は大変困っている。

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