「邪馬臺」をヤマトと読む

古代、漢字で日本語を記載する際、記載する漢字の母音や記載される日本語の母音は省略される事例を多いそうだ。つまり、中古音でdəiと読む「臺」の字はこの時点でdəになり、「ト」に近くなる。

さらに百済訛りではi~eの区別が混乱しちえる事例を多く、百済人の渡来人が記載したならば、əもoも区別されず、下の音がdoであった可能性は高くなる。

邪馬壹国説をとってきた私にとっては参りましたという説明だ。まだ、ヤマトの倭王讃を知っている范曄が「壹」を「臺」に置き換えたという説も成り立つが、3世紀からヤマトが継続してきたという説に対してはかなりの根拠になりうる。


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