仏教徒

以前、島田裕巳氏の『ブッダは実在しない』を引用した。それによると、スッタニパータにはブッダ達と複数系で書いてあるので、ブッダは一人ではなく、複数のブッダの教えだというものだった。今、清水俊史氏の『ブッダという男』を読みはじめていて、誤解があったことを知った。

まず、スッタニパータという初期仏典は韻文という口頭伝承の詩形式で書かれている。スッタニパータを『ブッダの言葉』として翻訳した、中村元氏はこの韻文形式の仏典は普通の文章、散文形式で書かれた仏典に先行するとしていた。

『ブッダという男』によると韻文形式の仏典は、仏教以外のジャイナ教などでも唱えられていたそうで、初期仏教の中では聖意性が認められなかったそうだ。それは初期仏典三蔵の中でブッダやその弟子の教えを収蔵した経蔵の中の『中部』にブッダの言ったことが、他の師に唱えられていたことについて、ブッダが過去のブッダたちによって説かれた詩と言っていることにより、示されているとしている。

スッタニパータも経蔵の中の『小部』にある。つまり、ここで言うブッタ達というのは、仏教の開祖ブッダに先行する者たちを指している。輪廻転生が当時の常識なのだから、過去にそのようなブッタ達がいることは常識なのだ。

三蔵自体、ブッダの入滅後、アショカ王の時代に書かれたものだ。一次資料ではない。仏教は当初、一神教のようにテキストにこだわることもなく、当時普及していたサンスクリット語をバラモン教の言語として忌避する傾向があった。なので、アショカ王の時代に用いられたパーリ語仏典が多い。ただし、パーリ語はブッダが話した言語ではない。アショカ王碑文にはギリシャ語、アラム語もあり、仏教もパーリ語にこだわったわけでもないと推測される。聖書の原典にこだわる一神教とは根本的に異なる。

中村元氏の『ブッダの言葉』は大学時代に読んだが、当時のインドの世界観がしっくりこず、違和感が大きかったことを覚えている。聖人ブッダについて持っている常識との乖離も感じていた。『ブッダという男』はそれを直視し、当時の世界観の中のブッダを明らかにすべきだという態度だ。

縄文神道の世界観の中の仏教徒であり、南無阿弥陀仏と一回唱えれば成仏できると考えている私は、ブッダが学術的にどうだったかは興味本位でしかなく、信仰に影響することもない。それが信仰に影響するのは一神教が生み出す原理主義的な態度だと思っており、仏教的ではないと思っている。

『ブッダという男』で述べられているようにそういう考えでない仏教徒もいることはたしかで、殺生を禁じている仏典ではないが、仏教史の中でスリランカの仏教王アバヤ王のくだりが、ミャンマー軍事政権に悪用されて虐殺の動機の引用にされているという事態が発生している。アショカ王自体、仏教徒になる前は暴君の征服者だ。

スッタニパータは北伝されず、スリランカに残ったパーリ語経典なので漢訳仏典はない。スリランカの歴史は仏教徒にとって無視できないところでもある。

ローマ・カトリックにはローマ帝国の罪の意識が入っているが、仏教もまた罪の歴史なのだ。



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