革命の輸出

ソビエト連邦は革命以降、世界各国に革命の輸出を行ってきた。第二次世界大戦以前は世界各国の共産党がそうだし、独立させた国家としては当時の中華民国に出来た外モンゴルのモンゴル人民共和国が第一弾で、同じくの中華民国内に出来た第二次東トルキスタン共和国は第二弾だった。第二次世界大戦以降は植民地支配からの独立の理念として共産主義の理念が使われた。レーニンの『帝国主義』はその教科書だった。

プーチンはインタビューで、当時の指導者がクリミアをウクライナ領にしたことを理解できないと言っていたが、ソ連の建国理念としては当然だった。そのような理念なくして世界革命の理念は成立しえなかった。

ソ連崩壊以降はロシアは革命の輸出をやめたが、そこから革命の輸出を始めた国はアメリカだった。その理念が民主主義、自由主義だった。それまでさんざん植民地主義に加担する帝国主義と呼ばれたことによる対する思いがあったかもしれない。それはまず、旧共産圏の国に対して行われ、ソ連がねじ伏せいていた地域でイスラム主義が台頭すると、アラブの春という革命を支援し、中東に内戦状態を引き起こし、支援は自由主義勢力を腐敗させ、ISのようなそれまでのイスラム原理主義勢力になかったほどの残酷なイスラム過激派を生み出した。

プーチンもアメリカもそのへんの経緯について直視出来ていないように見える。ソ連崩壊を地政学的悲劇と忸怩たる思いを持っているならば、ソ連の責任を捨てずに継承していく必要がある。レーニンの『帝国主義』に影響を受けた人間としては理念対立が無くなった後、新自由主義の閉塞が深刻な格差社会を生み出している現在の現状について口を閉ざし、ひたすら自国のルサンチマンを語る姿は悲しい。


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