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母の特殊能力 プロローグ

『おことわり』

はじめに、これからお話しするのはスピリチアル的な要素も含まれるので、その手に関して苦手な方はご遠慮ください。

そして、あくまで私が息子として体験した事を主観的に書いてますのでご了承ください。

できるだけ1話づつ完結に書き上げますが、話は続く事もありますのでご了承下さい。

曇り空の下で

母親から呼ばれて会いに行ったところ、なんとなく顔が暗いように見えた。見えたというよりかは薄い膜が彼女の前にあったと振り返ればそう感じた。

話の内容も何故か伝わらなくて、なにか心配ごとがある感じなのは読み取れた。

それから数日後に父親から連絡があった。『お母さんは緊急で入院する事になった』と、、そして検査した浦添の病院から琉大病院へと移された。

深呼吸

すぐに嫁さんに連絡して詳細を伝えた。なぜ緊急入院となったのかはわからない。不安で自分まで気持ちわるくなって車のハンドルには変な汗がついたのを覚えている。

ここからは気が動転して記憶が曖昧なので覚えている事を書きます。

フイルムに写った大きな塊

小さな待合室では父親がすでに待機していた。息を殺しながら何かを考えているんだろうが、何を考えているのかわからない状態だった。そして私たちは看護師さんに呼ばれ診察室へ入った。

診察室の中は小さく小綺麗な感じだった。すぐさまエコー写真に目が行った。お医者さんは一呼吸置いてこういった。

『厳しいですね』

よく医療系ドラマでみるレントゲン写真をまじまじと見たことはないが明らかに写真の真ん中に大きな白いものが目立って見えた。

話を聞くと脳の真ん中に脳幹と呼ばれるところがあり、その脳幹に拳ぐらいの腫瘍がべったりと包んでいるそうだ。

手術にはそれなりのリスクがある話を聞かされ、何らかの症状が体に出ると言ったあとに、質問はと言われたが首を横に降って、机に置かれている紙にサインをした。

身辺整理

手術日は2日後となりその間は母にあって診断結果のことも伝えた。伝えたと思う。なぜなら記憶が前後飛んで覚えないが、身の回りの整理をしてほしいと言われたことは覚えている。

実は両親は自分が中学生の頃に離婚をしており母は内地に行ったりしていた。この時は沖縄で暮らしたていた。もう一つ言えば、両親はいとこ同士の結婚だったので、大きな法事の時は顔を合わせていたりする。

そんな絶妙な関係性だが『その事のエピソード』は別の機会で紹介します。

話を戻すと、親の身辺整理ほど辛いものはない。

手術、そして沈黙

これもそうだが、よくある医療ドラマと同じで車いすで手術室へ向かうシーンそのものだった。声をかけることもなく手術室のドアまで差し掛かり何十年ぶりだろうか母の手を握った。

お医者さんの『なんらかの後遺症はある』という〃アレが〃気になった。そしてこの後どういった感じで手術室から出てくるのかを想像しながら神様に祈った事を覚えている。

待合室では数名の他の家族がいた。そして、お互い静かに、ただ、ただ沈黙を守った。

手術は9時間時にもおよんだ。

集中治療室

正直、気力体力とも消耗していた。気がついたら外は昼頃になっていたのは覚えている。

手術は終わり母は集中治療室に運ばれて看護師の管理の元様子を見ている状態だった。

叔父さんが様子を訪ねてきて少し話をしてから琉大病院の食堂で腹を満たしに行った。

その日の夕方、主治医に呼ばれて父も同席し今後の話し合いをした。

手術は成功したが全部の腫瘍は取れなかった。あとは経過観察とリハビリも必要になるとの事だたった。

特別に母の様子を見に行くのを許可されたので顔を見に行くと、今でも忘れないが顔は腫れあがり口には大きな管がはいっていた。

話によれば、脳は腫れあがっているので頭蓋骨の一部は開けたままの状態で様子を見るというそうだ。

正直、『えっ』っとなった。頭蓋骨開けたままで人は生きれるのかって思ったが『分かりました』と言ってあたかも医療に詳しい素振りをみせた。

様態が急変することはなく

日を追うことに脳の腫れも順調になり母とも話をする事ができた。術後から初めて話をしたときは涙がでた。母も泣いていた。そしてとにかく喉が渇くようでしきりに唇に下をまわし”その事を“伝えていた。

そして1~2周間過ぎたころには脳の腫れも治まり開いた頭蓋骨を蓋をする手術が行われた。その手術も無事終わりまた数日たったあとに一般病棟に移った。

そして様態は回復し、しかも後遺症などの身体へのダメージがなくお医者さんも驚いていたのを思えている。

入院部屋に喜びをあげる

一般病棟に移ったことにより更に回復が進んだ。自分でもびっくりなぐらいだったが一安心した。そんな退院の日程の調整に入った頃、お見舞いにいくと母からお酒とお米を持ってくるように言われた。

母に言われた通りに残波の3号瓶とお米を袋に入れて持っていった。母はそれらを手にと言葉を発しながら部屋の四隅と入り口に向かってかけ始めた。

私は母の特殊能力は知っていたからこの行動はなんとも思わないが、こういった行為をみて引く人もいるかもしれない。

母は今回の昏睡状態のときにいろんな過去や神のこと、先祖のこと宇宙のことなど見せられたり、話にきていたと言っていた。そして神が今は死なせない、先祖のことも自分自身の神(表現が難しい)の事もまだ役目があると言って息を吹きかけられて生き返らされたと言っていた。

部屋の四隅に感謝あげることはなんのことかと聞くと、もうする退院すると分かっていたらしく看護師がくるとできないので今のうちに”ゆしりがふー”をしているためだった。

生き返った

なに不自由なく生き返った母親は(笑)大好きなお酒や民謡酒場など様々な人との交流をして日々を送っている表向きは。

ただ、人の助けのためと自分の特殊能力をいかしてここ数年は企業の誘致の土地のおがみを頼まれたりとか、不動産の相談とか、国会議員さんから呼ばれ内地の事務所の拝みを頼まれたりしているみたいだ。

あとがき

母は子供の頃から自分の特殊な能力に気づいていたみたいだった。本当は普通の人として暮らしたかったそうだがいろんな困難がありながらも受け入れたといっていた。

次回からは1話完結で母の特殊能力のエピソードを自分が体験したこととの合わせて紹介していきたいと思います。冒頭でも書きましたが、中卒の母親は学歴もありませんし商売っ気(私が言うのもなんですが)なく、以前は判断とか無償でやったりして生活苦になってたりしました。それは悪質なユタみたいに思われたくなかったと言っていました。

でもすこしはお金をもらったほうがいいよと伝え、判断(さんみん)や土地に拝みなどももらっているそうです。息子としては少しホッとしています。次回からは100円ですが有料記事とさせていただき、売上は母親に渡したいと思っています。これが自分にできるもう一つの親孝行かもしれなのでよかったら次回のエピソードの購入をよろしくいお願いします。

最後まで見てくださりありがとうございました。



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