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生者と死者の住む場所は、すぐとなり。

コロナウィルスの流行で、3年間の空白が出来ました。ようやく落ち着きを取り戻した最近、長く会えなかった人との再会が続いています。どうやら私を含む全ての人の止まっていた時間が、流れ出したようです。

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ひょんなことから曽祖父の生涯を調べています。明治から昭和を生きた曽祖父は名もない一般人です。曽祖父はその時代を必死に生きたのだと思いますが、結局、戦争という大きな出来事の中でひっそりと死んでいきました。彼が25歳まで生活していた日本では、遺品も写真も残っていません。私の世代は彼の名前すら記憶してしていませんでした。

先日、アメリカからお客様が来日されたときに、偶然にオークションで落札したという曽祖父にまつわる品を贈られました。その品はアメリカで生きていたという証でした。私は彼が執念で日本に戻ってきたことを感じました。

私は曽祖父の調査のために、これまで幾度となく母校の図書館へ足を運んできました。先日も「なぜ私が遠い場所の図書館へ調べ物に行くのか、まったく貧乏くじを引いたな。曾祖父さんは私を酷使する。」そんなことを考えながら電車から外を眺めていました。

すると停車駅でミフィーのラッピング電車が停車していました。今月で終了する電車でした。やっと見ることが出来ました。大感激で写真に収めました。なんと帰りの道の乗り換え駅でもミフィー号が停車していました。この嬉しい偶然は、文句を言う私への、曾祖父さんからの粋な計らいだと感じました。

これまで何度も偶然が重なり、思いがけない発見をしてきました。その度に私は曽祖父の存在を近くに感じていましたし、協力者の方々も、そう思わざるを得ないと話されていました。

亡くなってこの世に存在しないのに、その存在はますます大きくなっているのです。死者の世界は、生者のすぐ隣にあるように思えました。そして私は亡くなった人に、生きている人間が動かされている、そんな感覚をも覚えました。

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アメリカの親族で保管されている曽祖父の遺品の懐中時計が、2017年に再び動き出したと聞いています。日本にその話が伝わるのにさらに5年を要しました。

曽祖父は長い間、手先となり動く日本の親族を待っていたのでしょう。私が曽祖父の人生を調べ出したことから、止まっていた時間が動き出したのです。

それにしても曽祖父の最終目標はいったい何なのでしょうか。それを知るためには東京、ロサンゼルスに行く必要があるのです。そう簡単にはいきません。

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カレンダーを見たら、来週は春のお彼岸でした。なるほど死者の存在が近くに感じるはずです。

来月は曽祖父の150回目のお誕生日です。私は最後まで彼に付き合うつもりです。



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